――枯野にひとり佇んでいる。吹きつける冷たい風はなぜか不愉快ではなく、むしろわたしの気持ちと似ているような気がした。
 きょうも、李とは別に行動している。彼はなにやら考えたいことがあると言って、朝早くに出かけていった。わたしはといえば、枯野見にやってきている。
 わたしと李の共通の知人に、天野という男がいる。おちゃらけているが義理堅い男児であるところの彼によれば、江戸には「枯野見」という風習があるのだそうだ。冬の枯れた野に出かけ、枯野をただ眺める。それが江戸っ子にとっては粋なのだという。
 江戸の文化を知らぬ李にしてみれば、まったく理解できない風習であろう。しかし、わたしは枯野に興味を持った。それで、きょうはわざわざここまでやってきた。

「……ひとりでいるほうが性に合うのかな、わたし」
李と一緒にいるのはとても楽しいのだが、近ごろはひとりでいたいと思うことも多い。それは、李がわたしになにかしらの秘密を持っているからだろう。椛散るあの日、彼は何を知ったのだろう。
「ひとりがよければ、わたしは退散しようかしら」
……と、凛とした女性の声がして、わたしはあわてて振り向いた。
「響さん!」
高嶺響がそこに立っていた。彼女と会うのはこれで二度目だ。
「こんにちは。きょうも、ひとりなのね」
「たまたま、ひとりで枯野見に来たのです」
わたしの答えを聞いて、彼女はふっと笑った。
「枯野見、ね。わたしも似たようなものよ」
ふと疑念が浮かんで、わたしは彼女に問いかける。
「響さんは、どうしてこんなところにいるのですか。以前にお会いした場所からは、かなり離れているように思います」
「わたしも旅をしているから。真実を知るための旅をね」
迷いのない様子で、彼女は答えた。
「そうだったのですか」
「あなたはなぜ、仲間と一緒に枯野を見にきていないのかしら」
「それは……」
何と答えるべきなのだろう。せっかくの枯野見、李と一緒に来ればよかったのだ。そうすれば、響を紹介することもできた。なのに、なぜ、ひとりでいるときに来ようと思ったのだろう。
 目の前の赤い彼女は、目だけで微笑んで、こう口にした。
「わたしが当ててさしあげましょうか。あなたは、お仲間に疑いを持っているのではないかしら」
「疑い、とはなんでしょう」
まさに彼女の言い当てたとおりだったのだが、わたしはあえて問い返した。
「さあ、そこまでは知らないけれど。わたしも今、疑っているから、そうだと思ったの」
「響さんは何を疑っておいでなのですか」
「父、かしらね。あるいは、正義かもしれない……」
正義を疑うとは何なのだろう。そんなことは考えたこともなかった。
「わたし、李さんを疑っているかもしれません。あの方はわたしになにかを隠している……そんな気がしてならないんです」
「おとこなんてみんなそんなものよ。心のなかに、なにもかも隠している。そんなに落ち込まなくても大丈夫」
響に言われると、ほんとうにそうである気がしてきた。
「でも、どうして? どうして、響さんは、わたしの心がわかるのですか」
「他人の心など、わかりはしないわ。でも、あなたはわたしに似ているような気がするから……」
「似ている?」
「わたし、真実を探して旅をしているの。あなたも、そうでしょう?」

 ――真実。
 その言葉を聞いて、飛び上がりそうに驚いた。
 そうだ、お師匠と会いたいだけではない……わたしはほんとうのことが知りたいんだ。
 お師匠が、わたしのもとから消えたまま、戻ってこない理由。
 お師匠が追っていった人斬りの正体。
 すべて、すべて知らなければ、この旅は終わらないのではないか。

「そうです。わたしはほんとうのことが知りたい。響さんと、同じです」
「では、がんばってね。あなたの旅、応援しているから」

 さらりと告げて、響は踵を返す。
 枯野の風景は彼女によく似合った。
 きっと、李には似合わない。彼には、枯れた花より、咲く花のほうが似合うからだ。
 それは、なぜなのだろう……。

「響さん!」

 わたしは大声で彼女を呼び止めた。

「なにかしら?」
「また、会えますよね?」

 彼女はあきれたように笑った。

「ええ。あなたが真実を探すかぎり……きっと会えると思う」

 枯野のまんなかで、女が笑う。やはり、きれいだった。掛け軸に飾られた絵みたいだ。この場所のすべてを枯れさせたのは、彼女のうつくしさではないだろうか……わたしはそんなことを考えてしまった自分を恥じた。恥じながら、彼女に大きく手を振ったのだった。
わたしは 枯野へ行く
(枯れてなお、うつくしいものは在る)




20190110