風は都会から濁った酸素を運んでくる。要塞のような威圧感のある洋館は、光りながら燃えていく。炎はどんどん膨らんで、世界ごと飲み込んでしまうのではないかと私は思った。
 火事を遠くから眺めつつ、死んだ彼のことを考えていた。黒いスーツがよく似合うあの人は、どうして死んでしまったのか、思い出せない。彼は今でも私のそばで笑っているような気がしてならないし、実際のところ、目を凝らすと私にはまだ、彼のシニカルな笑顔が見える。でも、彼はもうこの世にはいない。どうにも受け容れがたい現実だった。
 どんなものであれ、現実は私を強迫する。そのせいで、新しい恋人を作らなければ、と強く感じる。心が追い立てられ、ささくれ立つ。彼は私の隣でほほ笑んでいるけれど、すでに死んでいる。死を噛みしめた私は自室に知り合いの女性を呼び、彼女とセックスをする。彼女はとても上手で、しかし私は彼のセックスが上手だったかどうかを思い出すことができなかった。女同士の行為が初めてである私がどうしようもなく下手なことについて、何も言わない彼女は優しい。彼女の愛撫もまた、優しかった。
 だがその優しさの中で、彼女との行為の間ですら、私は彼のことだけを考えていた。彼はどんな人間だったか。彼とはそもそも何だったか。何という名前だったか。すべての記憶が曖昧になって消えていく。具体的な彼を、思い出せない。それでも私の隣で、彼は柔らかく笑っている。すべてを突き放す彼の笑顔は美しい。死んだ彼は、きれいだ。目を凝らすとやはり、そこにいる。
 大きすぎる洋館を燃やす炎は、世界を侵食しようとしている。私は、火事を眺め、彼女とセックスをし、それで何を得たのだろう。彼女がいなくなった部屋。私の隣にいる黒いスーツの彼が、遠くで爆ぜる火花によってはっきりと映し出される。山火事に似たその炎を、彼は何だと思っているのか。闇に紛れられない黒を背負った彼は、炎に見入っていて、私の方を見てはくれない。いつまでも横顔のままのその存在に、身震いせずにはいられなかった。私が彼女を新たな恋人に選んだというのに、彼は私のそばにいる。火事はまだ、続いている。





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