その日、死者を悼むように雨が降りつづいていた。
 そんな雨のなかに、二人だけが立っていた。

「人斬りというのは、やはり、わたしたちとはまったく違う考えを持っているものなのでしょうか」

 少女は、ずっしりと重い空気に耐えかねて、そんなことを言った。
 今日も、例の人斬りによる犠牲者が出た。
 どうやら、その人斬りは人を斬ることに味をしめてしまったらしい。
 来る日も来る日も、死者ばかりが増えつづける。
 慎重な人斬りらしく、助かった者は非常に少ない。むしろ、ほとんどいないと言い換えてもいい。
 李は助かった者に会ったこともあるという。生存者は、あまりにも惨い光景を見たせいで、口もきけないような状態だったらしい。
 現場に居合わせた人間がいない以上、下手人を特定するのは難しいだろう。
 まさに今、師匠もその人斬りに出会っているかもしれない――そう思うと、少女は気が気でなかった。

 少女は胸のなかのモヤを晴らすように、言葉を継ぐ。
「わたしたちだって、人を殺せる力を持っていますよね。しかし、わたしたちはあのようなことをしようとは思いません。やはり、尋常ならざる思考を持っているから、人を斬るのでしょうか」
 問われた李成龍は、すこし間を置いて、慎重に答える。
「人斬りの目的は不明ですが、おそらく最初は、魔が差しただけなのでしょう。誰にでも起こりうることです。我々だって、同じことをしないとは限らない」
「わたしは、そんなことはしません」
即答する少女を見やり、李は薄く笑った。どことなく大人びた顔だった。
「絶対にしないとは言い切れません。人の心はもろいもの。それゆえ、我々のような者は、体だけでなく、心を鍛えねばならないのです」
少女は、その言葉に完全に納得することができず、黙ってしまった。
彼女の様子を見て、何か言うべきだと思ったのだろう。彼は話しはじめた。

「わたしの国に、それはそれは優れた拳法の使い手がいました。義に厚く、尊敬すべき人物でした。彼の足技は非常に軽やかで、柔軟で、強かった。その強さを、見習いたいと思いました。しかし……」
「何か、あったのですか」
「彼はその圧倒的な力で、ある夜、町中の人々を襲い、お尋ね者となりました。一晩で、その町は滅びてしまった。わたしが知る限り、彼は見つかっていません。いまだ彼は、あの国のどこかをさまよいつづけているのです」

 少女は絶句したが、彼は構わずつづけた。

「何があったのか。おそらく、とてつもない恨みでしょう。言葉には尽くせない情念でしょう。さらにそこへ魔が差して、そうなってしまったのでしょう。今となっては彼が何を恨んでいたかは想像しようがないのです。ただ、わたしは彼のうつくしい舞のような技を思い出して、思うのです。あのような優れた使い手でも、堕することはあるのだ、と」

「……いつか自分もそのようになると、お考えですか」
 少女の問いかけに、彼は答えなかった。

「……ここは、平和でよい村でしたね。みな、異人であるわたしにも、親切にしてくださいました。わたしは、こういった大切な平和を守らなくてはなりません。自分が堕しているいとまはない。そう、自らに言い聞かせています」

 雨は止みそうになかった。雨のなかで立ち尽くしながら、少女は思う。この度の人斬りも、もしかすると、うつくしく、優れた使い手なのかもしれない。すくなくとも、その人斬りは、関わった人間すべてを死に至らしめるほどの実力を持っている。殺されたなかには、帯刀していた者もいた。いずれ立ち向かうのだとしたら、覚悟が必要だ。

 そして、自分が修羅になるかもしれないという覚悟も、おそらく必要なのだろう。尋常ならざる情念、とてつもない恨み……そういうおぞましいものは、ありふれた日常のなかにこそ、潜んでいるのだから。
 彼の沈鬱な横顔を見ていると、自分も魔に取り憑かれてしまうような気がしてくる。少女は身震いしながら歩き出した。水たまりを踏みしめていくと、足がしたたかに濡れる。まっくろな髪を雨にすべて浸しながら、この雨がすべての穢れを洗い流してくれるようにと、少女はただ祈った。

 ふと振り向くと、彼がこちらを見て笑っていた。修羅ではない、優しい男性の笑い方だった。自分があまりに暗い表情をしているから、彼は励まそうとしているのだ、と気づいて、少女は笑い返そうとした。
 まだ幼い拳法家の少女は、くしゃくしゃと、泣くようにして笑った。
 それで本当に笑っているように見えたのかは、自信がなかった。

かなしいくらい雨


20150903