冬空チョコレート




 手作りチョコレートに起因するいくつかの事件を経て、バレンタインデーにチョコレートをつくるという行為に懐疑的になった私だったが、彼にまとわりつく数人の女子が、はりきってチョコレートをつくっているという情報を聞いてしまった。いてもたってもいられなくなり、二月一日から慣れない作業にかかりきりだ。
 
 ところが、つくってもつくっても、うまくいかない。そりゃあそうだ。普段からお菓子に興味津々、能力を上げるために金も努力も惜しまないリア充少女たちはめちゃくちゃ強敵なのだ。彼女たちは何の苦もなく高い材料を買ってくるし、何のためらいもなく同級生に試作品を食べさせ、意見を問うことができる。

 甘いものが苦手、そもそも市販物よりおいしいチョコレートなどつくれるわけがない、料理も苦手だし金もない、こんなもの他人に食べさせられるわけもない……とあきらめ気味な私とでは、立っているフィールドが違うといえるだろう。スキルも経験値も圧倒的に劣っているし、なによりもやる気が欠けている。
 このままでは勝ち目などない。だが、私はどうしても憧れの彼にチョコレートを渡したかった。というか、彼をチャラチャラした女子にとられたくなかった。

 彼は「文系男子」を絵に描いたような外見で、お世辞にも世間における普遍的なイケメンとはいえない。髪はすこしぼってりした黒で、不潔ではないが、美容室にこまめに行っているとは思えない髪型だ。着ているのはいつだって無印良品のポロシャツ。冬にはそれにマフラーとコートが追加されるくらいで、他の時には、まるで季節感がない。
 ただ、そのシンプルな服装と、嘘のない身のこなしが、なぜか女子たちを惹きつけるらしかった。バレンタインデーには毎年、両手で抱えきれないほどのチョコレートが彼の元へやってくる。

 さて、二月の特別講義をサボって家でお菓子をつくりまくった私は、一旦、外へ出た。チョコレート以外にもいろいろつくってみたが、まるでダメだった。どう頑張っても料理のできない人間というのは存在するんだ、と初めて知った。

 疲れを癒しにサークル棟へ行くと、サークル・ルームの外には彼がいた。どうやらタバコを吸うために部屋の外に出たらしい。
「先輩、お疲れさまです」
「おー、おつかれー」
その日にお互い何をしていようとも、第一声は「おつかれさま」になってしまう、という大学生の不思議な習慣はさておき、彼は冬空の下、煙を操りながらぼんやりとしていた。首に巻いているストールもやはり無印良品のもので、「どんだけ無印好きなんだよ」と心のなかでツッコミを入れつつ、私は彼の隣に立つ。

「もうすぐバレンタインデーだね」と、彼は私に問いかけてきた。
「ええ、そうですね」
「俺、毎年考えるんだけど、一度も話したことのない冴えない男に、どうして手作りチョコレートなんてあげようと思うんだろうね」
「…………」
その言葉はまったく愚痴っぽくなく、純粋に疑問に思っているという響きだったので、少し笑ってしまう。私は、彼から目をそらして空を見上げた。そこには夕暮れの雲がぼんやりかかっていたけれど、ずっとチョコレートと格闘していたせいか、雲はうっすら茶色に染まって見えた。
「それは、先輩が魅力的だからですよ」……などと言うわけにもいかず、「さあ、不可解ですよね」と受け流した。彼は煙をくゆらせて、
「俺は甘いものが苦手でさ。チョコレートも、昔虫歯になった思い出があって、味は甘いけどすげえ苦い気分になるんだよな。どうせ茶色いものをくれるなら、せんべいのほうがいいなあ……なんて」
私は声を出さずに苦笑した。こういう彼だからこそ、私たちはチョコレートをつくってやりたいと思ってしまうのだろう。全身を無印良品に包んだコーディネートで、バリバリとせんべいを食べる彼の姿を想像して、どうしてだろうか、とても愛着を感じる。

「じゃあ、私はせんべいを持ってきましょうか?」
思い切ってそう告げてみると、彼はこう答えた。
「それ、いいね。俺は手作りチョコレートを全部食べる気分にはなかなかならないけど、きみの持ってきたせんべいなら食べてもいいかもしれない」

 風が吹いて、彼のストールの先がひらひらと舞う。それは彼のタバコの煙と混ざって、冬の澄んだ空気のなかに閉じ込められていた。ああ、素朴だ、と私はつぶやいた。私はそんなふうに素朴なあなたが大好きなんだ。

 数日後、彼のもとへたくさんのチョコレートと、一袋のせんべいが届いていた。彼は私に、「おいしい緑茶を入れて、食べるよ」と耳元で告げてくれた。私の恋心の行き先はまだ分からないが、とりあえず、このバレンタインデーに他の女子たちに彼をとられることはなかったらしい。彼とお揃いのせんべいを一袋開封しながら、ほっと安堵した。



20140531