第八話

 氷の世界にいるみたいだった。
 まだ11月なのに、体ごと切り裂かれてばらばらになってしまいそうな夜。
 公園のブランコの前で、わたしはルチカに抱きしめられている。
 冷たすぎる世界のなかで、ルチカと触れ合っている部分だけが温かい。

「ルチカ……どうしよう……」

 わたしが口から必死に発した言葉たちは、凍りついてそのまま消えていく。
 トッテム・タウンの夜は、きのうからすっかり変わって、よそよそしくなってしまったようだ。わたしはこの町に寄り添ってもらえていない。そんな気がしてならない。

「わたしのせいかもしれないんだ……」

 わたしの泣き言を聞いても、ルチカは何も言わない。そういう彼女だから、安心できる。今はなにも言ってほしくなかったから。
 何があったの?
 どうして泣いてるの?
 彼女はそういう余計な言葉を一切言わなかった。わたしが語るのに任せて、ただただ冷たい夜がわたしの側へやってくるのを防いでいるみたいだった。

「ルチカ……」

 さまざまなこの町の思い出を頭のなかで繰り返し再生しながら、わたしは彼女の腕のなかでこうつぶやいた。

「わたし、人を殺してしまったかもしれない……助けて、ルチカ……」


+++


「臨時ニュースです。本日未明、…………を歩いていた男性が、…………発見された際には心肺停止の状態で…………のちに…………」

 たまたま、テレビのニュースを垂れ流していたとき、それは唐突に訪れた。
 現実の終わり、とでも言おうか。
 西所はニュースの序盤はあまり聞いていなかったのだが、だんだんとチューニングが合ってきて、異常事態が起きたということに気がついた。

「……被害者は身分証によると、市内の学生で相良相模さん、二十三歳。背中からナイフで一突きされ出血多量…………容疑者の男は取り押さえられましたが、…………などと意味不明な供述を繰り返しており、…………また、現場で発見された身分証は偽造されたものであり、警察は現在、被害者の正確な身元を調べて…………」

 テレビを消した。
 ……相良が、死んだ?
 これも『渦巻き』のせいなのか?
 いやしかし、犯人は人間だ。身柄が確保されているし、間違いない。化け物じゃない。死体も消えていない。偶然、たまたま死んだというのだろうか?
 そんな偶然があるか?
 そんな残酷な偶然が、あっていいのか?
 あきらは、どうしているんだろうか?

 彼女に会いに行こうと、思わず立ち上がろうとした、そのとき。

「どこへ行くんだ?」
「ッ!」

 背後から鋭い声が飛んだ。
 余儀だ。

「おい、余儀。相良が死んだって……」
「ああ、あれ? あれをやったのはぼくだよ」

 ガツンと頭を殴られたような気がして、西所は反射的に強い口調で問い返した。

「なんだって?」
「相良相模を殺したのはぼくだって言ったんだよ。聞こえた?」
「なッ……!?」

 あきらの笑顔が浮かぶ。
 彼女は、ヒーローがこの町を守ってくれると信じているはずだ。多少、疑念があったとしても、まさか余儀や西所が自分に牙をむくなどとは微塵も考えていないはず。
 彼女は、西所をヒーローだと思っている。それに背くような真似はしたくなかった。
 テーブルに拳を叩きつけて、西所は叫ぶ。

「何故だ!? 何故、天牛あきらという特異点を裏切って、揺るがしてまで……」
「おいおい、なにを熱くなってる? 情をうつすなってあれほど言ったのにさぁ」

 余儀はへらへらと笑った。
 いつもどおりの軽薄な笑い方だが、きょうばかりは許せない。
 いまごろ、彼女が、どんな思いでいることか。
 『渦巻きは異常を引き寄せる』ということを、すでに彼女はわかっているのだ。自分のせいで相良が死んだ、と思いこんでいてもおかしくはない。

「これだからきみは困る。いつまでたっても甘ちゃんなんだから。そんなんでヒーローが勤まるものかね?」
「……相良相模という男はあの娘と密接につながっていたんだぞ!? 化け物を倒すのとはわけが違う。どんな理由があって、そんなただの一般人に手を……」

 余儀は真顔で、テーブルに思い切り平手を打ちつけた。鈍い音が鳴り、西所は黙る。

「うるさいな。ちょっとは静かにできないのか?」

 冷たい声音だった。こうなるともう制御できないということを、西所はこの十年の経験でよく知っている。
 余儀はそのままのトーンでつづける。

「ただの一般人? おいおい、そんなわけないだろう。あいつは特異点だよ。天牛あきらなんかよりよっぽど凶悪だ。ここ最近の化け物騒動もあいつのせいかもしれないくらいだ」
「ほんとうか?」
「きみに嘘なんかついてなんになる? つくならもっとマシな内容にするし、わざわざぼくが殺したなんて言わない」

 ……たしかに、そうだ。ここで殺したことを西所に報告するということは、それは西所に漏らしてもいい情報だということなのだ。信頼、できるだろうか?
 十年連れ添ってもまだわかりあえない余儀の心の内側を、いま、自分は垣間見ているのか?
 ……しかし、納得はできない。
 この現象への説明としては、合理的ではない。

「……相良は自分が特異点だとわかっていたということか? なぜ、彼女に接触していたんだ? たしか、あのふたりはもともと知り合いだったはずだが……相良の目的は?」
「さぁね。危険な特異点だということ、この町の化け物を生み出す根源であるかもしれないこと、いまわかるのはそれくらいだ。もっとも、殺してしまった以上、もう追加の情報は望めんがね」

