【 孤独門 】

 ぼくはこの四年間、いつも、そこにいた。
 この大学の校門である。
 晴れの日も、雨の日も、雷の日も、休校の日も。
 最初は単に、学校の中に入ることができなかった。だから、門の前にいるしかなかった。ぼくはひどい対人恐怖症で、高等学校を中退していた。必死になって大学受験と入学式にまではこぎつけたが、初めての授業の日に学校に入るときになって、急に怖くなった。
 足が震えて、動けない。
 高校をやめ、この上、大学にまで行けなかったなんて、親に言い出すことはとてもできない。それで、中に入ることも、帰ることもできず、ただ、門の前で呆然としていた。途中で、通行人の邪魔になっている自分に気づいて脇にどいたけれど、それ以上は動けず。その日はそのまま、本を読んだり、ぼーっとしたり、携帯電話の画面を見て過ごした。

 おどろくべきことに、学校のなかに入ろうと思わないまま、一年間が過ぎていた。毎日、変わらず、ぼくはその場所にいるだけだった。大切な日々を、ムダに過ごした。こんなことなら、大学になんて入らなければよかったんだろう。だが、そんな後悔は意味を成さない。
 親にはまだ、合格したはずの大学に行っていないことを打ち明けられていなかった。実家暮らしであるため、判明する機会はいくらでもあったのだが、日頃からぼくにあまり関心をもっていない親たちは、一年間、まったく気づかずにいたらしい。
 うしろめたさだけが膨張し、家に成績が郵送される日になってから、急激に怖くなった。
 成績表はきっと、「不可」の文字で埋まっているだろう。それも、「試験未出席」という文字を添えて。どうして試験に出なかったのか問われてから、親はようやく知るんだ。このぼくは、試験どころか、学校の教室の間取りすら知らない、ということを。
 その日、ぼくは早朝に家を飛び出して、深夜まで外で過ごした。せめて、親が郵便物を開ける瞬間だけでも、見ないで済まそうと思ってのことだった。愚かな社会生活不適合者だということはわかっている。だが、わかっていても、どうにもならないことはある。

 ……深夜にぼくが死刑囚のような顔で帰宅すると、母が満面の笑みでぼくを出迎えてくれた。
「あらトオル。ずいぶんいい成績ね。お母さん、びっくりしちゃった」
「なんだよそれ。嫌味?」
「嫌味なんかじゃないわよ。ほら、見てみなさい」
母は成績表を差し出した。
「………え?」
ぼくは目を疑った。そこには、「優」の文字しかなかった。うちの大学では、一番いい評価。確か、80点以上の科目にしかつけられることのないものだ。試験未出席、なんてどこにも書かれていなかった。出席していない、担当教師の顔すら知らない科目に、すべて「優」がつけられていた。
 さらに不可解なことに、成績表の最後にはこうコメントが付けられていた。
 「きみの成績はとても優秀です。来年、再来年もこの調子でお願いします」

 人違いだろうと思い、心臓をバクバクさせながら、大学の事務室に電話を入れた。
 家で母親に聞かれてしまうのが怖くて、わざわざ外に出て、駅のホームでかけていた。
 事務員は「人違いではありませんよ。われわれはあなたの業績を高く買っているんです」と平然と言い放ち、ぼくを困惑させた。
「業績ってなんなんです? ぼくは、学校になんて一回も行っていない」
「それは正確ではない。あなたは、学校にはちゃんと来ているでしょう?」
 たしかに、学校には行っている。でも校内に入ってはいないのだ。行っていないのと同じではないか。それがなんだって言うんだろう。学費をムダにするなという嫌味だろうか。
「とにかく、今のあなたの生活はわれわれにとって非常に有益なのです。どうか、欠席のないように。このままの生活を続けてください」
 そこで、電話がぶつんと切れた。
 なんだか急に怖くなってきた。
 ぼくはとんでもないものに関わっているのではないだろうか。

