【 きえたクーロン 】

 これは、高校時代の話。
 おとなになった今となっては、実在したかどうかすら危うい、お伽話のような物語だ。
 僕の通っていたその学校はひどい進学校で、スパルタで……救いがなかった。
 もちろん、そのスパルタをくぐり抜けた先には一定の栄誉があるはずだった。
 でも……その栄誉がひどく虚しいものであるということを、今の僕は知っている。
 知りすぎるほどに知っている。
 勉強、受験、勉強、受験……それだけを呪文のように繰り返す僕らの、どうしようもない閉鎖空間。
 カラオケも、ボーリングも、アルバイトも知らないまま戦い抜かなければならぬ。
 僕は、おとなになった今でも、カラオケやボーリングに行ったことがない。
 今更行く気にもなれない。もう、青春なんて呼べるような時代は過ぎ去ってしまったから。

 そんなだから、恋もできなかった。
 ただ、好きな女の子はいた。
 その「好き」も、やっぱり勉強と受験で塗りつぶされて、いつのまにか可視化できなくなっていたのだけれど。
 今。真っ黒なペンキで塗りつぶされた絵画の前で、僕はその絵画に何が書かれていたのか、必死に想像している。その絵画の中にあるのは、とある一人の女の子と、ひとつの机。そして、消え入りそうに薄いエンピツで書き込まれた小さな僕。それだけだった。

 その机は、彼女の机だった。
 席替えをする手間すらも惜しいとでもいいたいかのように、僕らの高校では席替えをする機会が極端に少なかった。
 ゆえに、その机の中には、彼女の秘密が沢山詰まっているはずだった。
 放課後ならば、その机の中を覗き見ることくらいできたのかもしれない。
 でも、僕はその机に近づくことすら怖かった。
 当時の僕は、なぜ自分がそのように思うのか理解していなかった。
 今思えば、それは「臆病癖」とでも名付けられるような、僕の生来の癖であった。
 今も変わらず、僕はそのように、自分が傷つくかもしれない些細な可能性から逃げ続けている。
 彼女はとてもきれいな女の子で。「きれい」などという曖昧な褒め言葉で片付けるしかないくらい、非の打ち所のない普通の少女で――僕は、そんな彼女が好きだった。好きであるがゆえに、彼女をそれ以上知りたくなかった。知ることで、絶望するのが怖かった。

 声をかけられることすら恐ろしく、距離が近づくことすら嫌だった。
 だから、僕は彼女に対しても彼女の机に対しても、絶対に自分から近づこうとしなかった。
 ゆえに、彼女のことは何も知らなかった。
 好きな食べ物も、友人関係も、恋人がいるかどうかも、志望校がどこなのかも――あるいは、名前すら知らなかったのかもしれない。もはや今となっては、僕はそのきれいな顔すら覚えてはいない。はたして、本当に好きだったのかどうかすら、夢幻のようだ。

 さて。そんな臆病癖をもつ僕だったが、一度だけ彼女の机に触れたことがある。
 その日はおそらく学期末だったのか、突然に大掃除をしようということになった。
 しかしながら、教室に残されたのは僕を含めて男子が二、三名だけで……これも事情は覚えていないので推測するしかないのだが、部活に入っている者だけの招集があったとか、何かの科目で一斉に再テストかなにかを行っていたとか、そんな感じではないだろうか、と思う。

 僕以外の男子たちがどのような顔ぶれだったのかも思い出すことはかなわない。が、とにかく、僕らは教室に40個以上ひしめいている机たちを、数名ですべて動かさなければならないという任務を背負わされていた。大掃除でやらなくてはならないことは机を動かすだけではないため、実際は、ほぼ僕一人が机の移動をさせられていた。
 そんな状況下だったので、僕はこれまで触れたくないと思っていた彼女の机を、元の場所まで動かさなければならなかった。

 誰か代わりにやってくれないだろうか、と周囲を見回したが、みんな忙しそうに動きまわっていて、「この机を動かしてくれ」なんて言い出せる状況ではない。ため息をつきながら机に近づくと、その机はなんだか他の机よりもひどくきれいで、まるで今日教室に持って来られたような風情だった。
 さっと手に持ったぞうきんで表面を拭うと、なんだかいけないことをしているような気になって、心臓がドキドキしてきた。もともとピカピカしていたその机を、ぞうきんで拭ったせいで逆に汚してしまったような、そんな気持ちだった。

 いよいよ、その机を持ち上げなくてはいけないという段になって、僕は躊躇していた。持ち上げるだけでわかることなんて何もない。教科書が沢山入っていれば重く、何も入っていなければ軽い。ただそれだけのこと。うっかりひっくり返したりしない限り、中に何が入っているかはわからないはずだ。でも、触れることがひどく怖い。机に触れる頃には、指先が少し汗ばんで震えていた。

 ええい、ままよ。
 そんな古臭い言葉とともに、僕は机を両手で持ち上げた。
 カラン、と不可解な音が聞こえた。
 鈴のような、鐘のような、あるいは貯金箱のような、金属の音だ。
 しかし、机の土台は金属製だ。中に入っているものまで金属とは限らない。

 いったい、何が入っているんだろうか。

 揺らしながら運ぶと、僕が足を動かすたびに、歩を進めるたびに、カラン、カランと鳴る。
 不可解だが――なんだかとても癒やされたし、教科書だらけの重たい机よりも、落書きだらけのふまじめな机よりも、何も入っていない身軽な机よりも、彼女らしい気がした。
 涼しげに。
 バカにするように。
 カラン、カランと。
 定位置まで運び終わった僕は、その机から離れ、次の机を運ぶために動き出していた。
 もう、心臓の鼓動は元通りになっていた。
 いったい、何が入っていたのだろうか。
 蓋をしてあるわけでもない、彼女の机を覗きこめば、何が入っていたのかはすぐにわかるはずだった。

 でも、僕はそうしなかった。それは臆病癖ゆえではない。カラン、カラン。その音だけで、僕はなんだかとても満足だったからである。春の線香花火の匂い。夏に道端に漂う鍋焼きうどんの匂い。秋に少しだけ降った雪の匂い。冬に嗅いだプールのカルキ。そんな季節はずれのセンチメンタルを僕はひどく愛していた。意外性の発露というものは、いつだって臆病な僕を驚かせ、満足させる。彼女の机は、意外性のない勉強と受験で凝り固まった僕の脳に心地よく音を滑りこませ、包み込み、僕の青春の思い出から他のすべての要素を消し去っていったのである。

 そんなことはあるはずがない、とあなたは思うだろうか。それもいいだろう。
 理解されようとは思わないが、クラスメイトの名前も、顔も、彼女の姿ですらも、もはや僕の思い出の中にはないのである。ただ、あの木造の校舎を思い出すと、カラン、カランとあの懐かしい音が脳内に響き、その音だけが自らの青春を構成しているという現実に直面する。ただそれだけの話なのである。真っ黒に塗りつぶされた絵画を構成する少女、僕、机という三要素を、ただその音だけが繋ぎあわせていた。だから、思い出話をしようにも、このような曖昧な形でしかできない。曖昧で臆病な僕は今日も、高校時代を思い出しながら、あの音だけを鮮明に再生する自分に気づくのである。からっぽの机の中で跳ね回る何かの存在とともに。
 カラン、カランと。



2014年1月16日