視界の端で、赤い椛が散っていくのが見えて、李成龍は振り返った。
 人斬りの情報を集めるため、今日はひとりで聞きこみをしている。同行者の少女は、今日は宿の近くで待つと言っていた。
「……あの子をひとりで置いてきて、ほんとうによかったのでしょうか」
 彼は旅の仲間の身を案じる。純粋に戦う力のみであれば、少女はそこらの大人よりも強いだろう。だから、戦いのなかで彼女が負けてしまうということは考えていない。しかし、少女の精神は極端に幼い。そのひ弱さを突かれたら、ひとたまりもないだろう。
 李は思う。自分がこのような少女と引き合わされたことも、修行の一部に違いない。自分が修行僧としてやるべきことは、この世を救うことだけではないし、人斬りを倒すことだけでもない。人々を正しい方向へ導くことも、使命のひとつだ。ゆえに、齢よりもはるかに幼いこころを持つ少女を鍛え、導くことが、今の自分を成長させるだろうと彼は考えている。未熟な自らを育てるためにも、少女とともに旅をせねばならない。もちろん、『大いなる災い』による危険が迫ったなら、少女を置いていく覚悟もすでにある。

――わたしもきっと、李さんのことを慕っているんです

 真摯な顔で思いを告げた少女の顔を思い出すと、心がちりちりと焼けゆく心地がした。あの日、少女の拙い思いを、李は叱咤して突き返した。しかし、ほんとうにそれでよかったのか、疑問に思うことがある。自分はいまだ修行中の身で、常に最善の選択ができるわけではない。いつだって、未熟ゆえに惑う。それは、少女も李も同じなのだ。
 ほんとうは、少女のことをさっさと切り捨てて、ひとりで旅に戻らなくてはいけないとも思っている。少女にさまざまなことを教えるのは大切なことだ。しかし彼女のこころが李に深入りすればするほど、彼女は危険にさらされるのだ。人斬りとの争いにしろ、大いなる災いとの戦いにしろ、命が危ないのは自明の理。そのような旅に幼い少女を同行させることは、ほんとうに正しいのだろうか。
 少女に思いを告げられたとき、彼は真っ先に彼女の身を案じてしまった。男が命を投げ捨ててでも何かを守ろうと思ったとき、その男を愛する女はなぜか、自分も命を投げ出してしまう。浮世はそういうふうにできている。少女が自分を慕えば慕うほど、少女の命は危なくなる。ただの仲間であれば、彼を見捨てて逃げることもあるかもしれない。でも、この世でただひとりの想い人だというのなら、話は別だ。このままでは、いずれ少女は彼のために命を捨てる。

 椛を踏みしめて歩いた彼は、ひとりの子どもを見つけた。あの少女によく似た、怯えた獣のような目つき。目を見ただけで、その子どもに親がいないのだということがわかった。
 李はにっこりと笑って、右手であやすように淡い炎を操りつつ、左手ででんでん太鼓をさしだして鳴らす。こういうこともあろうかと、先ほど出店で買った品だった。敵意がないということを察したのか、子どもは目を輝かせて近寄ってきた。
 李が両親のことを尋ねると、子どもは怯えたように泣きはじめた。母親と父親が目の前で殺されたということを、切れ切れに語る幼子を、李は黙って見守っていた。浮世には、このような孤独な幼子が多すぎる。李の国でも、この国でも、同じだった。すべての話を聞き終わってから、彼は礼を言って、子どもにでんでん太鼓を手渡した。子どもは、涙を拭いながらも、李の優しさに感謝したのか、笑みを見せた。
 そんな子どもを安全な場所まで見送った李は、立ち止まって思案する。
 会話のできる生き残りと出会ったのは初めてだった。
 幼子は、ほとんどの記憶を恐怖ゆえに失っていたが、ひとつだけ、人斬りのことを覚えていた。

「赤かった……」

 ぼそりと吐き出された言葉を、李は反芻した。
 人斬りは、赤かった。
 返り血ゆえの赤なのか、着物の赤なのか……詳しいことはわからなかったが、貴重な情報だ。こうして、すこしずつ情報を集めて歩む先に、件の邪悪な人斬りがいるかもしれない。
 日が暮れかけている赤い空を、李は見つめる。今、この空の下に、少女や少女の師匠がいるはずだ。少女とともに歩む旅路は、幸福に満ちている。しかし、そのうち少女はあの幼子のように、孤独に突き落とされるのやもしれない。かつて家族を失った少女が、師匠や李すらも失ってしまうなんて、考えたくもない。考えたくはないが、ありえることだ。
 そんな艱難辛苦もまた、少女にとっての心の修行ではあるのだが……できれば、そのような思いをさせたくはない。そのために自分ができることは、少女を置いていくことなのか、自分が少女を守れるように強くなることなのか、そのどちらでもないのか。未熟な李成龍には答えを悟ることができなかった。


わたしを忘れてください、
(あなたがかなしむくらいなら、そのほうがずっといい)



 彼が思いに沈んでいるとき、彼の背後を赤い着物の女が通りかかった。
 しかし、落ちた椛を踏みしめて苦悩に没頭していた彼は、女の姿に気づくことはなかった。
 紅葉のうつくしい、赤の季節の出来事だった。




20151203