「これ、あげる。ほしいって言ってたでしょ?」
あの日。そう言って、美玲はわたしに万年筆を手渡した。上品な臙脂色が印象的で、実際に買うと数万円はする、高価な品だった。貧相な大学生には手の届かないようなそれを、美玲は投げ出すように渡した。
「どうして?」
と問いかけると、美玲は嫌そうな顔をした。彼女は自分の内面を探られるのを極端にいやがるところがある。機嫌を損ねられてもいやなので、それ以上は問わなかった。
 美玲とわたしは、恋人同士だったのだろうか。今になって自分に問いかけてみるものの、よくわからない。ふたりとも、自分たちの関係を定義するのが苦手だった。忌避していたと言ってもいい。いまだに、わたしは恋とは何なのかわからない。おそらく、美玲もそうだ。わたしたちは未熟なままでおとなになってしまった。もう、その失敗は取り戻せない。
 今朝、わたしが目覚めて机に向かうと、あの万年筆が消えていた。あわてて、同居人の番堂航太に問いかけてみると、捨てたと言われた。とてもあっさりとした口調だった。
 番堂という男は、どうやらわたしを恋人だと思っているらしい。わたしは、その認識に対して、肯定も否定もしていない……ような気がする。肯定も否定もしないということは、つまり肯定しているということなのだが、美玲とのあいまいな関係を経ているせいか、番堂と恋人同士であるという認識が非現実的に思える。
「前の恋人にもらったんでしょ。インクも固まってるし、使えないし、捨てちゃったよ」
「そっか」
番堂の言葉に、機械的な頷きを返した。固まったインクなんてメンテナンスすればどうとでもなる、などとは言わなかった。わたしは、怒っても悲しんでもいない。他人に自分のものを捨てられて悲しむという、一般的な感性を持っていないからである。ただ、当たり前に一緒に過ごしてきた美玲の万年筆が、もうここにはないのだと思うと、心に穴があいたような感覚に溺れる。
 心に穴があくというのは、わたしにとっては悪いことではない。穴があいたぶんだけ、新しいものを詰めることができるという気がするからだ。もともと、わたしは美玲に固執しすぎているきらいがある。もう、美玲と会わなくなって五年も経過しているというのに、毎日、彼女の幻影に支配されている。それを見かねた番堂が万年筆を捨ててしまうのは、理にかなっている。わたしはおそらく、意識の底で、彼がそうしてくれるのを望んでいたのだと思う。
 美玲という女の子は、いったい何だったのだろうか。暴力的なのに、たまに優しくて、うつくしくて、厳しくて――。まったく、変な子だと思う。あの臙脂の万年筆は、まさに美玲のように扱いづらくて、愛おしかった。最近のわたしは、もう万年筆なんて使っていない。文具屋で安いボールペンを買って、それを使うようになった。五年前にはあれだけ執着した万年筆に、今は見向きもしない。要するにわたしは、薄情なのだ。
 薄情だから、美玲の万年筆を捨てられても、なんとも思わないのだろう。美玲が見たら、怒るに決まっているのに。美玲はとても怒りっぽい女の子だったけれど、今思えば、彼女はわたしのかわりに怒っていたのだと思う。美玲がいたから、わたしは怒らずにいられた。そのときの癖が抜けないから、いまだにわたしは怒らないのだ。
 わたしは安物のボールペンと日記帳を取り出して、「2月29日 心にあながあいた」と書いた。つづけて、「当たり前に存在していたものが、ひとつだけなくなった」と書き出すと、ボールペンの優しい書き味が癖になってきて、熱に浮かされるように、長々と美玲のことを書き綴った。書き終わると、当たり前にそこにある机に突っ伏して、こう思った。

――美玲。わたし、まだまだ変われないよ。当たり前の風景に埋もれているだけだ。美玲がいなくなっても、美玲がいるのと何も変わらない。そんな自分が、いやでたまらないんだ。

 これから、番堂と一緒にランチを食べに行く予定だった。しかし、化粧もせずに、わたしは美玲のことを考えていた。
 愛しくて憎らしい美玲。
 わたしは、あなたにもう一度会いたい。臙脂色の万年筆と番堂の話をしたら、あなたはわたしのかわりに、また怒ってくれるだろうか。


20160229

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