李成龍には桜や梅の色がよく似合う。男性に対してそういったことを考えるのはおかしいかもしれないが、淡い桃色と彼の炎の赤が近いせいだろうか、とてもしっくりくるのだ。
「日が落ちる前に、お花見に行きませんか」
 その日、勇気を出して、そう提案してみた。彼は顔の汗を拭ってから、すこし考える素振りを見せた。
「そう、ですね。修行もいいですが、息抜きも大切やもしれません」
「では、行きましょう」
 ふたりで歩き出す。ところどころに、桃色の花弁がはらはらと散っていくのが見える。
 花見団子を手に歩いて行く町人たちとすれ違うたび、春が来たのだなと実感できた。鮮やかな三色の団子は、花と同じく、鮮やかな色彩で目を楽しませてくれる。
「普段、修行ばかりしているせいか、花のうつくしさを忘れかけていました」
 彼は快活にそう言って、風にのる自らの後ろ髪を軽く払う。
 そして、舞い散る花びらに手をかざしながら、わたしのほうを見やった。
「ふと、思い出したことがあります。お話ししてもよろしいでしょうか」
「なんでしょう」
 わたしが応じると、彼はほっとしたように話しだした。
「大僧正にこう問われたことがあります。"百花、春に至って、誰がために開く"」
「"百花、春に至って、誰がために開く" ……」
 学のないわたしには、まったくぴんとこない言葉だった。そんなわたしに、彼は安心させるように語りかける。
「これという決まった答えはないのです。大僧正は、そのときのわたしに、その問いが必要だと考えたから、そう問いかけられたのだと思います。答えは用意されていません。考えることもまた、修行です」
「むずかしいのですね……」
 答えのない問いなんて、考えただけでも頭が痛くなってしまいそうだ。わたしには、無心に肉体の修行をするほうが性に合う。正直にそう言ってみると、彼はあっさりうなずいた。
「わたしも、そうした修行のほうがよほど気楽だと思うことがありますよ。それだけではいけないのですけれどね」
「それで、李さんは、どんな答えを出したのですか」
 空を舞う花弁を目で追いつつ、わたしは問いかける。彼はいたずらっぽく笑った。
「それは言えません。こういった問いのことを、大僧正は公案と呼んでいました。公案の答えは、他人に教えてはならぬということになっているのです」
「なんだか、きつねにでも化かされたような思いです……」
 そう言って黙りこむわたしを見やり、彼は花弁を一枚つまんで、そっとさしだした。
「化かしてなどいませんよ。あなたは、花は誰のために咲いていると思いますか。修行僧でないあなたは、わたしほど切実に考えずともよい。気楽に考えてみてください。考えぬいた末に出した答えは、きっとあなたの人生を善くするでしょう」
 花は、誰のために咲いているのか……。わたしは、できるだけ素直に考えてみた。
 ふと、ひとつの景色を思い出す。

『花見酒ってのはとてもいいもんだ。なあ、そうは思わないか』

 盃に桃色の花弁を浮かべて、うまそうに飲み干す師匠の姿。そのときのわたしはまだ幼く、彼が何を飲んでいるのか知らなかった。ただ、盃に浮いた花弁がほんとうにおいしそうに見えた。おとなになったら、同じものを飲もうと思った。
『はは。おとなになったら、一緒に酌み交わしたいもんだねえ』
 そうだ、わたしは師匠とそんな約束をしていた。だから、はやく大人になりたいと思っていたのかもしれない。尊敬する師匠と同じ場所へ立ち、彼と向き合いたかったから。

「李さん」
 わたしは、弾かれたように彼の方を向いた。彼は静かに応じる。
「答えが、出ましたか」
「はい。花は人のために咲いている。今を生きている人のため、花を楽しむ人のために。そう思うのは、傲慢でしょうか」
 彼の後ろ髪に絡むようにして、花弁が舞い落ちていくのが見える。彼はまじめな顔でこう返した。
「そうですね。それは、人の傲慢さだ。しかし、人に生まれたからこそ、われわれは傲慢になる」
 わたしは、神妙な顔で彼に問う。
「傲慢は、いけないことでしょうか」
「いけなくはありません。傲慢であるからこそ、われわれは花見をするのです。人のために咲いた花。そんな幻想を愛でることができるのもまた、人だけだ」
 一瞬、うつむいてから、わたしは愛しい師匠の顔を思い浮かべてみた。
「お師匠もきっと、同じようなことを言うと思います。あの方は、豪胆でしたから……」

 太陽を背にした李の向こうから、あたたかな日差しが見え隠れしていた。
 師匠とは似ても似つかぬ李成龍と肩を並べて、なぜかわたしは、なつかしいあの日あのときに戻ってきたように思った。師匠とともに花を見上げ、酒を羨んだ、あの日。師匠のいる場所へと、はやく追いつきたいと思った、あのとき。
 わたしは、成長しているだろうか。李の問いかけは、わたしを善くしてくれただろうか。そんなことを考えつつ、わたしたちは団子屋に向かうことにした。花を愛でることは人の特権であるかもしれないが、団子を愛でることもまた、人の証であるからである。ゆらめく不安定な春。わたしは彼とふたりで、たしかにここにいる。

「ほんとうに、よい春です。ありがとう、なまえ

 李がわたしを呼ぶ声が、師匠のものと重なって響いた。
 来年は、李と師匠の両方がそばにいてくれればいい。師匠に李を紹介したら、どんな顔をするだろう……花見団子を食べながら、そんなことを考えていた。
ゆらめいて、
(この晴れやかな日。あなたに、会わせたい人がいる)




20160313


禅の道、仏の道についてもまじめに考えている彼であってほしい、という気持ちを込めて。
夢主は禅僧ではないので、公案についての説明はざっくりと、初心者向けっぽい感じで。