蒸し暑い日が照りつけるなか、わたしと李は、町のなかを歩いていた。
 町では日照りによる水不足が懸念されているようだったが、まだそこまで深刻な問題ではないようだ。
「李さん、今日はこれからどうします?」
「もちろん、修行です。暑い夏だからといって、修行を怠ることはできません」
 彼は快活な顔でそう言い切った。この人の修行好きは本当に筋金入りらしい。
「そうですか。それにしても、今日は特に暑いですね」
 わたしは額の汗を拭った。彼も汗をかいてはいたが、ぴっちりとした服装のわりに涼しそうだった。
 その様子を見て、ふと、大陸の気候と、この国の気候の違いについて尋ねたくなった。が、あまり故郷について詮索するのも失礼かもしれないので、やめた。
「心頭滅却すれば火もまた涼し。と、この国では言うそうですね」
 彼は関係があるようでないような話をしはじめた。相槌を打とうか悩んだが、黙って聞き流すことにした。
「精神の修行をすれば、夏でももっと涼しい心地になるのでしょうか。自分には修行がたりないのだ、と思わずにはいられません」
 彼はとてもまじめだ。それゆえに、なにか大事な思考が抜けている気がしてならない。

「あーっ! お二人さん、ちょっと寄ってってーや」
「せやせや、せっかく通りがかったんやからな」
 ……どこかで聞いたことのある男女の声がして、そちらを見やる。一条あかりと神崎十三だ。こんな特徴的な言葉で話す知り合いは他にいない。
 以前に一戦交えたことのある二人組だ。戦いのあと、わたしたちと敵対する必要はないとわかったため、現在は単なる知り合いといった風情である。あかりと十三にとって、李成龍はいじりがいのあるオモチャのようなものらしく、こうして声をかけられたときには、たいていろくなことにならない。
「こんな暑い日ぃに、そんなまじめくさった顔してたら、余計暑くなってしまいますやろ」
 十三はそんなことを言って、李の肩を馴れ馴れしく抱いた。
「うちらと遊んでいってーな、おにーさんとお嬢ちゃん」
 一応、わたしのほうがあかりよりも年上のはずなのだが、なぜか『お嬢ちゃん』なんて呼ばれている。しかし、あかりのほうが大人びているのも事実なので、特に訂正しようとは思わない。こう見えて、この陰陽師見習いの少女、なかなか達観したところがある。下手をすると、李よりも大人かもしれない。
「どんな遊びなんですか?」
 李が困ったような顔で返答した。後ろ髪を引っ張られたり、頭頂部を叩かれたり、扇子を奪ってハリセン代わりにされたり……といった思い出が蘇るのだろう。あかりも十三も、悪気はないのだが。
「これや!」
 と言ってあかりが示したのは、大きなたらいだ。なかにはいっぱいの水。涼しげな外見だが、洗濯でもするのだろうか。
「これを頭上から落とすんや!」
「十三、それはちゃうわ。こんな水が入ったもんを落とされたら、さすがのこのふたりでも大変や」
 十三にツッコミを入れてから、あかりは水に両手をつけて、そこからぴゅっ、と水を飛ばしてきた。闇雲に飛ばしたわけではないらしく、 水はちょうど李の顔に命中した。
 李は突然のことに何も言えないらしく、口をぽかんと開けて固まっている。
「あかりさん、これは水遊び……なのでしょうか」
 しかたがないので、彼の代わりにわたしが問いかけた。
「せや。嬢ちゃんは知らへんかもしれんけどな、手をこうすると、」
 と彼女は両手を独特な形にして、手のなかに水がたまっていくようにした。
「思ったところに水を飛ばすことができるんやで」
 言うやいなや、ぴしゅっ!と音を立てて、また水のかたまりが李の顔にあたった。
 その水が李の心に火をつけたらしい。
「わたしにも貸してください。もっと、うまくやってみせます」
 と言って、李もたらいに手をつっこんで、水鉄砲の真似事をしはじめた。おそらく初めてなのだろう、水はあらぬ方向に飛び散り、なかなかあかりや十三のほうには飛んでいかない。四苦八苦した彼は、むきになりながら、あかりと十三と共に水遊びを楽しんでいた。
 ……どうやら、今日のお昼の修行は延期になりそうだった。
 水をかけられて火がつくなんて不思議なことだ。不思議だけれど、とても彼らしい。
 わたしは水遊びに混ざりつつ、そんなバカなことを考えていた。

 普段は、李の炎のような姿に憧れているけれど、
 今だけは、水になりたい。涼やかで軽やかで、自由な流水に。



水になれたら、
(きっと、どこにでも行ける)



20151120