 その次の年、ぼくは懊悩した。
 いい加減、授業に出るべきではないだろうか。あるいは、親や教師に真実を言って、学校をやめさせてもらうべきでは。
 しかし、一年目にはなんらかの単位が出ている。校内にいなかった自分は、授業に出て単位がもらえるという単純なシステムすらよく理解していない。そんな基本的なことを一から説明するのが恥ずかしい。それに、「来年、再来年もこの調子でお願いします」という一文が、どうもひどく重いものに思えた。門に立つことが、このぼくに唯一課せられた役目のような、そんな。
 結果、その年もぼくは校門脇の木の下にずっと立っていた。
 他の生徒からしてみれば変質者のように映ったかもしれないが、少なくとも、彼らがぼくを疎ましく見ているような素振りは何もなかった。
 そして、家には成績表が郵送されてきた。
 やはり、「優」の字で完全に埋められた、完璧な成績表だった。

 そうして、ぼくは大学の四年間を学校の門のすぐ外で過ごした。何の青春もなく、何の物語もない。一日中、桜の樹や、学生たちや、季節ごとに移ろう空を見ている間に、毎日が流れていった。孤独な毎日だったが、ふしぎと「やりがい」のようなものを感じた。毎年送られてくる「優」だらけの成績表は、ぼくをとても勇気づけていた。
 卒業式もそこで過ごしたが、卒業証書はきっちり郵送されてきていた。
 狐につままれたような気持ちで、ぼくは大学を卒業した。

 そうして卒業したぼくは、現在、何をしているとあなたは思うだろうか。
 外に出てまっとうに働いている? それとも、ニート?
 どちらも違う。
 実はまだ、あの門にいるのである。

 ぼくは、毎日、朝には校門に行き、日が暮れ、学生たちがいなくなっても、ずっとそこに立っている。卒業したのになぜそんなことをしているのかというと、学校側から正式に依頼があったからだ。給料はきちんと出ている。時給二万円という、アルバイトとしては破格の給料だ。といっても、ほぼ一日中、門の前にいなくてはならないため、そんな多額の給料をもらったところで、遊んで暮らせるわけではないのだが。

 ぼくを雇っている学校関係者の言い分によると、これは何かの実験なのだそうである。何の実験なのかは教えてもらえない。
 心理学や精神医学の実験かもしれないし、生死に関わる人体実験なのかもしれない。個人的には、あの学校の中には毒ガスや放射能がうずまいており、ぼくはそのガスが校外へ漏れていないかどうかを確認するために派遣されているのではないかと予想しているのだが、真実は闇の中である。あるいは、社会に適応できないぼくを珍獣のように観察しているのかもしれない。
 ただひとつ判明していることは、この大学の卒業生が、どこかの会社に就職したとか、OBとして学校に遊びに来たとか、他校の院に進学したとか、そんなうわさ話はどこからも聞こえてこないということである。それが何を意味しているのかは、一介のアルバイトであるぼくにはさっぱりわからないので、賢明なあなたの想像にお任せするとして……

 なお、ぼくはこの仕事をやめようとは思っていない。
 何もできないぼくが、唯一、この場所でだけ存在を認めてもらえるのだから。
 幸い、健康に異常はない。精神的にも、とても気分がいい。今日も、門の前から眺める景色は最高だった。笑い合う学生たちの青春は、燃えるように一瞬で消化され、消える。その後には、一人でたたずむぼくだけが残される。とても後味が悪いが、何かに勝ったような気分になれる。ぼくは青春を消費しない。恋人や、友人や、教師や、クラブ活動、授業など、すべての青春の可能性を放棄する。自分では何もせず、他人の青春の消えていくさまを見つめ、楽しむのみだ。そして思う。
 ああ、孤独とはかくも素晴らしく、入り口から中に入らないということは、最高に背徳的な悦楽だと。

 棒立ちしているぼくの前を歩いていた、短めのスカートを履いたうつくしい黒髪の女性の髪が、一瞬にして茶に変わる。明るい色の髪になった彼女の隣には、先程までいなかったはずの男性がいつのまにか立っていたが、数分後にはもう消えてなくなっている。残された女性は、黒いスーツに身を包み、髪を黒に戻し、硬い表情でどこかへ消えていった。おそらく、就職活動を始めるのだろう。彼女がその先どうなったのかは知らない。
 ぼくの前にはまた別の女性がやってきて、同じように茶髪に変わり、男子を従え、青春を燃やし、そして燃え尽きて去っていく。この世界はそんなふうな同じことの繰り返しで巡り巡る。そして、ぼくは巡らないままで立ちすくんでいる。もちろん、女性に触れたことは一度もない。
 そうしてまた、見守りがいのある、うつくしいさくらの季節がやってくる。「優」の字に彩られた成績表とともに。


2014年4月18日