鉄道少年の憩 ‐ある鉄道病患者のカルテ‐

 くひひひひ、とぼくは笑う。忍び笑いはいつしか高笑いに変わっていくが、乗客は誰もぼくの存在には気がつかない。それもそのはず、ぼくはいま精神のみの存在で、肉体は部屋に置いてきた。いわば幽霊のようなもので、誰にも知覚されることはない。
 ここにこうして来るのは久々だ。ここ数か月、ぼくの精神は穏やかで、部屋を抜け出そうとか考えることはなかったのだが、いつまでもそんなかりそめの平穏が続くはずはない。そもそもぼくの精神を穏やかなまま維持させていたのは、部屋にたびたびやって来る先生の笑顔や言葉や声やしぐさだけで、他には救いも生きがいもありはしないのだ。その先生すら、最近はぼくの方をまともに見ず、挨拶だけで去っていってしまう。一週間に一度しか部屋に来てくれない先生を、なんとか引き留めようともがいてみるのだが、うまく話せないでまごまごしているうちに先生はいつも行ってしまう。
「なんだよ先生、もう行っちゃうのか」
ようやくこの言葉を言えた瞬間、先生は笑顔で首をかしげ、
「ええ、今日は病棟で用事があるの。ごめんね」
とあしらってしまった。ぼくはといえば、「そうだよな、ぼくなんかの相手をしてる暇なんてないよな」と口の中でもごもご言うくらいしかできなくなった。
 そんな日々に耐えきれなくなり、ぼくは「ここ」にいる。

 ガラス一枚隔てた外を、風景が流れていく。ずっとそれを見ていると、心が落ち着く。レールの上を走ることは人類にとって無上の喜びだとぼくは思う。ぼくは現在、列車に乗っているが、同時に列車そのものでもあるのだ。それは解決できない絶対矛盾であるかもしれないが、解決する必要があるとは到底思えない。
 風景が変わることは素晴らしい。同じ景色ばかりが流れて行かないことは僥倖だ。列車であるぼくの自我は幸せに満ち溢れている。もうあの部屋には戻りたくない。
 もう二度と、あんな場所には戻らない。
 ぼくはレールの上を走りつづけるんだ。
 もう肉体なんて不要なんだ。肉体を持っているから人間は不幸なんだ。なぜみんなそれがわからないんだろう。
 一旦、意識を列車の内部に向けてみる。乗客。運転手。車掌。たくさんの肉体と、それと同じ数だけの精神が見える。どうして、この人たちは肉体の矛盾に気づかないのだろう。肉体は重い。精神だけになれば、自分の好きな所へいつでも飛んで行けるのに。こんな狭い所に押し込められるのも肉体があるからだ。精神だけなら、どんな電車だって貸し切りで、席取りに奔走することもない。
「肉体なんて、捨ててしまえばいいんですよ。先生」
 それがぼくの至った結論だった。ぼくの部屋には空っぽになった肉体がぽつんと残されているけれど、そこには何の問題もない。もう先生のことで思い悩む必要もない。大切なのは精神の幸福であり、肉体は二の次だ。むしろ不要なゴミだと言ってもいい。あんなもの、燃やしてしまったって構わないさ。ぼくはここで永遠に走りつづける、それはとても素敵なことだから。とても、楽な生き方だから。

『しかし、いつまでもそうできないことくらいわかっているでしょう。』
 思考回路の中に、急に自分以外の声が侵入してきた。自由な精神の中に自分以外が存在するはずはない。これは誰の声だ。いやしかし、ぼくはこの声を知っている。これは先生の声。ぼくの大好きな先生の声。
 そうか、先生が部屋に来ているんだ。部屋に置き去りにしたからっぽの肉体の聴覚が先生の声を捉えていて、それが精神にまで響いている。ようやくぼくはそのことに気づいた。つまり、ぼくは完全には肉体と切り離されていないのか。自由になったのではなかったのか。混乱が、水の中に落とした絵の具のように不自然に心を汚していく。精神が混濁する。自由が、束縛される。肉体は精神を縛る。

『精神と肉体を完全に切り離すことなんてできません。肉の檻の中に閉じ込められた精神を、そこから出してしまったら、肉が永遠に追いかけてくる。レールの上を走るあなたを、列車より速い速度で肉体が追いかけてくる。その恐怖に耐えられないのなら、そんな遊びはやめてしまった方が、あなたのため』

 部屋にいる先生の声はあくまでも優しくて、ぼくのことを思いやっているように聞こえた。でも、その内容は全然優しくない。嫌だ嫌だ嫌だ。ぼくは列車と融合して自由になったはずだ。もう何も感じることもなく、ただ幸せだけを食べて生きていくことができるようになったはずじゃないか。ほら、窓から見える風景はとても綺麗で。何も追いかけてなんか来ないよ。先生はぼくを騙しているんだよ。
「そうだ、みんな騙しているんだ。陰謀だよ。ぼくを陥れて不幸にするための陰謀だよ」
 口に出してそう言ったぼくを、乗客の誰かが汚い物を見るかのように一瞥したような気がする。そんなはずはないだろう、だってぼくの姿は誰にも見えないはずだ。でも視線は消えない。見られたような気がする、聞かれたような気がする、覗かれたような気がする。一度そう思ってしまったらおしまいなのだ。自分を守る精神が揺らぐ。精神が揺らいだら、肉体の思うつぼだ。ほら、肉体が追いかけてくる。逃げなくては。列車の速度を最大にして、逃げつづけなくては、追い付かれる。追い付かれたらまた部屋に逆戻りだ。
 ぼくは意識を運転席において、一番先頭の窓からレールを見た。もっと速度を上げて。もっと軽やかに。もっと早く走らないと追いつかれてしまうじゃないか。なんでこんなに遅いんだ、この列車は。馬鹿みたいにトロトロ走ってるんじゃない! 早く走るんだ!

