「あれ、オインゴくんじゃん。やっほー!」

カジノの片隅でトランプを繰っていたおれは、ハッとして声のした方を見る。
見覚えのある女が立っていた。名前はなまえ
けっこうかわいい見た目の女だと思って、以前にナンパしたことがある。いまでは半分恋人、残りの半分は気まぐれな友人。そんな関係。
顔を合わせるたびに明るく声をかけてくれるのはいいのだが、ちょっと空気が読めていないところがあり、ちょくちょくトラブルの種になっていたりする。

声をかけられたおれはといえば、トランプを手から落としそうなくらいにショックを受けていた。
同じ名前の人物にたまたま声をかけただけであってほしかったが、どう考えてもおれのほうを凝視している。
これは、本来あってはならないことだ。

というのは、いまのおれは『オインゴ』ではないから。
『クヌム神』の暗示であるこのスタンドは、自身の外見を自由自在に変更することができる。身長、体重、臭いなども操れるため、基本的には変装を見破れる人間などいない。胡散臭いカジノディーラーに扮しているおれの正体は、たとえDIO様であろうとも簡単に見抜けるものではない。
この女……どうしてわかった?

「オインゴくん、無視しないでよ。ひさびさに会えたんだし、あとでお茶しない?」
「……話しかけるな」
「冷たくない?」
「あと、その『オインゴくん』ってのやめろ。いま仕事中でさ、雇い主に見つかるとはちゃめちゃに怒られるんだよ」

きょうはDIO様の指示で動いているわけではなく、ダニエル・J・ダービーというバクチ狂いの男の手伝いをやっている。いかさまポーカーにはいかさまディーラーが必要不可欠だが、いつも同じ人間がディーラーをやると、いかさまがバレやすい。
彼には以前に大きな貸しがあり、人が足りないときはおれがディーラーを手伝うということになっている。
ダービーは金払いがいいので、失敗さえしなければわりのいいバイトだ。
そう……失敗さえしなければ。

ダニエル・J・ダービーは、おれと弟のスタンドの利用価値を知った上で自分のビジネスに活用するという、非常に聡い男である。特に、ボインゴの『トト神』をギャンブルに活かそうと思ったその機転は、ほかの九栄神にはない柔軟さであろう。それでいて直接的なカンニングには絶対に使わないという矜持もある。
戦闘能力がほぼないという点においてはおれたちと似たようなスタンド使いであるし、親近感もある。が、この男、ただひとつだけ致命的な欠点がある。
病的な完璧主義。
バクチで『常勝』という無理難題に平然と挑んでみたり、いかさまディーラーの失敗を許さなかったり……勝ちにこだわるあまり、寸分の負けも許せない。特に、自分以外のミスによる負けはまったく許容できない。それが彼の短所である。

とどのつまり、ここで「オインゴくんじゃん」なんて言われるのは致命的なのである。謎のいかさまディーラーを演じている最中に、こんな邪魔が入ったと知れば、ダービーは怒り狂うだろう。おれが彼女と組んでダービーに反旗を翻そうとしている、とかあらぬ疑いをかけられる可能性すらある。ダービーは深読みが大好きなのだ。

雇い主とずっと一緒にいると怪しまれるということで、いまはダービーはカモフラージュのためにべつのテーブルへ行っているはずだが、そのうち戻ってくる。

「頼むから、仕事中はその名前で呼ぶな。あとで喫茶店でもバーでもなんでもつきあうから。な?」
「了解。じゃ、わたしもポーカーしよっかな」

彼女はおれの前に座った。
できたら、そこにいないでほしい。が、まあ、これ以上迷惑をかけることもないだろうと踏んで、徹底的に無視することにした。

「やあ。ここに座ってもいいかね?」

しばらく、いかさまなしで他愛のない勝負が続いたあと。
きちんとした身なりで、ひげをたくわえた男がテーブルへやって来た。彼こそ、現在の上司……ダービーである。
どうやらべつのテーブルで荒稼ぎしてきたあとらしく、彼が来たせいで、周囲がかなりざわついた。なお、おれの目の前に座っている女は、そういう空気を特に気にしていないらしい。「よろしくお願いしまーす!」などと言っただけだ。やれやれ。

