おやすみ、かみさま。



「ビルスさまは、眠りについてしまわれました。目覚ましはセットしましたが、しばらく起きないかもしれません」
 その日、調理場にやってきたウイスは、淡々とそう告げた。少女は、唖然としてしまう。
「じゃあ、次にビルスさまが目覚めるとき、わたしは死んでしまっているのかもしれないのですか」
「そりゃあ、そうです。あなたはただの人間なのですから。こうなるかもしれないと、予測できなかったわけでもないでしょう?」
 厳しい父親のように言い含めるウイスに対し、少女はむくれてみせた。
 ビルスほど親密ではないが、このつかみどころのない彼とも、少女は親しく話せるようになってきている。
「たしかに、ウイスさんの言うとおりです。でも、急に黙って寝てしまうなんて、ビルスさまはむごい方です……次にいつ会えるかもわからないのに」
 いつだって、ビルスは勝手気ままである。何にもとらわれず、自由奔放に生きる。それが彼の長所である。
 しかし、こんなふうに急にいなくなってしまわれると、やはり少女としてはショックなのだ。
 ビルスがいなければ、料理を食べてもらうことができない。ウイスに頼んでもいいのだが、ウイスは基本的になんでもおいしく食べてしまうので、張り合いがないのだ。
 落ち込む少女に対し、ウイスは余裕の表情で笑った。ウイスにしてみれば、ビルスが眠りにつくことなど、日常の一部でしかないのだろう。その違いが、とても悔しく思える。
 ウイスは、やれやれと言いたげに首を横に振る。
「わたくしにしてみれば、あなただって同じようにむごい人ですよ。次に起きられたとき、あなたが亡くなっていたら、ビルスさまは嘆くでしょうね。あの娘のつくる朝ごはんが用意されていない、と」
 調理場を眺め渡しつつ、ウイスは言う。
「そんなことになったら、暴れるビルスさまをなだめるのは、このわたくしなのですよ? 非常に迷惑です」
 少女の生き死にになど、本気で興味がないのだろう。ウイスは心底憂鬱そうに、ため息をついていた。
 そんな対応には慣れているので、少女は苦笑するだけだ。
「わたしよりも、料理の心配をされるのが、とてもビルスさまらしいですね」
 そんな少女の愚痴を聞いて、ふっとウイスは表情を消した。その一瞬だけ、風が止んだように思った。
 まるで女性のような、儚げでうつくしい佇まいのウイスは、少女にこう告げる。
「でも、あなたの用意する朝ごはん、きっとビルスさまは楽しみにしていらっしゃいますよ」
 ウイスのその一言は、意気消沈する少女を勇気づけた。
――そうだ。ビルスさまは、わたしのことが嫌いだから寝てしまったわけではない。
――むしろ、わたしやウイスさんを信用しているから、安心して寝ている。そう思ってもいいかもしれない。
 彼女は顔を上げて、ウイスにこう宣言した。
「そうですね。ビルスさまが寝ていようと起きていようと、わたしがするべきことはひとつしかありません。ビルスさまが次に目覚めたとき、さわやかな朝を彩るお手伝いをすること。そのために、修業しつづけること。死んでいる暇なんて、ありませんよね」
 ウイスはおほほと笑いつつ、少女の頭をぽんぽんと撫でた。
「せいぜい頑張ることですね。無力なあなたがどれほどの成果をあげられるか、楽しみにさせていただきますよ」
 この人は、誰かを積極的に助けることは少ない。いつだって、ただただ傍観しているだけ。でも、それは冷たさではないと少女は思っている。
 ウイスはいつでも見守ってくれている。ビルスのことを慕う少女を、黙って見ている。それがとてもありがたい。
 そんなウイスのことを、少女は、まるで実の姉のように頼もしく思っている。
 ウイスと目が合う。彼はいつもどおり、薄く笑った。少女を励ますように。
 そんな視線を受けて、少女は愛用の包丁を手にとるのだった。
 頑張ろう、と心のなかでつぶやきながら。

 次に出会うとき、破壊神の目に映る自分が、以前よりも成長していればいい。
 眠りに落ちた白雪姫の目覚めを待つ王子の心境は、案外、こんな感じなのかもしれない。
 寝起きの悪い神さまには、おいしいアップルパイをたくさん食べていただかなくちゃ、と少女は思った。





 
 20151216
 
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