 しかしそのとき、列車であるぼくの意識は、自分の走っている前方に人間が立っているのを見てしまった。細くて黒づくめのシルエット。唐突な邪魔者の登場だった。くるくるとふざけるみたいにその場で回っている。避けられないし、今更止まれない。
 撥ねるしかないじゃないか。
 ひらひらと黒いスカートをなびかせて。女の子だ。近づく。限りなく近づいて、ぶつかる。撥ねる。跳ねる。列車としての意識の、一時停止。急ブレーキの音。悲鳴。振動。人間が粉々になった。跡形もなく吹き飛んで、消えうせた。しかも彼女は消えうせる瞬間、運転席の中のぼくと目を合わせて笑ったのだ。
 ちくしょう、自殺だ。最低だ。
 ぼくは今列車なのだ。人間を撥ねるなんて一番不幸に決まっている。ぼくの手が、足が、体が、精神全部が。人を殺してしまった。人の体を跡形もなく吹き飛ばす感触が自分の体に残って気持ち悪くて、ぼくは悪くないのに、罪悪感が夜ごとぼくを蝕んで離さないに決まっている。こんな現実は嫌だ。こんな未来は嫌だ。どうしてこんな風になる。ここは幸せしかない空間ではなかったのか。
 なあ先生、これはどういうことなんだよ。
 どうか、さっきまでの幸せを返してくれ。
 先生。

 そして、ブレーキをかけたことで、
 肉体がぼくに追い付いて。
 ぼくは部屋に引きずり戻された。


+++


 10時59分40秒。
 わたしは彼の意識が彼の肉体に戻ってきたことを確認した。彼の病気はまったくもって信じられないことに、彼の意識を遠くへ飛ばしてしまうらしい。現実から逃げたいという願望のあまり、『列車』という対象に自己を投影し、『列車』と同化する。通称鉄道病である。彼以外にこの病気にかかっている人間はいないので、わたし個人の見解としては、病名をつけることには深い意味を見いだせない。
「先生、俺、人を撥ねちゃったよ」
彼はうつろな目でそう繰り返した。それまでわたしは、彼が意識を飛ばしている間、「『列車』になる」などという戯言を信じていなかった。しかし、どうやら彼の意識が『列車』に宿っているというのが事実らしいことが、このとき判明した。調べた結果、彼の言う「黒い服を着た人物」が、彼が意識を取り戻したのと同じ時間に、線路に飛び込んで死んだということがわかったのである。
 結果として鉄道病の存在が立証されたわけだが、そんなことには何の意味もない。『列車』として人を轢死させたことで彼の心に植え付けられたトラウマは、もはや取り返しのつかないものだ。もう肉体と精神を切り離して現実から逃亡しようなんてポジティブな意志を抱くこともないだろう。この部屋で、うつろな目をしたままで、彼は元鉄道病患者として生きていくのだ。彼は人間を殺してしまった。
 こんなことになる前に、わたしは何か行動するべきだったのだろうか。彼の心を、もっと勇気づけてやるべきだったのか。それとも、彼が現実から逃げないように、医者として薬でも処方するべきだったか。どちらにしても彼が幸せになることはなかっただろう。でも、こんな最悪な結末はあまりに残酷だ。
「人が、辺りに飛び散って、すごく怖かったんだ。後悔したんだ」
震えながらそう言った彼は、そのままごめんなさいごめんなさいと繰り返した。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。彼は何を謝っているんだろう。わたしに迷惑をかけたことか、人間を轢いたことか、それとも現実から逃げようとしたことか。もしかしたら精神と肉体を切り離してしまったことかもしれない。彼がしたことの中で一番許されないのはそれだ。そんなことをしなければ、人を殺すこともなかった。精神を壊した彼は、思考することを諦めたように、謝罪の言葉を繰り返し続ける。
 わたしはそんな彼を見ていられなくなって、カルテを抱えて部屋から逃げ出した。もう、わたしが『先生』として彼にしてあげられることは何もない。彼の精神も肉体も、二度と救われない。完璧な袋小路。それはもしかしたら終点とも言えるかもしれない。列車には必ず終点があり、人生には必ず終わりがある。彼の精神は、肉体よりも先に終点を迎えてしまったのだ。

 世界で最初、そしてたぶん最後の鉄道病患者は、こうして『終わった』。彼の物語はどこへも続くことがないが、彼が轢き殺した人物についてはまた追々語るべきことがあるかもしれない。偶然にも、その人物もわたしの担当する患者だった。彼と違ってその人物はあまりわたしの前には現れなかったので、詳しいことはわからない。が、カルテから当時の精神状態を推し量ることは可能である。それはまた別の機会に語ることにして、今日は一度筆を置こう。往診の時間だ。

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