彼女に恨みがあるわけではないが、さきほど急に名前を呼ばれてヒヤヒヤさせられたのは屈辱的だった。ここは、ダービーにむしりとられてしまえばいい。破産しない程度に、軽く。それでちょっとは反省するだろう。
きょうのダービーの殺害対象となる大物ギャンブラーは別にいるので、まかり間違っても彼女が殺されるようなことはないだろうし、あえて放っておこう。
……だが、この判断は実は甘かった。

+++

本来の計画では、おれがダービーに当たり札を配り、それ以外の人間には無難な負け札を配るという手はずになっていた。あからさまなブタはだめだ。ワンペアとかツーペアとか、ありそうな札にするのがベター……とダービーは言っていたような気がする。

が……問題は目の前に座っている彼女。
あからさまに怪しい配り方をしてしまうと、こいつの疑いを買って「オインゴくん、なんかしてない?」などと問われてしまう危険性がある。そうなったら、ダービーの怒りを買う。
かといって、この女に当たりの札を配る訳にはいかない。ボロ勝ちを狙っているダービーに対する反逆行為と見られてしまう。まあ、ダービーなら自力でどうにかできそうな気もするが……。

ということで、おれはディーラーとしてそこまで優秀なわけでもないのに、「ダービーに最善の札を配りつつ、彼女にはギリギリで負けたかのようなそこそこ強い札を配る」というめんどくさい作戦を実行することになった。覚えなくてはいけないカードの枚数が増えるため、正直、かなり厳しい立ち回りだった。はやく終わらないかな、と常に思っていた気がする。

そんなギリギリの心境のなか、ある異変が起きた。
その勝負で、おれはダービーには9のフォーカードを配り、それ以外の人間にはそれよりも弱い組み合わせを配った……はずだった。
しかし……。

「9のフォーカードだ」

と勝ち誇ったダービーに対し、目の前にいる彼女が、誇らしげにカードを突き出した。

「Kのフォーカード。わたしの勝ちですね!」
「はぁっ!?」

と間抜けな声を出してしまったのは、負けたダービーではなくおれだ。
ぎろり、とダービーが厳しい目で睨みつけてきた。
やばいやばい、いかさまがバレる。

「お嬢さん、ずいぶんと賭けにお強いと見える」

ダービーがねっとりと彼女に話しかけた。まずい、これは確実に興味を持ってしまっている。ギャンブラーとして、ダービーに興味を持たれるということはすなわち……死だ。
おれの背中を滝のように汗が流れ落ちていく。

「いやいや、まぐれですよ」
「まぐれね。意図的に引き起こされた『まぐれ』かもしれんが」

おれは必死に彼女に目でサインを送った。
やめろ、これ以上勝つな。この男はやばい、殺されるぞ!
そして、おれとおまえがつながっていると知られたら、今度はおれがやばい。下手すると弟ごと殺される!
というか今、いかさまでKのフォーカードつくっただろ!
この男の前でそれはやばいって!
どうやったのかはよくわからんが、だめだって!おれがやったと思われたらどうする!
なまえ、頼むよ。
死なないでくれ!

冷や汗をだらだら流しつつ、ダービーにはフォーカード、それ以外の人間にはツーペア以下のしょっぱいカードを配った。
さきほどは、不意打ちだったせいでダービーも彼女に気をつけていなかったのだろう。そうに決まっている。二回目はない。今度、彼女がいかさましたとしても、ダービーのあの目が間違いなく見抜くだろう。

「8のフォーカードだ。さて、お嬢さん。きみは?」
「ブタです。いやー、やっぱりさっきの、まぐれでしたね?」

彼女はそう言ってウインクした。ダービーは怪訝そうにそれを見つめていたが、やがてどうでもよくなったように、またべつのテーブルへと去っていった。
ところで……彼女は、ブタと言ったか?
彼女に配ったのはツーペアだったはずだが。
まあ、負けてくれたのでよしとするか……。

