彼のいない杜王町

 その夜、杜王町の空がまっしろに染まるのを見た。
 こんなにうつくしい夜空を見るのは、初めてだった。
 わたしの家からは、図書館の屋根がよく見える。
 杜王町立図書館――通称【茨の館】。
 まっしろな夜空の下、茨の館の屋根の上に、人が立っていた。
 時代錯誤のリーゼント。
 だぶついた学ラン。
 すっと伸びた背筋。
 鋭い眼光。
 わたしは、その人の名前を知っていた。
「東方、仗助――」
 話したことがあるわけではない。
 ただ、名前を知っているだけ。
 蓮見先輩から聞いたのだ。
 妙な動きをしているやつがいる、と。

 杜王町の夜空が白く染められた、次の日。
 蓮見先輩の遺体が見つかった。
 全身の骨が砕かれたその遺体は、茨の館の玄関で見つかった。
 導かれる結論はひとつだ。
 東方仗助が、蓮見先輩を殺した。
 それしかない。

+++

 蓮見琢馬という人は、だれとも仲が良くなかったと思う。
 唯一、双葉千帆という女の子とよくデートをしていたようだが、蓮見先輩はあまり楽しくはなさそうだった。義務感でつきあっているとでも言いたげに、いつもよそよそしかった。たまに町中でその姿を見かけたけれど、彼はまったく笑うことがなかった。笑顔を奪われてでもいるように。

 わたしはといえば、彼とは、たまに世間話をするくらいの付き合いだ。先輩の持つ【革表紙の本】が見えるのは、どうやらわたしだけのようだったから、その話ばかりしていたように思う。
 彼の話によれば、この杜王町には、不可思議な事件や怪奇現象が多いらしい。
 鉄塔に住む男。ビルの谷間で生きつづけた女。ビルの壁を歩いて屋上まで登った少年。突然、左手だけが異様に重くなった男……などなど、「そんなこと起こるわけないよね」と指摘したいような都市伝説があまりに多いのだ。
 噂好きが多いだけ、と割り切るには、妙なデータがありすぎる……と先輩は言っていた。
 先輩は、それらの都市伝説が実話かもしれないと疑っているようだった。

「杜王町は、人間を食っているんだ。ばけもののような町さ」
「都市伝説の正体は、【杜王町】そのものだって、先輩は思うんですか?」
「まあ、そんなところだ。だから、どんなにがんばったって、原因を取り去ったとしても、どこかでだれかが消えていく……杜王町はそういう場所なんだよ」

 先輩はあくびをしながら、そんなことを言っていたっけ。
 わたしは図書館の門の前で、彼のことを思い出しつつ、立ちつくす。
 彼が死んでから、もう何ヶ月も経ってしまっていたが……怖くて、この場所には近寄れなかった。
 きょう、ようやく、来ることができた。
 初めて会ったときから、蓮見先輩に恋をしていた。
 彼がだれも好きにならない人だとわかっていながら、彼を求めていた。
 いつか、彼がこちらを向いてくれることを期待していた。
 同じ杜王町という場所にいれば、きっといつかチャンスはやってくる。
 そう信じていたのに――

「蓮見先輩……どうして、死んじゃったんですか」

 図書館の前で、大声をあげて泣いてしまった。きょうが休館日でよかった。周囲には誰もいないから、泣き顔を見られずに済む。
 ここに彼の死体が落ちていたかもしれないと思うと、泣かずにはいられなかった。
 雪の降る夜に、たったひとりで、死に絶えた少年。
 彼の孤独な死を思うと、胸が張り裂けそうだった。
 
「あんた……蓮見琢馬の知り合いっスか」

 背後から声をかけられた。
 振り返った瞬間、びっくりしすぎて心臓が止まりそうになった。

「ひ、東方、仗助……?」
「俺のこと、知ってるみたいっスね」

 そこにいたのは、あの日、図書館の屋根に乗っていた東方仗助だった。
 相変わらず、リーゼントスタイル。だぼだぼした学ラン。きりりとした眼光も、あの日と同じだった。
 怒りと恐怖がごちゃまぜになって、心のなかで嵐が吹き荒れた。
 こいつが……この男が、先輩を殺したんだ。

「蓮見琢馬から聞いた、ってところっスかね。なんつーか、その……」
「あなたが、殺したんですよね」

 わたしが吐き捨てると、彼はとても悲しそうな顔になった。
 残忍な殺人犯の顔などではない。ちゃんと先輩の死を悼んでいる人の顔だった。
 東方仗助を責め立てようと決めていた私の決心は、彼のその表情で、もろくも崩れ去る。
 彼は独特の敬語をやめて、タメ口で語りだした。

「俺が殺したんじゃあない……と言っても、信じてはもらえないかもな。俺は言い訳はしないし、嘘もつかねえ。あの夜、蓮見琢馬は自殺した。でも、自殺するほどに追い込んだのは……俺かもしれない」
「自殺……? 全身の骨が砕けていたんですよ。自殺でなんて、あるわけないでしょう」
「骨を砕いたのは俺だ。だが、一方的になぶったわけじゃあない。こっちも殺されそうだったんだ」
「蓮見先輩は、あなたを殺そうとしたんですか?」
「ああ。そうさ。あいつは、俺も億泰もまとめて殺そうとした。だから……」

