終二交ワレバ

 陸橋の上で、その女は僕に話しかけてきた。世界の終わりを見てみませんか、と。女は間違いなくそう告げた。はきはきとした朗らかな声だったが、エレベーターガールかバスガイドみたいに、どこか業務的な声だった。弾ける営業スマイル。その問いは、機械的に繰り返される。
 世界の終わりを見てみませんか。
 世界の終わりを見てみませんか。
 世界の終わりを見てみませんか。
 世界の終わりを。
 新手の新興宗教の類? 僕は気味が悪くなった。人間とは思えない話し方。人間は同じ言葉を同じ表情でこうも繰り返せる生きものだっただろうか。僕にはわからないが、少なくとも僕が知る「人間」という生きものにそれは不可能だった。結論として、この女は人間ではない。そういうことにしておく。

――だがしかし、それって存外愉快なことではないか?

 ふと、バグのように脳に思考が滑り込んだ。
 人間じゃない女の誘い。彼女は世界の終焉を見せてくれるという。
 もし、ここでイエスの答えを返したら、僕はどこへ連れて行かれてしまうのだろう。
 世界の終わりを見る。
 世界が終わる。
 別に終わったっていいさ、こんな世界。それが僕の本音だった。続いていることに意味が見いだせない世界なんて、消えてなくなっても意味なんてないだろう。それに、僕だけが死んで消えてなくなるのならともかく、世界が終わるということは、他の人間も平等に死に至るということだ。それならば構わない。
 ここで、頷いてしまえば。
 もしかしたら、世界は変わるかもしれない。
 ずるずると惰性のように続くことをやめ。
 終焉へと転がり落ちる。
 今ここで、僕の返答に、世界の行方がかかっているとしたら。
 それって、存外愉快なことではないだろうか?
 思わず、笑ってしまうくらいに愉快だった。
 僕は笑った表情のまま、迷うことなく頷く。その瞬間世界は色を変える。僕は瞬きをしていたから、その色が鮮やかに変わったのか、それとも色あせたのか、見極めることができなかった。女は先陣を切って歩き出す。そして陸橋の真ん中で、道路を向いてこう告げた。

 右に見えますのが世界の終わりでございます。
 左に見えますのが世界の終わりでございます。
 前に見えますのが世界の終わりでございます。
 後ろに見えますのが世界の終わりでございます。
 上に見えますのが世界の終わりでございます。
 下に見えますのが世界の終わりでございます。

 同じ語調で同じ表情で身動き一つせず。女は先ほどと同じようにそう宣告したのである。
 新手の新興宗教。いいだろう。
 もしくは本当の神の手先。天使。構わない。
 もしくは人間ではない何か。僕には想像もつかぬ何か。別に関係ない。
 しかし彼女がなんであるにしても――なかなか傑作な演出ではないか。
 この世界は終わりながら終わっている。この単調な一瞬一瞬が、全て破滅であり破滅への行程。彼女はそう言いたいのか。いや、言葉に変換して考察することなど無意味だ。彼女の行動はただ、彼女の行動でしかなく、それ以上の意味など持たない。そこに意味を付加するのは、人間の――僕らの、仕事だ。
 さながらろうそくを燃やすように――世界は少しずつ終わっている。
「傑作です」
僕がそう告げると、女はやはり営業スマイルのまま、ありがとうございましたと言った。ありがとうございます、ではない。過去形だった。それすらも心憎い演出のように思えて、僕は笑いを抑えることができなかった。傑作だ、本当に傑作だ。最低級のジョーク。最悪級の冗談。いいだろう。もしかしたら、つまらない頓知かもしれない。
 しかし、僕はとても満足した。
 少なくともこの惰性で続いていくつまらない世界は、いつか終わると認識できたのだから。
 その事実はそれだけで、とても大きな意味を持つ。
 終わりがないということは拷問で、終わることは救済だから。
 救済、なんてチープな単語で言い表してしまうと宗教の勧誘みたいで嫌なのだが、しかし何かが終わることは絶対に何かの救済につながっていると僕は思うのだ。世界の終りも、きっと例外ではない。ぼくはそう信じて、陸橋の上でロボットのように立ち尽くす女に背を向けた。

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