きみは友のために死ぬことができるか?

 その日の保坂は、いつもとは違う雰囲気だった。
 いかつい軍用ブーツに、軍服コスプレと見紛うばかりのガッチリした服装。軍服は軍服でも、気取った上官のものではない。歩兵である。前線へ出て、そのまま戦死しそうな、泥臭い服装。いわゆるサバイバルゲームの服に近いかもしれない。コスプレ軍服なら加持も持っているけれど、たいていが上官や文官のものであり、こういう戦闘服みたいなものとは質が違う。
 そういう服装を見るのが久しぶりだったので、それが保坂来だと気づくまでに、だいぶかかってしまった。
 これは、廃墟探索用の服だ。コスプレ用のひらひらした布地とは違う……ほんとうの戦闘服なのだった。

「我慢できないから、廃墟に行ってくる」

 ぎらぎらした目を隠さず、保坂が言う。どうやらかなり切羽詰まっているらしいぞ、と加持は思った。
 となりで目をパチクリさせている園田ユカには、あとで教えてあげなくてはならないだろう。保坂の異常性について……。
 加持は、一応、ダメ元で止めてみることにした。

「おいこら、きょうは撮影だって言ってあっただろ」
「我慢できないものは、我慢できないんだ。さよなら、加持くん」

 と言ったあと、彼は首を傾げ、こう言い直した。

「きみたちも来るかい?」
「遠慮するッ!」

 ユカがなにか言う前に、大声で即答した。ここには装備がないから、どのみち無理だ。そもそも、ユカはそんな高価な服や軍用ブーツなんて持っていないだろう。高価でなかったとしても、重装備を必要とするような危険な場所に、中学生を放り込むわけにはいくまい。
 保坂が廃墟でなにをしているか知ったら、彼女はショックだろうな……と加持は思う。さすがに、彼女に聞かせられる内容ではない。トップシークレットなのだ。加持は自分に言い聞かせた。

「あの、わたし、ちょっと気になっちゃってるんですけど……」

 とユカが言い出したので、加持はあわてて止める。

「やめておけ。ユカちゃん。危険だぞ」
「加持さんのほうが、よほど危険だと思いますけど」

 ユカはなにもわかっていないのだ。保坂に比べたら、加持はめちゃくちゃ安全な部類に入る。だが、見た目の印象が邪魔をして、保坂のほうがマシに見えてしまう。いやな現実だった。
 加持はにこやかに笑った。内心では必死だったが、その必死さを隠して言う。

「そもそも、きみは軍用ブーツなんか持ってないだろう? あれがないと最悪、死ぬぞ」

 保坂が軍用ブーツを履いているのは、言うまでもなく、足を守るためである。廃墟には、露出した釘、腐敗して抜けた床、半壊した階段など、さまざまなトラップがある。平和な日常を愛する加持にしてみれば、壊れた階段など登りたがるやつの気が知れない。が、廃墟マニアは、登れる階段はすべて登っておきたくなるものらしい。ブーツを履いていたからといって、完全に身を守れるわけではないのだが、スニーカーなど履いていった日には、露出した釘で足の裏を貫かれ、病院に運ばれたのち、探索場所の環境によっては破傷風にでもなるのがオチだ。素人が簡単に手を出していい分野ではない。

「そういえばそうですね。やめておきます」

 ユカは残念そうにつぶやく。そう、それでいい。きみはまだ死ぬべきではない。
 結局、保坂はひとり、戦闘服のまま駆け出していった。
 呆然としつつ、ユカは加持に尋ねる。

「なんです? あれは……」

 彼女は保坂のことを無害なイケメンだと思っているかもしれない。
 だが!
 そんなことはないのだ。
 保坂は、このチームの中で、もっとも犯罪や死に近い男だ。
 むしろ犯罪者そのものかもしれない。廃墟探索とは、すなわち不法侵入。通報されたら大変なことになる。

「あいつはな、むかしから廃墟が好きだったんだ」

 撮影が中止になって暇なので、加持は保坂との付き合いについて語ることにした。

++

 ふたり分の緑茶を紙コップに注いで、加持とユカは席についた。カメラを持って待機していた亀梨は、用事があると言って帰っていった。亀梨はああ見えて、意外とフットワークが軽いのだ。だらだらと時間を浪費するということをしない、勤勉な男子高校生。将来有望かもしれない。
 亀梨のことは置いておいて……加持はゆったりと話しだした。

「保坂と初めて会ったのは高校の頃でさ。それはそれは涼やかな美男子だったね。中身があんなんでなければ、モテただろうな」
「モテなかったんですか?」
「モテなかったんだな、これが」

