元日の不穏

 きょうは元日。波乱のクリスマスが終わり、家族総出で初詣に行くことになった。
 さすがの加持も、初詣にまでついてくるほど恥知らずな男ではない。
 今回、わかったことだが、加持の実家はなかなかに厳しいらしい。元日には集まりがあり、それに出席しなければ勘当されてしまうという。自分の父親が社長なのだということを誇らしげに語っていた加持は、実は見栄を張っていたのかもしれない。社長の息子、などという息苦しい立場は、彼には不似合いだった。ちゃらんぽらんなようでいて、実は悩み多き男なのだろうか。
 元日の朝の空気は澄み切っている。わたしは、こういう冬の空気がとても好きだ。初詣は毎年楽しみにしている。
 寒さに弱い父と母は、お参りを終えてすぐに帰ってしまったので、現在は、わたしと兄のふたりきりである。
 兄のトシキはわたしの隣で、なんだかそわそわとしている。新年早々、なにを考えているやらわからぬ、いつもの兄である。
 
「な、ユカ」

 そわそわとしたままで、彼はわたしに問う。
 
「加持さんって、何者?」
「は?」

 予想外の問いかけだった。わたしはしばし呆然としてしまう。
 
「何者って……学生、かな」

 たしか、大学生といっていたか。いや、大学院生だったっけ。
 理系だったか文系だったかも判然としない。
 そもそも、中学生であるわたしには遠い世界の話なので、よくわからないのだった。
 大学生だろうと高校生だろうと、社会人だろうと、立ち位置が遠いことに変わりはない。
 
「なんで、ユカと知り合いなわけ?」

 いつもは内気なのに、妙に攻めの姿勢だ。なんなのだろうか。不自然である。
 さすがに、研究会のことは話せない。そう判断したわたしは、雑な嘘をついた。
 
「亀梨くんっていう高校生の男の子とわたしが知り合いなんだけど、その子の友だちが加持さんだったの。だから、友だちの友だちってわけ」

 実際は、最初に知り合ったのは加持で、加持の仲間が亀梨。
 つまり、これは完全に虚偽である。嘘をつき慣れていないので、罪悪感でちくちくと胸が痛む。
 
「ふうん……」

 兄はどこか残念そうな、しかしほっとしたような顔だ。そのとき、ちょうど賽銭箱の前にたどり着いた。会話は中断され、わたしたちは五円玉を九枚、賽銭箱に放り込んだ。この五円玉については、「始終、ご縁(四十五円)がありますように」という意味だと、母が言っていた。五円玉は「ご縁」を示すもので、縁起がいい。それを九枚そろえることによって、さらに縁起をよくできるという。母は、そういう日本古来の迷信のようなものが好物である。
 手を合わせて祈るものの、特に願いが思いつかなかった。進学も問題なくできそうだし、研究会についても祈ることはない。わたしの生活は充実している。ひとまず、世界平和、家内安全、学業成就という三単語を思い浮かべておいた。
 祈り終わって隣を見ると、兄は力を入れて手のひらを合わせている。彼らしくもない、必死の形相。ほんとうに、きょうの兄はどうしてしまったのだろう。謎である。

……そのとき、背後から声がかけられた。

「やあ、ユカちゃんとお兄さん!」

 振り向くと、銀髪の男が、立派な着物を着て立っていた。ぱっと見でも、その着物は上等なものであろうと察せられた。
 着崩してもいないし、立ちふるまいも上品だ。銀髪でさえなければ、彼だとはわからなかったかもしれない。
 髪と服が明らかに合っていないその人物は、ここにいないはずの加持である。
 
「か、加持さん!?」

 隣で兄が動揺していた。わたしも動揺しているけれど、兄ほどではない。
 なんなんだろう、きょうの兄は……どうも、クリスマスの夜以降、様子が変だ。
 
「きょうは親戚の集まりがあるって言ってませんでしたか?」

 と聞いたのはわたし。兄は、口をパクパクさせて、なにか言いたげにしていた。
 
「重要な会合は終わったから、抜けてきたのだよ! いやー、ああいうのって苦手なんだよな」
「か、加持さん。あの、あけましておめでとうございます!」

 肩をコキコキ鳴らす加持に、必死な調子で挨拶を告げたのは兄である。

「ああ、あけましておめでとうございます。今年もよろしく」

 困惑した顔で、加持が応じた。いつもマイペースな加持すらも、兄の剣幕に押され気味である。
 
「あの、ぼく……加持さんにお話ししたいというか、お聞きしたいことがあるんです。ちょっと、ふたりきりで話せませんか?」

 兄ときたら、そんなことまで言い出した。
 ここにはたしかに、わたしがいるから、ふたりきりではない。
 しかしわたしにまで話せないようなこととは、いったいなんだろうか。
 クリスマスに顔を合わせただけの兄と加持のあいだに、そんな話があるとは思えないけれど。