 ……なんなんだ、この気味の悪い幕切れは。
 疑念しか生まれないが、その真偽を確かめようがない。
 完璧主義の余儀がこんな中途半端な状況を良しとするとも思えないが、これ以上、どうするつもりなのか。

「化け物の根源は断ち切れた可能性がある。あとは、天牛あきらを制御すればいいだけだ。ぼくらのヒーロー業もそろそろ終わりだってことだね」
「ほんとうに、そんな簡単な話なのか?」
「結論はシンプルだと思うがね。有害な特異点を見つけて、隙を見計らって殺した。あとは、有害でないほうの特異点を制御するだけだ」

 どうして、普段は西所にばかり仕事をさせているくせに、今回だけ自分で手を下したのだ?
 どうして、終わりだと言い切れるのだ?
 さんざん、相良は無害だと繰り返していたはずなのに、その考察は的外れだったのか?
 ……友人の死に直面した天牛あきらが有害でないという保証は?
 やはり、なにか隠しているような気がしてならない。
 しかし今、これ以上の情報を余儀が教えてくれるとも思えない。
 とすれば、やるべきは……天牛あきらのケアだ。

「彼女に会わないと」
「それは、哀れみ?」
「いちいち癇に障るやつだな。おれは、純粋に、特異点の精神を揺るがすことが心配なんだよ。今の彼女をこのまま放っておいたら危険だ」
「オーケーオーケー。ただ、ぼくが思うに……」

 意味ありげに言葉を切って、彼は今度は静かにテーブルに手を置き直した。

「それはきみの役目ではないだろうね。この天才・余儀は……きょうは無駄足になると予言しておこう」


+++


「ねえ、あきら」

 わたしは顔を上げた。
 これまで無言でわたしを受け止めていた彼女が、ようやく言葉を発していた。
 涙で歪んだ視界のなかで、彼女がまっすぐにわたしを見つめていた。

「わたしには難しいことはわからない。今、何が起きているのかも、どうしてあの人が死んでしまったのかも、悔しいくらい全然わかってない。でも、これだけ言わせて」

 雪のように、彼女の言の葉が、泣いているわたしの上に降ってきた。

「わたしは……あなたを泣かせるやつを許さない。あなたの無垢につけこんで、中途半端な知識を教えて、脅迫めいた言葉で騙して、肝心な部分をごまかした男を、絶対許さない。あなたが泣いてることを知ってて、いまもここに現れないでいるやつを、許さない」

 ……待て。
 それは……だれの話だ?
 わたしの心が疑念と困惑に染まるのを見て、彼女は弱く微笑んだ。

「ごめんね、あなたが理科喫茶に行ったの、知ってたよ。さすがに、わたしの忠告を無視してあんなのと会いに行ったときは驚いたけど、一応見張っておいてよかった」
「え……じゃあ、じゃあ……ルチカは……」

 わたしは、彼女には『ヒーロー』の話も『化け物』の話もしなかった。
 信じてもらえないと思って、黙っていた。
 むろん、理科喫茶のふたりが何者なのかも言っていない。
でも、この口ぶりは……。

「ルチカは、あのふたりのことを知ってるの!?」
「わたしは、あきらよりも『彼』のことをよく知ってる。わたしかこの『季節』に流れてきたのは、そもそもあいつの……余儀のせいだからね」

 言葉が、出てこない。
 この『季節』に……流れてきた? ルチカが?
 それも、マスターのせいで? なぜ?
 彼女は、この『季節』の人間ではないのか?
 わたしは、ルチカや相模のことを純粋な友だちだと思っていた。わたしが自分の力で引き寄せた縁だと信じていた。
 けれど、彼女も、彼も、この世界の異常の一部なのか?
 頭のなかがごちゃごちゃになる。

「混乱すると思う。でも、わたしはあきらの味方だよ。あいつのことは信じないで。お願いだから」
「マスターが、悪いやつだって……ルチカもそう思うの?」
「『も』?」

 わたしは先日の、西所との会話について聞かせた。
 あのとき、西所は余儀のことをさんざんにけなし、絶対に関わるなと繰り返していた。
 化け物よりも恐ろしい。
 それが、余儀なのだと。

「ケッサクだね。なんだ、そっか、そういうこと」

 ルチカはそうコメントした。
 なにが『そういうこと』なのか、わたしにはまったくわからなかったが……こんなに楽しそうに笑う彼女は、初めて見た。
 これまで、わたしが見ていたルチカもまた、虚像だったのだろうか。

「ねえ、あきら。わたしの書いた台本に乗らない?」

 ふと、彼女は手を鉄砲の形にして、力を込めた。ホタルのような青い光が、彼女の手の先に集まり……そして、一輪の青いバラになった。
 よくよく見ると、氷でできている。ひんやりとしたそれを、彼女はわたしの手に持たせた。氷なのに、触っても溶けなくて、まるで生きているみたいに輝いている。

「この町を、勇者のフリして支配している魔王の手から奪いとる。わたしとあなたがいれば、それができる。きっと、相良さんもそれを望んでる」

 彼女の中二病じみたセリフの意味はよくわからなかったけれど、わたしは青いバラを見つめながら、こう答える。

「……聞かせて、ルチカの話」

 青いバラの花弁が、ほんものの花のように儚く、一枚だけ地に落ちた。
 流されるのではなく、自分で真実をつかみとらなければならない……このとき、わたしはようやくそう誓ったのだ。

20201214