 というよりも、彼は高校入学当初からいじめられていた。
 いじめられるのには理由があった。中学時代に露見した、彼の廃墟に関する悪癖のせいだ。どんな理由があったとしても、他人をいじめてはいけない……というのが一般論ではあるのだが、保坂の正体を知ってなお、彼に対して平然と接するのは、心の成長の途中である中学生には難しかっただろう。人は、自分に理解できないものをもっとも恐れる。理解できないものが日常的にそばにいることに、耐えられる者は少ない。
 しかし、ここらへんの情報は、ユカには言う必要がないだろう。言ったところで、いやな気持ちになるだけだ。
 そういうことは、保坂本人に語らせたほうがいいだろうと思い、加持はいじめに関する部分をまるまる省略した。

「変な趣味を持つもの同士、あいつとは気が合いそうだと思ってな。二年の新学期の初めに声をかけたんだ。最初はつれなかったけど、特撮の話をしたら、あいつも趣味を打ち明けてくれたよ。廃墟と特撮って案外、関わりが深いんだ」

 それから先は、保坂がいじめられることは少なくなった。
 加持がいい家の御曹司であることはまあまあ知られていたから、そのせいかもしれない。まあ、そんなことで恩を売るつもりもないけれど。
 
「保坂さんは、むかしから、あんなふうに身軽そうなかただったんですか?」
「あいつはいつだってあんな感じだったな。ふわふわしてるっつーか、つかみどころがないっつーか。ただ、一回だけ、説教されたことがある」

 特撮が好きだ――という気持ちは、今でこそ加持にとって最大のアイデンティティであるが、高校時代は、そうではなかった。
 父親から、「そういう子どもっぽいものは、さっさと卒業しろ」と言われつづけていたのだ。
 加持の父は、あくまでも売り手としての立場で、特撮文化やアニメ文化を語る人間だった。
 自分の息子が『楽しむ側』なのは、父にとって不都合だったらしい。
 皮肉な話だ。だれよりも子どもたちに文化を楽しませようと思っている人間が、息子の楽しみを奪おうとしていたのだから。

「ぼくは弱い人間だからね。父親の剣幕に押されて、こんな趣味なんてやめようかと悩んだことがあるんだ。特撮がなくても、この先の人生で困ることなんてないだろうと思った。そのときは、本気でやめようと思っていた。それが、ちょうど高校のときだ」
「想像できませんね……そんな加持さんは」

 ユカは首をひねる。そりゃあそうだろう、今の加持にも、特撮趣味をやめた自分は想像できない。

「そんなぼくに、保坂はこう言った。『きみはやめられるんだね、うらやましいよ』」

 ユカは目をパチクリさせた。
 保坂がこんな投げやりな言い方をすることが、信じられないのだろう。
 
「どういう意味です?」

 保坂来は、廃墟サイトめぐりが趣味の中学生だった。
 あるときまでは、ただ写真を眺めているだけで満足していた。自分は廃墟という美しい風景が好きなだけ。きれいな風景を見たいから、サイトをめぐっている。彼はそう信じていた。
 しかし、中学一年生のころ、彼が見た『風景』は、彼の人生をまるまる変えてしまった。
 数ある廃墟サイトのなかでも、そのサイトは異質であった。
 その写真には、廃墟好きのなかではかなり高名な、とある廃ホテルの一室がおさめられていた。
 ピンク色の毒々しい椅子や、綿のはみでたベッド、破損した床などが映っている。それだけならば、どこにでもある廃墟の写真だ。
 しかし、部屋の中央に、まるめたティッシュが捨てられていた。
 それだけが、異質だった。
 古ぼけた『過去』の遺物のなかに、たったひとつだけ捨てられた『今』の断片。
 その紙くずがなんの証であるか、思春期の少年ならばすぐにわかるだろう。
 このサイトの管理人は、あろうことか、そういう用途で廃墟めぐりをしていたのである。
 それを見たときに、保坂はコロリと転げ落ちてしまった。
 廃墟に出かけようと、少年・保坂は決める。
 サイトだけではダメだ。自分も、ここへ行かなければならない――

「保坂にとって、廃墟めぐりってのは、わかりやすい欲求に直結してる。おおげさに思える言い方かもしれないけど、廃墟がないと生きられないんだよ。残念ながら、ぼくの特撮趣味は、そういうタイプの欲求じゃあない。どれだけ好きだったとしても、切実で唯一無二の欲ではない。特撮がないと生きられないなんてことは、絶対にない。代替品はきっと世の中のどこかにある。やめようと思えばやめられるかもしれない。あいつは、そのことをうらやましいと言った」

 なにかをやめられないというサガ。
 それも、犯罪一歩手前の行為をやめられないという、宿命。
 そんなものを背負ったことのない加持には、保坂の気持ちは理解できない。
 生きていくうえで、罪を犯さずにはいられない。
 難儀な体質だ。想像を絶している。
 でも、だからこそ、加持は保坂をうらやましいと思った。
 やめられない彼のように、自分もなりたいと思った。