+++

その日の夜、おれはダービーに呼び出され、バイト代をたんまりともらった。
へまをしたから減額されるかと思ったが、むしろいつもより多い。

「なんか多くないっすか?」
「それをやるからわたしの問いに正直に答えてくれ。あの女性はきみの知り合いか? オインゴ」
「はぁ?」

ダービーが静かにそう問いかけた。
まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったので、どう答えるべきなのか考えられず、とっさにこう答えた。

「まあ、そうっすね」
「彼女は食えないな。実に食えない」
「え、なぜっすか?」

ダービーのような食えない男に食えない呼ばわりされるとは。
食えない者選手権でも開催されているのか?

「彼女はカードをすり替え、Kのフォーカードをつくった。すぐに指摘しようかと思ったが、そのあとどうするか見たかったから、わたしはあえて見逃したのだ。一回目はね。その次のゲームで、彼女はなにをした?」
「なにをしたって……なまえのカードはブタでしたよ、ダービーさんも見たでしょ」
「ああ、わたしはたしかに見ていたさ。あの女が服の袖に隠したカードを使って、ブタの組み合わせをつくる瞬間をね」

服の袖にカードを隠していただって?
しかもそれでブタをつくった?
なんのために……?

「なんのため? きみはほんとうにそれがわからんのか」
「わからんですね。おれが必死に目で訴えたのが伝わったんでしょうか」

それならいいのだが、そんなに気が効く女とも思えない。
なにせ、変装している人間にかける第一声が「オインゴくん!」だからな。
ダービーはあきれたように肩をすくめた。

「あの女性はきみを助けたかったんだろう」
「助ける? いったいなにから?」
「最初からよく考えてみたまえ」

まず、彼女はおれが変装してディーラーをやっているのを知っていた。
そして、おれのテーブルではダービーが鬼のように勝ちを重ねていた。
それを見ていた彼女が、いかさまをして一勝もぎとる。

「あれ……つまり、彼女はおれがダービーさんのいかさまに協力しているのを……」
「当然、知っていただろう。ここまでヒントが揃って気づかないはずがない」

ただディーラーのバイトをするだけならば、変装をする必要はない。顔の骨格までいじって、別人に化けるからには『後ろめたいこと』、いかさまに協力しているといえよう。

「Kのフォーカードによる一勝はおそらく、きみとわたしの様子を見るためのジャブだったのだろう。それでも、このダービーの前であんないかさまをやろうと思うことそのものがすごいがね」
「で、おれがダービーさんの前であからさまに狼狽したり、目でサインを送ったりしていたから……」
「わたしには彼女の気持ちがはっきりと読めるよ、オインゴ。あのまま、彼女が勝ちつづければ、きみとわたしの雇用関係にヒビが入る。それはさすがにかわいそうだ、と彼女は思ったのだろう。かといって、ふたりのいかさまを見過ごしながら負けるのも癪に触る。だからいかさましながら、わざと負けた。わたしのプライドに傷をつけながら、きみを守るためにね」
「な、なんじゃそりゃ」

あのゲームに、そんなに情報が詰め込まれていたとは思わなかった。
そして、彼女はなぜ、そこまでしてポーカーなんてやりたがったのだろうか。
おれだったら、ボロ勝ちしているダービーなんて放っておくけれど……怖いから……。

