花は盛りに



 教師が生徒を廊下に立たせる、という行為を体罰として断罪したがる人間は多い。が、一方で、フィクションの世界において「授業中に廊下に立たされる」瞬間は、出会いのチャンスである。また、物語が展開することを予感させる描写でもあり、鮮やかな場面転換の瞬間でもある。通常、授業と休み時間を行き来するだけの単調な学生生活というもののなかで、「授業の途中であるにもかかわらず廊下に出る」というアクションは、ささやかな非日常の扉なのだ。現実ではただ一人で寂しい場所に立たされているだけの現象なのだが、フィクションの世界という視点に立ってみると、これは非常に魅力的な場面なのである。ぼくはこれに憧れているのだ。

 ということで、ぼくは数日前から、廊下に立たされるべく、非行を重ねていた。
 なぜ廊下に立たされたいのかというと……やはり、非日常の扉を開きたいから、だろう。
 ぼくの場合、その非日常には、「恋愛」という名前がついていた。

 カリカリ、カリカリ、と鉛筆の音をさせながら、ノートの端に落書きをしたり、手紙を背後の男子に回したり、早弁をしたり……そんな日々を過ごしていた。しかし、なかなか気づいてもらえない。ぼくはこんなにも目立つところで悪事を重ねているというのに。

 彼の横顔を見る。涼やかな風貌。女子生徒に人気があるのも頷ける。清潔感のある白のポロシャツに、スラックス。ありがちなスーツではないところになんだか愛嬌があって、好きだった。「竹取物語」を鮮やかに音読する声は澄みわたり、教室のなかでうつくしく反響していた。
 彼は真面目で一生懸命だが、すこし視野が狭いところがあるらしい。教科書と黒板を往復する目は、生徒たちをとらえてなんていないのだ。特定の生徒に質問を振ることもあまりない。だからこそ、ぼくがこのように非行を重ねても、気づいてくれない。

 ぼくはもともと古典が好きで、古典だけは点数が良かった。そんななか、彼がぼくのクラスの古典の担当者となったときに、どうしてだか恋をしてしまった。それまで、同性が好きだなんて考えたことは一度もなかった。そのときから、ぼくのなかで、教室というものの色が急に変わった。他の科目に意味が感じられなくなった。ただただ、彼が音読をしながら古文を訳していく。それだけの空間になっていた。

「石垣くん」

と、彼がようやくぼくの名前を呼んだ。ぼくは飛び上がるように、ノートの上に堂々と広げた手紙を隠さないまま、立ち上がった。

「廊下に立っていなさい」
と言われることを期待していたのだけれど、彼はこう言った。
「この先を音読してください」
ぼくは、手紙を書きながらも話は全部聞いていたので、その部分をすぐに視認することができた。

「万の事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情も、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとりあかし、遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ。」

 この記述は、ぼくが記憶のなかからひっぱりだしてきたものなので、細かい部分は原文と違っているかもしれない。ただ、ひとつ覚えているのは、それが「徒然草」の一三七段……男女の恋愛について兼好が述べたくだりだったという部分だ。

 音読をしながら、すこし悲しくて、とても嬉しい気持ちになった。会えない夜を明かし、遠くから相手を思い、そんなせつない行為すらも、恋愛の趣の一部分なのだ。
 ぼくは恋をしている。徒然草を音読しながら、そのことを確認していた。
 ただ、彼に気づいてもらいたかった。
 殺風景な教室のなか、彼がいるだけでしあわせな気分になれる、このぼくがいることを、彼に知らせたかった。

 彼が気づいてくれたのかどうかはわからないが、この日の事件はぼくのなかの恋愛を象徴する、非常に印象的なものであったということだけはまちがいない。ぼくのなかの教室には彼しかおらず、そんな彼がぼくに話しかけてくれたという事実。そして徒然草の暗示的なことば。
 ふたりの関係は何も進展してなどいないのに、なぜだかとても満たされた気分で、ぼくは着席したのだった。


20140709