月光の病



 わたしには顔がない。
 人間としての体もない。
 ただ、緑色の葉と茎と、ちいさな桃色の花があるのみである。

 ある月光のきれいな夜、病にかかった。
 体を植物に変えてしまう流行り病で、治すすべはないと言われてしまった。
 まるい月があおく輝く夜には、決まって、この病になる人間がいるのだという。
 わたしたちは『月光罹患者』と呼ばれている。
 ほかの植物と同じ場所においておくわけにもいかないと思ったのだろうか、月光罹患者は町外れの植物園に並べられ、手厚く看護されていた。
 もはや話すことも、動くことも、相手に気持ちを伝えることもままならぬ月光罹患者たちには、心強い味方がいた。

「やあ、今日も元気そうで何よりだ」

 毎朝、そんなふうに話しかけてくる彼の名は、月影といった。本名なのかどうかは知らない。彼は、植物に変えられた月光罹患者と会話することができた。ほかの人間には決してなしえないことだ。おそらく、超能力の一種なのだろう。

 わたしが「おはようございます」と心のなかで念じると、彼は「ああ、おはよう」と答える。意思が通じているというだけで、涙が出そうに嬉しい。涙なんて人間らしい物は、もはや持っていないのだけれど。

 月影は、植物園の罹患者たちのなかでも、わたしに特に執着しているようだった。
「きみは本当にかわいらしい、すてきな人だ」
いつだって彼は素直な愛を語る。わたしは、人間だった時分から、そんなことを言われたことはないものだから、つい本気にして、うきうきしてしまう。

「月影さま、どうしてわたしのことをかわいいなどと言ってくださるのです? わたしは人間ではありません。そして、植物になる前から、誰かに好かれるような人間ではありませんでした……」

 満月が空のまんなかでぴかぴか輝く、どこかふしぎな夜。わたしは彼にそんなことを尋ねてみた。彼はにっこりと笑って、ほかの植物たちに聞こえないようなひそひそ声で、こう言った。

「ぼくはね、きみの咲かせるうつくしい花に恋をしているんだ。人間に恋をしたことはない。昔から植物が好きだったけれど、月光罹患者たちの咲かせる花はいっそううつくしく、ぼくの心を捉えて離さない……」

 彼の話を、わたしは途中までしか聞いていなかった。ただ、わたしは彼を哀れな人だと思いながら、月のきらめきのなかに隠すように、彼に恋をしていた。このことは彼には告げないでいようと思った。


20140826