つめたい赤で溶かす



 集落の外れで、赤い椛がはらはらと散っていく風景を見ていた。
 この国の時節の移り変わりに触れて、わたしはほっと息をついた。
 李はといえば、人斬りについて聞き込みをするため、すこしだけ遠出していた。しばらく帰ってはこないだろう。
 たったひとりではあるが、紅葉を眺めているだけで気が晴れて、涼やかな気持ちになる。
「素敵な簪ね」
 唐突に、澄んだ声がして、はっとした。そんな場所に人がいる気配はなかったと思う。わたしは、椛に見とれすぎて、ぼんやりとしていたのかもしれない。
 振り向くと、赤い着物をまとった女が立っていた。淑やかで、いかにも大和撫子といった風体だ。
 ただ、帯刀しているのがすこし気になる。女が帯刀しているのは、珍しい。着物もずっしりとしたものではなく、動きやすさを重視しているように感じられた。
「あ、ありがとうございます」
 このあいだ、李に買ってもらった簪について、他人に指摘されたのは初めてだ。どうしてもそわそわとしてしまう。
 赤い着物の女は、うやうやしく一礼して、
「旅の人かしら。ここらではあまり見ないような顔だけれど」
 と尋ねた。
「ええ。今、李さん……仲間と一緒に旅をしているのです」
 李のことをなんと紹介すればいいかわからず、一瞬、口ごもってしまった。
 女は特に気にしていないようだった。わたしと話をするために、刀の角度をすこし変えて、姿勢を正す。
 流れるような優美な動作だ。それだけで、彼女が優秀な剣士であろうことは容易にわかった。
 つづけて、女はわたしにこう問いかけた。
「いったいなぜ、旅をしているのか訊いてもいいかしら」
「わたしは、師匠を探しています。人斬りを追いかけて、どこかへ行ってしまったのです」
 それを聞いて、女はやわらかな表情になった。
「お師匠さんのこと、好きかしら」
「ええ。尊敬しております。ですから、どうしても会いたいのです」
「わたしも、おとうさんのことをとても慕っているの。だから、なんとなくわかるわ。頑張ってね」
 優しく励まされて、わたしはにっこり笑った。
「ところで……あなたのお仲間は、人斬りを探しているのね」
 そのとき、女の瞳が妖しく輝いた気がした。しかし、きっと気のせいだ。淑やかな女の瞳が、妙な光を宿すわけはない。
「詳しいことは知りませんが……いろんなところで人を斬っている極悪人ですよ。あなたも気をつけてください。女は狙われやすいと思いますから」
 わたしの必死な説明を聞いて、彼女は愉快そうに笑った。
 なぜ今、笑ったのだろう?
 不吉な人斬りの話をしているのに、まるで他人事だと言わんばかりの、余裕のある笑いだった。
 彼女は、すこしだけしゃがんで、わたしと視線を合わせた。そんなしぐさも好感が持てると思った。
 明るく人懐こい一条あかりとはまた違う、大人の女の貫禄を感じる動作である。
 李に子ども扱いされることの多いわたしとしては、このような身のこなしは心底うらやましい。
 ひとしきり笑った後、彼女はわたしの頭をなでてくれた。
「ご忠告痛み入ります。あなたも女なのだから、気をつけてね」
 わたしは丁寧に礼をする。李の抱拳礼を思い返しながら、感謝の心を精一杯に込めた。
「はい。ありがとうございます。……ええと」
 わたしが名を尋ねるより前に、彼女は鈴の音のような声で言った。
「わたしの名は高嶺響。あなたは?」
なまえです」
 彼女は椿の花を思わせる顔で笑いながら、
なまえさん。どうか、幸せな旅を」
 そう言って、着物のすそを鮮やかに翻して去っていった。
 特別に着飾っているわけではなく、むしろ慎ましい見た目なのに、ひどくうつくしいひとだと思った。
 ただ、あの赤い着物は、どこか不吉の赤のようにも見える。
 そんなことを考えるのは失礼であるとわかっていながら、彼女の腰の刀のことが忘れられない。
「たかね、ひびきさん……」
 どうしてだろう、彼女とはまた出会うことになるような気がした。
 次に出会ったときには、彼女の帯刀の理由を聞いてみたい。答えてくれるとは限らないのだが、どうしても知りたいのである。

 あれ以来、はらはらと散る花びらや紅葉を見ると、どうしても響のことを思い出す。
 鮮やかな赤。たおやかで麗しいのに、どこか儚げな人。
 彼女と出会ったことを、李には言わなかった。特に尋ねられなかったから口にしなかったのだが、もしかすると、わたしはこの後に起きる悲しい出来事を予感していたのかもしれない。

――どうか、幸せな旅を。

 響がわたしに投げた言葉の意味を、わたしはまだ知らなかった。知るわけがなかった。






20151120