わたしを救わなかったあの子



19XX年 7月29日 晴れ

 苦しんでいる人を見ると、わたしも苦しくなってしまう。
 そういう病気なのかもしれないと思う。

 たとえば、わたしはニュース番組を見ることができない。
 見ると、そのなかにあふれるさまざまな不幸に、呑み込まれてしまう。
 わたしはスポーツ番組を見ることもできない。
 スポーツには勝ちと負けがある。努力したにも関わらず負けた人間の苦しみが、わたしにも伝播する。とても苦しい。
 同じ理由で、アニメやドラマを見るのも苦しい。
 ブラウン管のなかには、他人の不幸を消費しようとする誰かの悪意が満ち満ちている。
 同情や支援すらも、不幸の消費の一端でしかないという気もするのだ。
 もちろん、わたし以外の誰がどんな行動をしていようとも、その行動の邪魔をするつもりはない。批判する意図もない。ただ、わたしは、不幸な他人を見るとただただ苦しい。自分のほうが不幸になってしまう。息ができなくなる。こういう態度は不謹慎にあたるのだろうか。よくわからない。

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20XX年 7月30日 晴れ

 昔――教室のまんなかで、クラスメイトがいじめられていたことがある。わたしはいじめられていなかったのだけれど、見知った人間が目の前で暴行されているのを見て、吐き気をもよおした。しかし、教室を出て行くわけにもいかなかった。今、この瞬間、絶対に目立ってはいけない、と本能が叫んでいた。標的にされたくない。ただ、それだけだった。

 しかし、直視することもなく震えていた。息を止めて、吐き気をおさえるように、ガクガクと足を震わせるわたしに、隣からひっそりと声をかけた人がいた。

「同情なんてしなくていいのよ」

 驚くほど冷たい、人でないような声だった。急にそんなことを言われて、一瞬だけ震えが止まってしまった。

「同情、っていうとなんだかよくない響きかもしれないから、言い直すわ。共感なんてしなくていいのよ。それも、過剰な共感なんて。生きにくくなるだけ」

 何の役にも立たないわ、と大人びた少女が言った。彼女の名前は遠方、とか言っただろうか。隣の席に座っていた、サバサバしたボーイッシュな少女であった。彼女はどこか変わっていて、厭世的で、それでいて冷たくなく、弱者には優しい人だった。
 いじめられていた少年は不良グループの一員で、返り討ちに遭っているようなものだった。おそらく彼は弱者ではなかったのだろう。この教室のなかで一番の弱者はまちがいなくわたしであっただろうから、彼女がこのタイミングで声をかけてきたのは、正しいことのような気がした。

「共感する相手を選びなさい。あなたが共感してもいいのは、あなたと同じ元素を持った人だけよ。誰にでも心を共鳴させてはダメ。無償で誰とでも寝る娼婦のような心を持たないで」

 彼女はそんなふうに抽象的なことだけを言って、さっと席を立った。いじめっ子たちの視線が彼女に一瞬だけ集まったが、すぐにそれた。彼らは暴力行為のなかへ戻っていき、そして、彼女はそのまま戻ってこなかった。

 ニヒルな笑みで教室から去っていった少女は、そのまま、自宅へ帰って、拳銃で頭を撃ちぬいて死んだという。この日本において、単なる学生が拳銃なんてそうそう手に入れられるはずがない。あまりにリアリティがない出来事ゆえ、いまだ信じられずにいる。しかし、あの子ならばやりかねないとも思う。いつだって抽象的で厭世的、それでいてとても優しいあの子の死に、拳銃はあまりにうってつけだった。
 あの子の言葉はわたしのなかに生き続けている。同じ元素を持った人間にだけ共感をしろ、無償で誰とでも寝る娼婦のような心を持つな――。彼女がそう言ってくれたおかげで、わたしは本当の自分と向き合うことができた気がする。本来あるべき自分に、なることができた。
 
 今のわたしは、無償で誰とでも寝る娼婦のような女になった。
 肉体ではなく精神の話であるが、そういうふうになれたのはあのときの彼女のおかげである。感謝してもしきれなくて、わたしは時折、晴れた空をぼんやり見つめて、彼女の姿をその中に探している。


20141003