Scene-01

 某月某日、杜王町。天気は晴れ。
 青空のなかに、たったひとつだけ灰色の不穏な雲が浮かぶ。しかし雨などは降らない。そんな平和な日だった。
 虹村億泰は、兄や吉良吉影のことを思い返しながら、町を歩いている。
 彼らがもういないからこそ、今日という日は平和なのだ。
 ふと兄の言葉を思い出す。億泰には、兄という存在が頭に浮かぶたび、この言葉を繰り返し唱えるくせがある。

「人は成長してこそ生きる価値がある」

 虹村形兆はいつだってそう言って、できの悪い弟を叱咤していた。
 今となっては、そんなふうに叱咤されることはない――そう考えると、兄の言葉はいつまででも噛み締めていなければいけないという気がする。
 億泰には難しいことはわからない。
 それでも、兄の言葉だけはちゃんと理解しなければ……と毎日のように考えている。
 
「ん?」

 ちょうど、支倉未起隆と初めて出会った場所。
 例の草だらけの畑のまんなかに、少女が立っていた。
 山岸由花子のように、あるいは辻彩のように鮮やかに美しい女性ではない。
 むしろ平凡で『影の薄い』顔立ちをしているように思う。ここに『いない』かのような存在感……。
 こんなたとえは無礼かもしれないが、まるで吉良吉影のようだ。その異様さから目が離せなかった。一瞬でも目を離せば、かき消えてしまいそうではないか。
 
「おい、てめえ……なにもんだぁ? 見ねえツラだな」

 思わず、そんなふうに声をかけてしまった。
 
「…………」

 少女は無言で首を傾げる。
 
「シカトこいてんじゃあねえぜ。おれは虹村億泰! 畑に立ってる変なやつをほうっておくことができねえ男だぜ!」
「わたしはみょうじなまえです」
「そこは冷静に答えるんじゃあなく、なにかツッコミがほしかったなあ、なんて……」

 彼女の硬質な口調で、未起隆のことを思い出した。
 ふつうの人間は、畑のまんなかに立ってぼんやりとしたりしない。
 そんなことをするのは、畑で倒れていた未起隆のごとく『プッツン』してそうなやつだけである。
 まあ、若干プッツンしているとはいえ、未起隆はとても気のいいスタンド使いなのだが。
 
「億泰さん」
「な、なんだ? みょうじ

 急に下の名前を呼ばれて、どぎまぎしながら少女を見る。
 億泰は女性に縁がない。端的に言って、モテない。
 この状況は、ある意味では恋のチャンスなのかもしれないと、いまさら気がついた。
 少女は消え入りそうな声で、億泰にこう言った。
 
「わたしの話し相手になっていただけませんか」

 億泰はそのとき、なぜか少女を見るのではなく、空を見上げた。
 青い青い杜王町の空。空を飛んでいく鳥たち。視界の端には鉄塔。
 この普遍的な光景を目に焼きつけておきたいと反射的に思ってしまったのは、やはり一目惚れだったからだろうか。

 そのあと、みょうじと二時間ほど、他愛のない話をした。
 単なる世間話と自己紹介にすぎない会話だったのだが、どんな会話よりも楽しかった。
 去り際に、彼女が億泰にこう言った。

「今のわたしと話してくれたの、あなたが初めてなんです」

 不可思議なセリフだった。億泰はあまり頭がよくないので、なにかの冗談か言い間違いだと解釈した。
 あとから考えれば、それは彼女の正体を端的に示すセリフだったのだと思う。
20170617