「わたしからひとつ予言がある」
「な、なんすかいきなり」

ダービーの予言だなんて、的中率が高そうでめちゃくちゃ怖い。
トト神とはまた違った意味の怖さだ。

「彼女は、近いうちにきみに会いに来る」
「え、なんすかそれ……」
「いいか、わたしの予言はかならず当たる」
「言い方がめちゃくちゃ怖いっすよ!」

ということで、神妙な顔のギャンブラーに謎の予言をもらい、帰路についたのだった。

+++

その数日後のことである。

「やっほー、オインゴくん!元気ぃ?」

おれが道端のアイスクリーム屋でアイスクリームを買って食べていると、背後で突然、例の元気な声が聞こえた。振り向いてみると、キラキラ光る笑顔で、あいつが立っていた。

「な、なんだよ、いつもいつも急に出てきやがって!びっくりするだろうが!」
「こないだはなんかごめんね、いかさまバイトの邪魔しちゃって」
「ほんとうに邪魔だったよ……おまえのせいで、おれがどれだけ精神すり減らしたことか!」
「ごめんごめん。まさかあんな殺気だった人のとこでバイトしてると思わなくてさ。いかさまであんなに勝つなんてせこいから、ちょっと営業妨害してやろうかな~って最初は思ったんだけどね」
「いや、おまえそれ今後絶対やるなよ、あの人はほんとうにやばいぞ。Kのフォーカードのいかさまもばればれだったし」
「うん、やばそうなのは空気でわかった。わたしに話しかけてきたとき、殺意を感じたもん」

殺意を感じていながら、そのあともいかさまをつづけるというその心意気、なかなかすごい気がする。すくなくともおれはやりたくない。

「そもそもなんで、おれがバイトしてるテーブルに来たりした?」

いや、それ以前の問題として。
この女、なぜ、おれの変装を見破ることができたのだろうか?
彼女もスタンド使いだとでも?
彼女は、いかさまするときのように、にやっと笑ってこう言い捨てた。

「いやー、そりゃオインゴくんは見てておもしろいからねえ」
「どういう意味だよ……」
「文字通りの意味。そんなだから目が離せないんだ」

いとも簡単に吐かれたその言葉に、おれはとまどった。
いままで、おれはこいつのことを迷惑女だとか空気読めない女だとかいろいろ言ってきたけど。
片時も彼女を見るのをやめようと思ったことはなかった。
もともと、彼女が好みだったからナンパしたのだし……その後も、つきまとわれて悪い気はしなかったのだ、ほんとうに。
その証拠に、このあいだ、彼女がダービーに殺されるかもしれないと思ったときには本気でどうにかせねばと思ったものだ。……どうにもできなかったけど。

彼女はしみじみとした口調で、こうつぶやいた。

「……わたし、目がいいらしいんだよね。2.0どころじゃない視力だってお医者さんがびっくりしてた」
「へー、そうなのか」
「どうしてそんなに目がいいと思う?」
「生まれつきなんじゃないのか?」
「オインゴくんを見逃さないためだよ」

淡々と告げられた言葉は、愛に似た響きをしていた。
常々おちゃらけている彼女が、そんなふうに真剣にものを言うのは珍しい。

「オインゴくん、すぐにぜんぜん違う姿になって、どこかへ行ってしまうでしょ? そのまま見失っちゃうんじゃないかと思って怖かったの。だから、どんなに変わってしまっても、あなただってわかるように、いつもよく見てた」

そんなことを思っていたのか。
常にバカにされてからかわれているのだとばかり考えていたから、かなり驚いた。
思えば、ふたりともなかなか素直になることができていなかった。お互いを好きなことはわかりきってるのに、なんとなくふざけて、悪ぶって。たわむれに、仕事の邪魔なんてしてみたりして。
そういう悪ぶったところが、似た者同士でお似合いなのだろう。

「……『クヌム神』を使ってるおれをおれだとわかるのなんて、おまえくらいのもんだよ、なまえ

ぼそっとつぶやいて、おれは思わず笑ってしまった。たぶん、ここ数年でいちばんやわらかく優しい笑みだったのではないかと思う。
自然に彼女の手をとって、歩きだすことができた自分もひどく笑えた。ボインゴ、ごめん。きょうはちょっとだけ帰りが遅くなるかもしれない。きっと、弟はすでにトト神の予言で知っているだろうけど、とりあえず謝っておこうとおれは思った。

仮面の裏に潜む

20181122