彼はいつだって、まっすぐに前を見ていた。あまりにも完璧な英雄ぶりに、わたしはいつも見とれているしかなかった。彼の横顔を見つめているだけで、自分までマシな人間になれるような気がした。
 この気持ちが恋であるということに長いあいだ気づけなかったのは、おそらく彼を見ているだけで満たされてしまっていたからだろう。優れた映画を見ているような、どこか他人事のような感覚がずっとあった。
 彼はギャング映画の主人公で、わたしは観客。
 見つめているだけで幸せで、彼がそこにいなければ落ち着かない。彼のなにもかもに大きすぎる期待を持っていた。
 それが恋だと気づいたのは、もはや手遅れになってしまったあとだ。まあ、彼は不器用な男だから、もしも恋という単語を聞いていたなら、わたしの前に現れることはなくなっていただろう。

 彼と言葉をかわしたことは、数えるほどしかない。
 そのひとつひとつを詳細に記憶しているわけではないが、ひとつだけ、印象に残っている台詞がある。

「なあ、好きな映画はなんだ? なまえ

 どこか遠い目をして、彼はそう言った。心臓が跳ね上がった気がした。……わたしが彼を映画だと思っていたことが、見透かされていたように思えたからだ。むろん、いくらブチャラティといえど、心が読めるわけはない。単なる偶然だろう。
 その問いに自分がなんと答えたのだか、覚えていない。無難な恋愛映画かなにかのタイトルを挙げたような気がする。あまりに緊張していたせいで、そのときの記憶が飛んでしまっている。ただ、彼の反応だけははっきりと思い出せる。

「そうか……よかった」

 彼は安心したように、小さくそうつぶやいていた。
 話したことはそれだけ。単なる日常の会話でしかないはずだ。
 なのに、とても大切な告白をされた瞬間みたいに、胸が高鳴っていた。

+++

 その日、わたしは最近会っていないブチャラティのことを思いながら、アップルパイを焼いていた。焼き菓子を作っていると、心の動揺や不安のことなんて忘れて、どこまでも遠くへ歩いていけるような気がしていた。ブチャラティのことを忘れたことは一度としてなかったが、こんなにも長いあいだ、彼の姿を見ていないということは、彼は多くのギャングがそうであるように、死んだのではないかと思いはじめていた。
 玄関のチャイムが鳴った。オーブンの火加減を横目で見ながら、玄関へと向かう。

「こんにちは」
「ああ、こんにちは。ええっと、あなたは……」

 金髪の青年が立っていた。長い髪を背中でくくって、しゃんとまっすぐに背を伸ばしている。厳かな立ち姿に、おそらくギャングだろうと直感する。どこかで会ったようにも思うが、記憶にはなかった。射抜くようにまっすぐにわたしを見つめている。

「ぼくはジョルノ。ジョルノ・ジョバァーナという者です。はじめまして、なまえさん。ブチャラティから、あなたのことは聞いています」

 ……ブチャラティ。
 その名前を聞いて、スッと心が冷えていった。ブチャラティは律儀な男だ。わたしに言いたいことがあるのに、使いのものをよこすなんて不躾な真似はしまい。ブチャラティの知り合いがここにいるのに、ブチャラティがここにいないということは、やっぱり……。

「すべて、察しているようですね」

 ジョルノは冷えた口調でそう言った。感情がないかのような言い方だったが、おそらくはもともとそういう話し方なのだろう。わたしに悪意があるというふうには見えない。

「ええ。ブチャラティは、すばらしいひとだったと思う。強くて優しくて、いつでも輝いてた。でも、だからこそきっと敵も多いんだろうなって、思っていたから」

 案外とするすると言葉が出てきた。ジョルノは目をちょっとだけ細めて、それを聞いていた。ブチャラティを悼んでいるようにも、わたしを哀れんでいるようにも見えた。
 あの人はもう、いないんだ。
 ふしぎと涙は出なかった。
 そのとき、キッチンのほうから、アップルパイが焼き上がったことを知らせる音が聞こえた。ジョルノは「なにか作っていらっしゃったのですね。お邪魔をしてすみませんでした」と謝った。

「アップルパイを焼いていたんです。よかったら、ジョルノさんも召し上がっていきませんか?」
「では、お言葉に甘えて……」

 そのとき、彼は初めて嬉しそうに笑った。

+++

 ジョルノはとてもおいしそうにアップルパイを食べ、紅茶を飲んでくれた。半分は現実逃避のために焼いていた代物だけれど、彼の様子を見て、初めて「焼いてよかった」と思えた。
 食べ終わってから、ジョルノは語りだした。

「きょうは、なまえさんに伝言があって来たんです」
「伝言? ブチャラティから、ですか?」
「ええ。彼はあなたに書き置きを残していたんです」

 ジョルノはふしぎなことだと言いたげに苦笑いした。女に書き置きを残すなんて、ブチャラティらしくない、と言いたいのかもしれない。わたしにとっても意外だった。彼を遠くから見ていただけのわたしに……書き置き?
 彼とわたしは恋人同士でも何でもないのに。
 ジョルノがさしだしたのは、数枚の手紙だ。封筒には入っていなかった。死に際に急いで書き残したものなのかもしれない。

 そこには、ブチャラティの言葉で、こう綴られていた。

「きみは、おれにとって映画だった。きみは、映画で人生を変えられたことがあるか? 映画なんて、つくりものだと人は笑うかもしれない。でも、おれにはそうは思えなかった」