「保坂は、ぼくに喧嘩を売りたくて言ったわけじゃない。たぶん、ほんとうにうらやましかったんだろうな。でも、ぼくにはそれが宣戦布告に聞こえた。それを聞いて、ぼくは意地でも、この趣味を貫き通してやると誓ったんだ」
「へえ……なんだか、いいコンビだったんですね。おふたりは」

 ユカは感心したように言う。
 
「いいお友だちじゃないですか。お互いに、うらやましいと思いあっているなんて」
「ま、単なる腐れ縁だが……ここだけの話、理解のある男が味方にいるのは心強いもんだよ」

 いまだに、加持の父は、息子の趣味をやめさせる機会を狙っている。
 保坂という、ぱっと見はまともで社交的な男が口添えしてくれているから、つづけられているようなものなのだ。
 
「ちなみに、大学に入ってからは、あいつばかりモテるようになった。納得できん」
「それは、まあ、人徳でしょうね」

 にべもない調子でユカが締めくくった。
 どうして、こんなにも彼女に辛辣に扱われているのだろうか……加持にはいまだに理解できない。
 
「でも、それだけ仲良しなのに、どうして、保坂さんと一緒に探索へ行かないのですか? さっき誘われたとき、一緒に行ってもよかったはずですよね。装備品だって、加持さんも一緒に買っていてもおかしくないのに」

 その問いかけに、加持は眉をひそめる。いやな記憶が思い出されてきていた。
 
「……行ったんだよ。高校のときにね。そのとき、大変なことになったから、もう行かないことにしたんだ」
「大変なこと?」
「さっき、あいつは軍用ブーツを履いていただろう? 廃墟の床ってぼろぼろだし、腐り落ちてて、歩くだけでも必死だったりする。突然、歩いている廊下が陥没したりするんだよ。想像できるか?」
「できないですね。加持さん、落とし穴にでもハマったんですか?」
「それどころじゃない。三階を歩いているとき、階段がまるごと壊れて落ちたんだよ。いくら特撮ファンでも、生身かつアドリブでスタントをかますなんて無理だ。ぼくは一階までまっさかさまに落ちて、全治一ヶ月」

 ちなみに、前を歩いていた保坂は、完全に無傷だった。
 おそろしい男だ。人間じゃないのかもしれない。改造人間だったら、うらやましいな……と加持はいまだに思っている。
 
「た、大変だったんですね……ほんとうに……」

 ユカがドン引きな表情でこちらを見ていた。
 
「地獄の日々だったよ。『今、俺を笑ったな?』って、会った全員に問いかけたいくらいに」
「そうですか」

 ユカがひんやりとした調子で応じた。
 いつだって、なにか渾身のネタを放とうとすると、冷たい視線でこちらを射てくる。
 この子はある意味、保坂よりも自分をわかっているのかもしれない。加持は、そう思い当たって苦笑いした。

 高校生の加持は、入院しているあいだ、痛みにうなされながら思っていた。
 保坂の人生は、意外とヘビーなのかもしれない、と。
 彼はいつだって、たったひとりで、こんなふうに入院するかもしれないような場所へと突っ込んでいく。
 それをやめることは死を意味する。たとえ体が死ななくても、心が死んでしまう。彼は、それなしでは、自分の性的欲求を満たすことができないからだ。
 そんな保坂のとなりで、自分だけはちゃんとこの男を見守ってやろうと、そのときの加持は思ったのだ。
 同じものを愛することはできなくても、となりにいることはできるのだから。

 長々と話したせいか、トラウマを思い起こしたせいか……妙にのどが渇いていた。
 紙コップに入った緑茶を飲み干し、加持はこうつぶやいた。

「ふしぎだけど、今は、腐り落ちた階段が腐れ縁をつなぎとめてくれたような気がするんだよなあ」
「でも、もう二度と同じ目にはあいたくないんですね……」
「そりゃあそうだ。ぼくは友情のために死ねるほど、できた人間じゃない」

 今このときも、腐り落ちそうな床のうえで、保坂は冒険を重ねているに違いない。
 死なないでくれ、友よ。こっそり、そう語りかけてみる。
 友のために死ねるというのは、たしかにかっこいい。理想のヒーローだ。
 でも、そういうのは特撮のなかだけの話にしておきたい。ほんとうに死ぬのはごめんだ。
 ユカに笑いかけつつ、加持は心のなかで、そう結論づけた。


20170131
リクエストボックスより、「特撮!最前線の保坂さんをメインにした話」でした。
あまりほのぼのにならなくってすみません……。こんな感じでよろしかったでしょうか。
廃墟の話はいずれやろうと思っていたので、楽しく書けました!リクエストありがとうございました!!

戻る