 もしかして兄は、研究会のことについて、なにか感づいてしまっているのだろうか。
 わたしは、ああいったものに関わっている自分に罪悪感を持っている。
 撮影を直接見たりといったことはないけれど、手伝いだけにしても、中学生が関わってはいけない領域であることはたしかだからだ。
 だから、兄や両親に説教されたら、サークルとは関係を切ろうと思っている。今が……そのときかもしれないのだろうか。

「なんだかわかりませんが、いいですよ。じゃあ、あちらの甘酒売り場にでも行きましょうか」

 と言って、加持は優雅に兄をエスコートしていた。
 こういう堂々としたところは『社長の息子』っぽいかもしれない。
 わたしを前にして、まごまごしている男と同じ人物とは思えない。やはり、同性の方が気兼ねなく話せるのだろうか。
 ふたりは甘酒を買って、そばの木陰に行ったようだった。 
 その先は見られないので、妙にモヤモヤとしてしまう。
 いったい、兄が加持に聞きたいこととは、なんなのだろう。
 わたしにも関係のあることなんだろうか……。

 しばらくして戻ってきた加持は、あきらかにぼんやりとしていた。
 
「あの、加持さん。どうかしたんですか?」

 と尋ねてみたが、
 
「ああ、うん。なんでもない……」

 ポーっとした顔をしている。なにを話したらこういう顔になるのだ。
 こんな加持は初めて見た。まじめに考えているようにも見えるし、酒に酔っているようにも見えるし、あさってのほうを見ている感じもする。なにも考えていないのかもしれない。
 うーん、ふしぎすぎる。
 甘酒にアルコールは入っていなかったような気がするけれど、酔っているのだろうか。
 一方、兄は兄で、どこか浮かない顔をしていた。

「あの、お兄ちゃん。なにかあった? 喧嘩でもした?」
「い、いや。そんなことはない、と、思う……」

 喧嘩よりまずいことがあったのかもしれない。かなり気まずそうだった。
 これはもうお開きにした方がいいのかもしれない!とわたしは直感した。
 
「じゃあ、わたしと兄は帰りますね。加持さん、今年もよろしく」

 強引に別れの言葉を告げて、わたしは加持から離れた。

 そのとき、加持がポツリともらした言葉は、わたしの心をかき乱しそうな、不穏な響きを持っていた。

「……おれ、どうしてこんなことしてたんだろう」

 正月の明るさにそぐわぬ声だった。なにかを後悔するような暗い声は、夕闇の中にかき消える。
 加持はいつも自分を「ぼく」と呼んで、ちょっとかっこうつけているけれど……このときの彼は「おれ」と言った。
 いつもは見られない、加持の本音を垣間見たようで、胸がちくりと傷んだ。
 周囲の人々は、着物を着て、楽しそうにおみくじの見せあいをしている。綿菓子を買っている親子もいる。平穏なお正月の風景――でも、わたしたち三人だけは、ぼんやりと暗い目をして、長い階段を降りていくのだった。

++

 正月早々、あの暗い雰囲気はなんなのだ?
 しかも、わたしを除け者にして!
 最初は単なる戸惑いしかなかったが、だんだんと、怒りがこみあげてきた。
 結局、帰宅してから、兄を問い詰めてしまった。

「お兄ちゃん。加持さんと、なにを話してたの?」
「え?」
「加持さん、いつも明るいし、あんなふうに空気を悪くするような人じゃないんだよ。お兄ちゃん、なにか加持さんを困らせるようなこと言ったの?」
「…………」

 兄は気まずそうに黙った。
 うーん、なんだろう、この反応。
 今まで、兄がこんなふうに隠しごとをすることなんて、なかったのに。
 
「加持さんは悪くない、と思うよ。悪いとしたらこっちのほうだ。でも、加持さんがなぜ戸惑っていたのかは、よくわからないよ」

 兄もなぜこうなったのか理解していないらしい。
 しかも、内容は話したくないと来た。

 悪いのは、兄?
 それとも、加持?
 そもそも、だれも悪くなんかないのか?
 話せないというものを問い詰めるわけにもいくまい。この調子だと、加持を問い詰めても、話してはくれないかもしれない。
 わたしは深呼吸をして、兄に言った。
 
「わかった。無理には聞かないけど……でも、話せる段階が来たら教えてほしいな。たったひとりのきょうだいなんだから」

 数十秒経ってから、兄は「わかった」と言った。加持と同じく、暗い目をしているように見えた。

++

 今年も平和に暮らせますように――と初詣で願ったはずだった。
 でも、去年のように平和には過ごせないのではなかろうか。
 加持と兄の密談は、不穏な日々の幕開けであるように、わたしは思ってしまったのだった。
 


20170131

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