銀幕症候群 最終症例

――世界が終わる瞬間というものを、ずっと夢想していた。
 たとえば宇宙人がやって来て、地球を乗っ取ってしまう風景。
 たとえば怪獣が攻めてきて、町を炎で焼いてしまう風景。
 たとえば人間が増えすぎて、食糧が足りなくなって餓死していく風景。
 人の想像力はどこまでもたくましく、人間たちはいくつもの破滅の可能性を考えては、言葉にしたり映画にしたりして、それがいかに現実から遠いものかを立証しつづけてきた。宇宙人も怪獣も、食糧危機ですらも、現実から遠すぎて笑い話にしか思えなかった。少なくとも僕は、本当に地球が滅亡する瞬間を自分が体験することになるなんて、一回たりとも考えたことはなかった。

 僕は恋人と二人、向かい合って黙りこんで過ごしている。僕らが言葉を交わすことをやめて、こうして沈黙の中で過ごすようになったのは、いったいいつ頃からだっただろう。言葉を交わさなくても心の中がわかるようになってしまったからだろうか。もうこの町には僕たち二人しかいない。食べるものも少しずつ底をついてきている。いずれどちらかの人生が終わり、残されたもう片方もすぐに死んでしまうだろう。最初は混乱し恐慌に陥った僕らだったが、二人きりで静かに過ごしているうちに、未来を受け入れてしまった。前向きに言えば現実を肯定したのだろうし、後ろ向きに言うならば現実を諦めたのだ。どちらにしても、心境は同じだ。

 銀幕症候群、なんてものがこの世界に生まれたのはなぜだったのだろう。それはある意味においては地球を乗っ取るための宇宙人の陰謀だったし、人類を滅ぼす怪物でもあった。政府の陰謀かもしれないし、スパイ組織の仕業かもしれない。人間のイマジネーションをもってすれば、どんな理由だって作り出せる。今となっては、どれが真実だったかなんてわかりやしない。それに、理解したところで僕らの寿命が延びるわけでもない。結局のところ、最終的に大切なのは、理由ではなく結果だ。僕らはもうすぐ死ぬし、ここにはもう誰もいない。もしかするとこの世界で、生き残っているのは僕たち二人だけなのかもしれない。ここから生まれるものは何もなく、可能性も未来ももうない。それが結論であり現実だった。

 ある日彼女は僕の手を握った。僕も握り返すことでそれに答える。そのまま、手のぬくもりだけで繋がりあう時間が、長く長く続いていった。その時間は、僕の人生の中で一番充実していたと言っても過言ではない。正直なところ、それまでの僕の人生なんてたいした内容じゃなかった。どこにでもある普通の展開しかない、つまらない人生だった。もちろん僕自身はつまらないなんて思っちゃいなかったし、ありふれた日常はそこそこ楽しかった。こうして世界が終わることがなければ、僕は自分の人生について客観的に考察をすることなんてなかっただろう。当たり前のように生まれ、当たり前のように過ごし、当たり前のように恋をして、当たり前のように死んだに違いない。
 でも。もしも過ごしている時間に密度や幸せの割合が存在するとしたら、今こそが120%の幸せを享受している瞬間なのだ、もっとも濃い密度の時間なのだ、と彼女と手をつないだ僕は考えていた。これまでの人生の密度はスポンジみたいに中身のないものだし、今この瞬間は、陳腐な言い方をするなら宝石みたいな密度の時間なのだ。眠りから覚めたら相手は冷たくなっているかもしれない、という一抹の不安だけは心の隅に巣食っていたけれども、それよりも言葉や理屈でなく、ただ『つながっている』という事実が僕の心を幸せで満たしていった。


 すべての幸せは永遠ではなく、いずれ終わる。今朝、彼女は目を覚まさなかった。まだ温かさの残るその体は、しかしもう動くことはない。でも、僕はこの手を離さない。この幸せを離したくない。大丈夫、きっと僕もいずれ彼女にもう一度会うことができる。この手を離さずに待っていればきっと。そう唱え続けながら、僕はこうしてここに横たわって、いずれ来るべき世界の終わりを待っている。静けさの残る世界で、たった一人で。
 幸せの残滓はまだ、僕の手の中に存在している。そう信じて、長すぎる時間をひたすら消化していく。
 世界は、もうすぐ終わってしまうだろう。銀幕の中のような劇的な変化を見せることもなく、ただ終わる。そこにはハッピーエンドもアンハッピーエンドもなく、ただ終わりという事実があるだけだ。だがしかし、だからこそ事実の中から何かをつかみ取ることができる。そんな少しの希望を、僕は捨てることができないでいる。この希望を抱いたまま、おそらく僕は死んでいく。
――世界と一緒に、僕という存在が、終わっていく。
 その瞬間に、この手を離さないでいられることだけを。今、僕は願っている。 

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