 そこで、一旦わたしは目をそむけた。
 ジョルノと目が合う。ジョルノはおそらく、すでにこの手紙を読み終えているのだろう。そっとうなずいた。続きを読めということか。
 そこから先には、ブチャラティの不器用な思いが、彼らしい簡潔な文体で書かれていた。

「きみはいつでも平和な恋愛映画の主人公みたいだった。その平穏を守るのが、ギャングとしての自分の務めだ。この映画はこのまま平和に終わらせてやらなくてはいけない。自由に恋をして、街を歩いて、のびのびと生きられるような場所をおれが作ってみせる。まちがってもギャングの世界になんて、触れさせてはならない。そう思ったんだ」

 視界がゆがんでから、自分が泣いていることに気づいた。
 彼がわたしに抱いていた感情は、わたしとそっくりそのまま、同じものだった。 
 わたしは彼をギャング映画のヒーローだと思っていたし、彼はわたしを平穏な恋愛映画のヒロインだと感じていた。きっと自分以外にふさわしい相手がいると、信じていたのだろう。そんなことはないのに。
 こんなにも悲しい恋愛映画があるだろうか?
 ……相手を見ているだけで、手を触れることもないなんて。

 ジョルノが無言でさしだしたハンカチで涙を拭う。
 手紙を読み終えて、わたしは嗚咽とともに彼のことを思った。

「ブチャラティは、ほんとうに大事なものには触れてはいけないと思ったのだろうと思います。ギャングだからこそ、罪のない一般人を巻き込みたくはなかった。ぼくだって、彼と同じ立場ならそうしたはずだ」
「わたしも、大事だからこそ、触れたくなかった。遠くから見ていたいって思ってた。でも、ほんとは……」

 その先の言葉を紡ぐことはできなかった。
 ジョルノの腕のなかに、小さなうさぎがいたからだ。

「え、いつのまに……?」

 家に入ってきたときも、アップルパイを食べているときも、そんなものはいなかったはずだ。
 変わったうさぎだった。金色に近い黄色の体毛で、大きさはかなり小さめ。これまでに、こんなうさぎは見たことがない。いったい、なんの手品だろうか?

「これは、ぼくから……そしてブチャラティから、あなたへの贈りものです。受け取っていただけますか?」
「この、うさぎが? ブチャラティから?」

 思わず受け取ってしまった。黄色のうさぎはわたしを見つめ、見慣れないものを見たと言いたげに首をかしげる。
 
「この黄色……見覚えがありませんか?」
「ええと……そう言われてみれば」

 ブチャラティの服のジッパーとよく似た色だ。
 しかし、だからなんだというのだろう?

「きっと、この子と一緒に過ごせば、ブチャラティがあなたになにを託したのかわかると思います。ぼくから、それ以上余計なことは言いません」

 呆然として、うさぎと見つめ合ってしまった。色が不可思議なこと以外は、どこにでもいるふつうのうさぎだ、と思う。
 ジョルノは、つづけてさらに不可思議なことを言った。

「きっと、そのうさぎはあなたに必要なものだと思うんです。もし、必要でなかったら」

 彼はポケットから小さな封筒を取り出し、わたしに手渡した。

「このなかに電話番号が書いてあります。そこへ電話をしてください。会話する必要はありません。一回コールして切るだけで充分です……それで、そのうさぎはあなたの元から消えるでしょう」

 いやいや、生き物が急に消えるわけないだろう……魔法じゃあるまいし……。
 と言いたかったが、ジョルノの有無を言わさぬ調子に気圧されてうなずいてしまった。

「本来、このうさぎはブチャラティのもとへ帰るはずだったんです。まっすぐに、飼い主のところへね。でも、もう帰る場所がない。それで行き場をなくしているところを、あなたにおまかせしたいと思ったんです」

 ジョルノは淡々と早口で語る。
 その言葉のなかには感情が読み取れない。なにを言おうか悩んでいるあいだに、彼の話は終わっていた。

「では、あなたの幸運と健康を願っています。アリーヴェデルチ」

 アリーヴェデルチ、と言われた瞬間だけ、ジョルノの声がブチャラティのものと重なって聞こえた気がした。ジョルノはアップルパイの礼を言って、無音で立ち去っていた。

「……アリーヴェデルチ」

 もはや、ブチャラティからは別れの言葉を聞くことすらないのだ。そう思うと心が冷え切ってどうにかなりそうだったが、うさぎを抱いている腕には常にぬくもりがあった。冷えていく心を、その温かさだけがつなぎとめている。
 ブチャラティは、わたしをこうやってつなぎとめるために……この子を送ってきたのだろうか?

「うさぎって、なに食べるのかな。ちょっと、調べてみなくちゃ……」

 とりあえず、ペットショップにでも行ってみようと思った。本屋にも行ってみなくてはならないし、かわいい首輪もつけてあげたい。
 なにがなんだか、いまだにわからなかったが……後ろ向きな気持ちでパイを焼く日々は、この小さな生きものが我が家にやってきたことで、終わりを告げたらしかった。ひさびさに外に出ると、黄金の日差しがまぶしく降り注いでいた。まるで彼のようだと、心から思った。

彼はわたしにとって映画だった

20190228

リクエストボックスよりブチャラティ夢です。
肝心のブチャラティがほとんどいなくて申し訳ないのですが……個人的に理想のブチャラティ要素を詰め込みつつ書かせていただきました。ブチャラティ、あまりにもかっこよすぎるので原作読むたびにまぶしくて仕方ありません。アニメの彼の今後も楽しみです。リクエストありがとうございました!