第二章 その後の彼の話

 彼女が消えて数週間が経った。俺はあの子のことを思い返しながら日々を過ごしていた。一緒に食べた料理の味や、プレイしたゲーム、読んでもらった小説、彼女に関するいろんなことを思い出しながら、頑張れるだけ頑張ろうと思った。
 俺は、半分死ぬ気で晴れた日に外に出た。知っている人間には会わず、あっさりと帰宅できた。拍子抜けした。油断はできないが、もしかしたらもう大丈夫かもしれない。今度はもうちょっと遠くへ足をのばしてみよう。我ながら、かなり前向きになったと思う。
 さっき、あの子の夢を見た。あの子が消える前の会話の夢だ。
 彼女は自分は人間ではないと言い、自分を思い出してほしいと言った。俺は思い出してやることはできなかったが、伝えたかった思いを伝えた。彼女は風に乗って消えていった。
 
 目を覚まして、唐突に、あまりに突然に――俺は思い出した。金髪の少女の正体を。
 彼女は俺のそばにいた。俺の部屋なんて、あのとき訪れるより前から見慣れていたはずだ。どうして気づかなかったのだろう。金色のまっすぐな髪と、まっすぐな瞳を持つ彼女は、俺の独り言も、苦悩も、欠点も、空回った努力も、全部知っていた。
 彼女は俺の部屋の隅にずっと立っていた。透明な、フィギュアケースの中に。
 本当の『彼女』は、戦うために生まれた少女型アンドロイド、という設定のアニメヒロインだ。十数年前のアニメのものだから、そんなに美しい造形ではない。けれど俺が生まれて初めて買った、大切なフィギュアだった。
 服は白い、ぴっちりとしたパイロットスーツのようなもの。無口キャラではあったが、黒づくめの服ではなかったし、カレーにマヨネーズを投入するようなキャラでもなかった。たぶん、そのあたりの設定の誤差は、俺の理想の彼女を無意識に投影した結果だったのではないだろうか。俺にとって都合のいい彼女像を、現実に実現した形があの『彼女』だったのだ。そう考えるのが一番しっくりくる。
 あの少女は、俺のかわいそうな精神が生み出した脳内彼女。この世のどこにも存在しない架空の女の子だった。落胆すべき事実だし、きっと俺は客観的に見れば哀れな人間なのだろう。しかし、彼女がいなくなっても、俺の部屋はしばらくピカピカのままだし、キッチンにはまだカレーの鍋が残されている。
 何より、俺はあの子がいたから、バイトを探しに外へ出ることができるようになった。数年間放り出していた小説を書きあげることもできた。彼女の存在は――少なくとも俺にとっては、有意義なものだったのだ。あの子は俺に、勇気と……前に進む力をくれた。

 桜はひらひらと散る。俺の中のあの子は過去になる。いずれ記憶は風化し、消えていく。ピンク色の花びらが風に舞って地に落ちて消えてしまうように……俺の脳が作りだした奇妙な存在も、完全に消える。あるいは、あの子とすごした時間は、こんな春の陽気の中で俺が見た、長すぎる白昼夢だったのかもしれない。
 春らしいうららかな風が吹き抜けていく道を一人で歩きながら、俺はまた小説を書きはじめることを決意した。これを書きあげたら、またあの新人賞に応募してみようと思う。
 主人公は、感情をあまり表に出さなくて、ちょっと頭のねじの緩い、しかし一途で憎めない謎の少女。春風の吹く、ある駅のホームからその物語は始まる――。