不死あわせ


 その日、やっぱりわたしは厨房にいた。未来から不幸な青年がやってこようと、サイヤ人たちが苦戦を強いられようと、わたしがやるべきことはひとつしかない。神さまの食事をつくることだ。
 トランクスの未来が救われるのかどうか、それは非常に気にかかることだし、できることがあるならば、手伝いたい。
 しかし、一料理人でしかないわたしには、なにもできることはなかった。
 この騒動は、わたしには関係のない、どこか遠い世界の出来事なのだ……そう思っていた。
 その日までは。

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 厨房にやってきたウイスの言葉が信じられなくて、わたしは大きな声で問い返した。
「ビルスさまが、死んだ…?」
「未来の話ですけれどね。界王神が死ねば破壊神も死ぬ。神の世界にはそういうルールがあるのです。トランクスさんのいる未来のビルスさまは、界王神の命の消滅にともない、死んでしまったのですよ」
「し、信じられません……。そんなこと……」
 声が震える。わたしは包丁を落としそうになっていた。
 ウイスは、そんなわたしを怜悧な目で見ていた。いつもと変わらないそのまなざしが、ひどく恐ろしく感じられた。
「信じられなくとも、事実は変わりませんよ。ビルスさまは不死ではありませんし、不滅でもないのです。それだけの話ですよ」
 それまで、わたしは罪深いほどのんきだった。ビルスさまは、どんな争いに巻きこまれたって、きっと生き残ると思っていた。最強の神さまだと信じていた。
 でも、違うのだ。彼は最強でもないし不死でもない……死ぬときは死ぬ。
 あまりにも、ショックだった。
「ぼくがなんだってぇ?」
 そのとき、ビルスさまが厨房へ姿を現した。わたしは無意識のうちに姿勢を正してしまう。
 どう見ても、彼は元気だ。いつもと同じ、ふてぶてしい神さまだ。でも、わたしにとってはいつもの彼ではない。
 不死身の、最強の、彼ではない。
 わたしが黙っているせいか、ウイスはビルスさまに向かって、こう言った。
「ビルスさまが未来で死んだらしいということを話していたのですよ」
「あー、その話? まあ、死んじゃったものはしかたないよね。今のぼくの直接の未来じゃなさそうなのが唯一の救いかな」
 軽く言うビルスさまを見て、やっぱり、神さまと人間は考え方が違うらしいな、と思う。わたしは、納得ができなくて、彼を問い詰める。 
「ビルスさまは、死ぬことが怖くないのですか」
「さあ。どうだろうね」
 とあいまいに笑って、彼はさらにこう付け加える。
「死んだことがないから、わからないよ」
「わたしは、死ぬのはとても怖いです」
 泣きそうな声になってしまった。ビルスさまはその声を聞いて、なにかを感じとったようだった。
「人間は死を恐れるものだよ、なまえ。きみはなにもおかしくない」
 彼は、いつもより低い、まじめなトーンの声で言う。
 そして、わたしの頭をぽんと叩いた。ちゃんと手加減しているらしく、痛くはない。彼がこんな口調でしゃべるのは、めずらしいことだ。
「ビルスさま……」
 もうこの話は終わり、とでも言いたげに、彼はくるりと背を向けた。
「しめっぽいのは嫌いだ。ごはん、期待してるからね。破壊されたくなければ、おいしくしてよね」
 ビルスさまはそう言って、厨房から足早に出ていってしまった。その様子を呆然と見つめながら、言われたことの意味を考える。しかし、うまくまとまらなかった。
「……直接は関係のない自分とはいえ、自分が消えてしまったなんて、ショックに決まっていますよ」
 とウイスは言う。
「でも、そのショックのやり場に困っているんでしょうね。こればかりは、今のビルスさまにはどうにもできない問題ですし」
「その、界王神という方の命を守ればいいのではありませんか? ビルスさまのお力なら、できるはずでしょう?」
「まあ、理屈ではそうなりますが。ビルスさまはそんなことはなさらないでしょうね。ぶざまですから。……それよりも、わたしはあなたに聞きたいことがあります」
 ウイスはわたしの目をじっと見つめて、まっすぐな声で言う。
「ビルスさまが消えてしまった世界……そこでは、人類もまた、滅びかけているのですよ。おそらくはあなたも、生きている可能性は少ないといえるでしょうね。あなたのご両親や、ブルマさん。お知り合いであるミスター・サタンもですよ。それについては、なんとも思わないのですか?」
「あ……」
 滅びの風景を思い浮かべてみる。草は枯れ、海は荒れ、街は崩れ――荒れ狂う邪神が支配する世界。
 未来から来たトランクスは、身も心もぼろぼろだった。
 彼が守ろうとした世界では、人類はほとんど滅びていたのだ。
 きっと、未来のわたしもいない。ブルマも死んでしまった。
 そこにはビルスさまもいないし、ウイスもいないのだろう。
 わたしの居場所はない。楽しく料理をつくるなんて、絶対にできない世界だ。
 ビルスさまが死んだ、という事実が衝撃的すぎて、その先を想像できていなかった。
「完全に、頭から抜けていました……」
 もともと、非現実的すぎて想像の及ばない領域ではあったのだが、ウイスの言葉で、急に現実味が増したような気がする。自分の愚かさに気づいて、顔がカーッと熱くなるのを感じた。恥ずかしい……。
「まったく、あなたも、ビルスさまも、肝心なところが抜けている気がしますね。人類は人類のことを心配していればいい。人間が神の心配をするなんて、了見違いもはなはだしい」
 お説教のような調子でそう言われて、思わず苦笑してしまった。ようやく、いつもの厨房に自分が帰ってこれた、という気持ちになれた気がする。
「あなたは、未来のビルスさまのことなんて気にしたってしょうがないのですよ。サイヤ人たちのように、未来に希望を託して戦えるような立場でもないのですから。あなたにはあなたの、ビルスさまにはビルスさまの、使命があるんですよ」
 ウイスはそう締めくくって、厨房から静かに出ていく。
 誰もいなくなった厨房で、調理を再開することにした。今は蒸し器をとりだし、点心をつくっているところだった。アツアツの肉汁がしたたる小籠包は、わたしの得意メニューのひとつである。たしか、ビルスさまも好きな品だったと思う。
「使命、かあ」
 ウイスの言葉は正論だった。正論だったが――トランクスが死に物狂いで戦っている今、ほんとうに自分はぼんやりとしていていいのだろうか、という気持ちになってしまった。「人類は人類のことを心配していればいい」とウイスは言った。ならば、わたしは、トランクスのことを心配してもいいのだろうか。
「……この点心、ちょっとだけ多めにつくって、トランクスさんに届けてもらおうかな」
 トランクスがまだこちらの世界にいるのかどうかは、わからない。が、ウイスとビルスさまに頼んでみようと思った。自己満足かもしれない。いらないお世話かもしれない。でも、ひとりの人間として、人類に希望を託してみたかった。
 トランクスの使命を、自分にできる形で手伝う。
 そうすることが、死んでしまったという未来のビルスさまに対しての、手向けにもなるような気がしてならなかった。


20161221  
 
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