おかえりなさい


「ねえ、なまえ

 懐かしい声が聞こえた。
 思わず息を呑んだ。
 だって、あの身勝手な神さまは、眠っているはずだもの。
 彼を十年も待っているせいで聞こえる幻聴だろう。
 そう思って、調理の手は緩めなかった。

「なんで無視するんだ?」

 不満げな問いかけ。それもきっと幻聴だ。
 夕食は青椒肉絲。スピードが命なので、よほどのことがないかぎりはフライパンから手が離せない。ジュッ、ジュッ、というおいしそうな音を立てつつ、調理を続行する。
 ウイスと予言魚さんだけが食べる食事だが、だからこそ手は抜けない。だって、『あのお方』が帰ってきたときに……まずい料理なんて出せない。

「ま、いいや。ここで見てるからさ」

 ……わたしはようやく、フライパンのはるか上の方にある、むらさき色の影に気づいた。
 見上げると、十年ぶりに目が合った。
 フライパンの真上の空中に、あぐらをかいて浮かんでいる。さんざん無視されたせいか、ちょっとむくれているようだ。

「……うそ、ですよね?」

 言いたいことがまとまらず、消えていく。
 視界を覆う涙でうまく話せなくなって、わたしはフライパンを取り落としそうになった。
 十年ぶんの気持ちが一秒で押し寄せてくる。

「おいおい、それは今夜のごはんだろう? 落とさないでくれよ」

 わたしの肩を抱いてフライパンを支えつつ、いつのまにか隣に立っていたビルスさまは、にっと皮肉げに笑った。
 その笑みで、ようやく十年前のわたしが、現在のわたしになる。そのあとの言葉は、すらすらと出てきた。

「……おかえりなさい。お待ちしていました、ビルスさま……」
「うん。それでこそ、ぼくの料理人だ」

 彼にしてみれば、昼寝していたくらいの時間なのだろうが、わたしにとっての十年は大きい。

「ほんとうに……ずっと、待っていました……」
「泣くなよ。青椒肉絲がしょっぱくなる」

 ちょっとあわてた調子で言うビルスさまが愛おしくて、わたしはにっと笑った。

20190802
リクエストボックスより、ビルスと料理人夢主です。やっぱり寿命の差が萌えだよなと思うふたりです。
大変遅くなってしまってすみません。リクエスト、ありがとうございました!
 
 
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