 蓮見先輩がそんなことをするはずがない、あなたたちが一方的に彼を殺したんだ、あなたは人殺しだ……と叫びたかった。
 しかし、言えなかった。先輩なら、やりそうだ……と思ってしまったからだ。
 東方仗助の語る蓮見先輩には、リアリティがあった。
 わたしは今まで、『東方仗助が蓮見先輩を殺した』というストーリーに違和感を抱いていたのだ……蓮見先輩が黙って殺されたはずがない。彼はそんなやわな男じゃない。
 だから、『蓮見先輩が東方仗助を殺そうとした』というストーリーに、しっくりとくるものを感じてしまった。こちらが真実なのだと心底思う。
 どんな理由があったのかは知らない。
 ただ、彼は自分の信じるもののためなら、他人を簡単に殺められる人だったと思う。
 きっと、この誠実でまっすぐな目を持つ男は、先輩を止めようとしてくれたのだ。
 結果的に、先輩は止まらなかった。彼は死んだ。それだけのことだ。
 わたしは涙声で言う。
  
「……蓮見先輩は、悪い人じゃない。ただ、孤独な人だったんです。だれにも本心を見せなかった。自分の目的を話してくれなかった」

 先輩の目は、とても遠くにあるものを見つめていた。そこに到達するためだけに生きている、そういう顔だった。
 そのほかのものなんて、きっと見えていなかったんだ。わたしのことも、見てはくれていなかった。そんな気がする。
 東方仗助は、わたしを憐れむように一瞥して、こう言った。 

「……知りたかったんだな、あいつのこと」
「はい」
「あいつの【本】があれば、わかったかもしれねえ……」
「【本】?」

 【革表紙の本】――のことだろうか。
 蓮見先輩は、こう言っていた。

『これはただの本じゃない。特別な本なんだ。まあ、みょうじには言ってもいいかな……』
『特別な本?』
『俺にしか見えない本なんだよ。だから、みょうじに見えるというのはとてもふしぎだ。もしかしたら、きみは俺なのかもしれない……』

「東方さん、あなたは……【革表紙の本】を見たんですか?」

 あれは、自分自身とわたしにしか見えない、と先輩は語っていた。
 東方仗助は頷いた。信じられない。彼には、あれが見えたというのか?
 わたしは裏切られたような気分になった。
 彼の【革表紙の本】が見える……ということが、わたしにとって、たったひとつの彼とのつながりだったからだ。
 蓮見先輩は感情を表に出さない人だったけれど、わたしがあの【本】のことを話した瞬間には、嬉しそうだった。
 自分自身しか見えない秘密を、わたしと共有できたことが……悲願だったと言わんばかりに。
 しかし、ほかにも見える人がいるということは、たいしたつながりではなかったということなのかもしれない。

「あんたは……【スタンド使い】か?」

 東方仗助は驚いたような顔で、意味不明なことを言った。
 わたしは首を傾げる。

「【スタンド使い】……ってなんです?」
「なにか、ふしぎな能力を持ってるとか、ふしぎな体験をしたとか……そういうことはないか?」
「ないですよ。東方さん、あなたも都市伝説が好きなんですか?」

 東方仗助はあきれた顔で肩をすくめた。わたしは、なにか妙なことを言っただろうか?
 どちらかというと、彼の主張のほうがおかしいと思うけれど……。
 裏切られたというショックは、一気に薄まってしまった。代わりに、きつねに化かされたような気分になった。
 東方仗助というこの少年……いったい、何者なんだろうか。
 案外、この少年そのものが都市伝説なのかもしれない。そう考えて、わたしはくすりと笑った。

「スタンド使いはスタンド使いと引かれ合う……か」

 ぼそぼそと意味不明なことをつぶやいたあと、彼はにこっと笑った。

「もしかしたら、また会うことになるのかもしれねえ。そんときはよろしく。ええっと……」
「わたし、みょうじ なまえっていいます。東方さんも、ぶどうヶ丘高校ですか?」
「ああ、そうだ。ま、あんまり仲良くするのも変な話だが……よろしくな、みょうじ

 あはは、とわたしは笑った。
 蓮見先輩が死んでから、一回も笑っていなかった。
 でも、今、ようやく笑うことができた。
 東方仗助は、蓮見琢馬と殺し合いをしたという。
 先輩は、わたしと向き合うよりも真剣な眼差しで、彼と向かい合っていたのだろうか?
 だとしたら……ちょっとだけ、うらやましいかもしれない。
 
「わたし、蓮見先輩に置いていかれたような気がして、すごく寂しかった。自分だけ、あの日の杜王町に取り残される気がして、とても怖かったんです。でも……」
「でも?」
「あの夜の空、とてもきれいだった。夜なのに、空がまっしろに染まったの。まるで、先輩の命そのものみたいだった――」

 彼の命は白い紙吹雪になり、この町の夜空へ消えたのだ。
 ならば、その紙吹雪の断片は、この町のどこかに残っているかもしれない。
 そのことを思い出したら、自分は前に進まなければならないという気持ちになった。
 蓮見先輩のいない杜王町で、わたしは生きていく。
 もしかしたら、この街には彼の生きた証のかけらがあるかもしれない。
 そういうものを探しながら、一歩一歩歩いていこう。そう思った。
 
「蓮見琢馬のことは、だれにもわからねえ……俺の友だちはそう言ってたぜ。あいつがどうしてあんなことをしたのか、なにを達成しようとしたのか……なにもわからねえんだ。でも、わかろうとすることはムダじゃねえ。俺は、そう思う」

 東方仗助という奇妙な少年は、そう言った。
 わかろうとすることはムダではない――その言葉は、わたしに勇気をくれた。
 このとき、あの日に止まったわたしの時間が、ようやく現在の杜王町へ向けて動き出した。
 雪なんてもう降りそうにない、とても暑い季節の出来事だった。

20170131