奴隷



 家庭用執事アンドロイドが一家に一台置かれる時代となり、旧来型の日本の家というものは姿を消しつつある。
 このアンドロイドを制作したダルクス社によれば、中年男性というものは人類のなかで一番家事に優れている体の持ち主なのだそうだ。ダルクス社の気狂いじみた言い分はこうである。

『若い少年少女には経験が足りず、中年の女性には体力が足りず、老年層にはやはり体力が足りない。中年の男性こそが、家を切り盛りし、持ち家の手入れをし、一日中ずっと家を見守り、弱い家族を支える存在であるべきなのだ。しかし、一般に存在する中年男性たちは、不況の時代において、一日中働くことでしか家を支えられない。本当は、彼らは家事をするべきなのに。』

 この論理が持つむりやりな印象と奇妙なジェンダー的価値観はさておき、とにかく、この会社はこういった意味不明な理由をもとに、中年男性型執事アンドロイドをつくり、流通にまでこぎつけた。
 アンドロイドであれば、一度買ってしまえば、あとは主が維持費さえ払えるのなら、ずっと家庭にいてくれる。年も取らず、いつまでも力持ちの男性の体力で、すべての家事をまかなってくれるのである。なお、このアンドロイドには自らの運動によって発電を行い、電力を自給自足するというSFめいた機能がつけられているため、法外な維持費は発生しない。それもダルクス社の売りだ。
 不思議なことだが、今や、日本の家庭の6割がこのアンドロイドの導入に踏み切ったという。

 そして、私は今日も、黒い燕尾服の『彼』の背中を見ながらお茶を飲む。
 『彼』に名前はない。もちろん、各家庭において名称がつけられることもあるのだというが、少なくとも我が家において、アンドロイドはアンドロイドでしかなかった。
「ねえ、私にも掃除をさせてよ」
戯れにそんなことを言ってみたが、彼は「いえ、ご主人さまに掃除を言いつけられたのは、わたくしですから」と、かしこまった表情で答えるだけだった。
 私は一応、専業主婦という存在だったのだけれども、最近、この『彼』を主人が買ってきたせいで、やることがなくなってしまった。
 まだ老後という年ではないけれど、これから新たに働こうという意欲があるような年齢でもない。老いは確実に始まっていた。特に趣味もなく、子供がいるわけでもなく、毎日がとても退屈だった。
 『彼』は非常に優秀で、広いこの一軒家を、毎日、完璧に掃除してみせる。料理だって、私がつくるよりもずっとおいしいのだ。もはや、私は自分が生きているのかどうかすら、よくわからなかった。

 主人はどうやら、『彼』が自分の命令をなんでも聞いてくれることに、満足しているようだった。家事が完璧にこなされることよりも、妻の家事が軽減されることよりも、彼は『彼』を支配することで充足を得ている。気持ちは想像できなくもない。若い会社の後輩などならともかく、うちの主人と同じくらいの年齢の男性を、思い通りに動かすことができることなんて、この社会の中年男性たちにはなかなかできない。他人が思い通りに動かせて、なんでもいうことを聞いてくれる、ただそれだけで、主人は完全に満たされてしまったのだろう。新しいおもちゃに、夢中なんだろう。

「あなたは、こんなふうにみじめなおもちゃにされて、かなしくないのかしらね」

『彼』にそう語りかけてみたが、高機能アンドロイドは、私の憂鬱な表情を見てすこし首を傾げるくらいで、特に何も答えなかった。その、感情を持たない挙動が、私の胸を締め付けていた。私は人間なのに、主人には見向きもされなくなってしまった。『彼』はただの機械なのに、どうしてだか人と人の感情の狭間に落ちていく。

 『彼』は、少し老いてはいるけれど、とても整った顔立ちをしていた。私の主人も、私も、これからどんどん老いて、醜くなっていくというのに……
 私は、この人ならざる人に恋をするかもしれない。でも、その感情は絶対に恋ではないのだ。私も主人と同じで、うつくしい下僕がほしいだけ。そしておそらく、日本中でこのアンドロイドを購入している人たちも、同じ感情に目覚めるだろう。ダルクス社はとんだサディズムをこの国にばらまこうとしているらしい。『彼』を引き寄せてキスをしたくなったけれど、黙々と掃除をするだけのその哀れな背中には触れてはいけない気がして、私はそっと目を伏せた。


20140617