テレフォン・ショック




 つまらない人生。まったくもって何もない人生。
 進学にも就職にも結婚にも失敗はしておらず、順風満帆といえばたしかにそうなのだけれど、それでも、どうしようもなくからっぽな人生だった。
 ある日、そんなぼくのもとへ、電話がかかってきた。

「ねえ、お兄ちゃん? 繭香だよ。久しぶり」
「まゆか?」
補足しておくが、ぼくに妹や姪はいない。ぼくは、一人っ子だ。親戚の子や友人の子のなかにも、このような声の少女はいなかったと思う。
「お兄ちゃんのおかげで、こんなに大きくなったよ。テレビ見てくれてる?」
首をひねりながらテレビをつけると、そこに電話を手にしたアイドルが映り、画面の向こうから微笑みかけていた。
「やほー。お兄ちゃん、お久しぶり」
あらためて同じ言葉を繰り返した少女の胸には、「トゥエンティー・スリー・ガールズ 阿良垣谷繭香」という名札が下がっていた。
トゥエンティー・スリー・ガールズ……世間知らずのぼくでも名前くらいは知っている。今、世間を賑わせているアイドルグループだ。
しかし……そんな有名人に「お兄ちゃん」などと呼ばれる覚えはなかった。

「やだなー、お兄ちゃん。なんでそんなに冷たい声なの?生き別れの妹と、感動の再会。テレビ的にも重要な見せ場なんだけどな」
彼女がそういうと、会場からどっと笑いが起きた。
「生き別れの妹、だって?」
これは間違い電話に違いない。さすがに、自分に妹がいるかいないか、それくらいわかる。だが、「間違い電話です」なんて言おうものなら、生放送であろうこの番組は大幅に盛り下がってしまうだろう。
「ああ、すまない、繭香。あんまり久々だからさ、びっくりして、声も出なかったってわけ」
自分が、あまりにさらさらと嘘を並び立てられたことに困惑する。
「いやあ、でもまさかテレビで流されているなんてね。恥ずかしいから、そろそろ切らせてもらってもいいかな」
「いいともー!」
と彼女がノリで言うと、また、会場が沸いた。
「じゃあね、お兄ちゃん。また今度ゆっくり話そう?」
電話が切れた。夏だというのに、受話器が妙に冷えていることに、その時ようやく気づいた。


 翌日、ぼくの家に阿良垣谷繭香がやってきた。
「どうも、お兄ちゃん。今日から一緒に暮らそうね」などと理解しがたいことを口走ってはいたが、ぼくは彼女を拒否することがどうしてもできなかった。

 あの後、ぼくは妻に阿良垣谷繭香の話を振ってみたのだ。妻は青ざめた顔で、阿良垣谷繭香はすでに数年前に死んでいること、あの番組は電話を用いた心霊実験により、死んだ彼女の霊を呼び出すことを目的としていたものだということを教えてくれた。

 阿良垣谷繭香は、本来スタントマンにまかせるべきである危険なスタントプレイに自ら参加し、失敗して死んでしまったらしい。彼女がアイドルをやっていたのは生き別れの兄を探すためというのは本当らしく、スタントマンを雇わなかったのも、おそらくはそんな彼女の情熱ゆえだったのだろう。

 そして、生き別れの兄はついぞ見つからなかったが、胡散臭い心霊実験とやらはまんまと成功してしまった。ぼくには関係者からは何の説明もなかったので詳細はわからないが、たぶん、あのとき、呼び出された彼女の霊と思しきものは、たまたま電話がつながった相手を、「生き別れの兄」として認識するようになっていたんだろう。

 さて、不明なことは多いものの、ひとつだけわかっていることは、我が家に幽霊の同居人が増えてしまったことである。食い扶持には困らないが、「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」とやかましく言いながら部屋を駆けまわる少女の世話は意外と大変だ。
 どうやら、ようやく、ぼくの人生は「ただつまらなく、味気ない」だけのものではなくなってきているらしかった。



20140606