singin' in the rain

「やあ、元気かい?」

傘をさして駅前通を歩きながら、鏡潤一郎はそう言って笑った。
太陽は顔を出しているというのに、不自然にざばざばと雨が降っている。
そんな風景は、怪しいマッドサイエンティストによく似合う。

「また、雨ですね」

彼の問いには答えぬまま、わたしは言う。

「潤一郎さんと会うと、いつも雨のような気がするんですが」
「それは気のせいってもんだ。これまで、きみと休日に会ったなかで、雨が降っていたのは7割くらいだからね」
「7割も降っていたら、充分に"いつも"ではないのですか?」

彼は舌打ちをした。

「減らず口ばかりだな、きみは」
「お互い様では?」

わたしはふふんと笑った。
この人は確かに怖い人だが、今のところ害はないと踏んでいる。

「ぼくは減らず口なんて叩いた記憶はないけどね」

彼はいじけながら話題を打ち切る。
そして、意地悪そうに笑って、なんらかの企みがあるというふうな顔をした。

「ところで、天気雨というのがなぜ降るか知ってるかい?」
「さあ。知らないですけど」
「そんなことも知らないのに、ぼくに向かって偉そうな口を利くなんてね」

調子に乗りはじめている彼は、歩を進めつつ、傘をくるくると回した。

「いいかい? 雨雲が存在しないのにどしゃ降りの雨が降る。そんなのはおかしいよね。そんなのは雨ではない」
「雨ではない?」

彼の不可解な演説に対しては、適当に受け流すのが一番である。
こちらから新たな言葉をかけるのではなく、相手の言葉をオウム返しにするのがいい。

「そう、雨ではないんだ。あれは、わが初瀬川研究所の実験だよ」

初瀬川研究所――チートすぎて現実とは思えない存在である。
詳しいことは知らないが、物理法則や現代科学を無視したような、ハイテクノロジーを実現しているすさまじい結社らしい。
さらに、彼はその結社に勤めているというのだから、怪しさ満点である。
少なくとも、このような飛び抜けた変人が勤めている企業はマトモではないと思う。

「だからね、こうしたお天気雨の日にはちゃんと傘をさした方がいい。あれは単なる雨ではない、単なる水ではない。どんな化学物質が含まれているかわからないよ」

くすくすと女性みたいに笑いながら、彼はそう警告した。
今、わたしと彼はそれぞれ別々の傘をさして歩いているけれど、周囲には傘をささずに歩いている人がたくさんいる。
もしも彼の言うことが真実であったなら、彼らはどうなってしまうのだろう。

「そうやって、また他人を不安にさせるの? それが、あなたの仕事なの?」

わたしが問いかけると、彼はまた傘を愉快そうに回転させて、「雨に唄えば」のワンフレーズを歌いつつ、道端のドラム缶を蹴りつけた。「時計じかけのオレンジ」でも気取っているつもりか。

「そうだ。これがぼくの仕事さ。真実を嘘のなかに混合させて、何もかもわからなくするのが、ぼくの大切な仕事なんだよ」

雨は止む兆しがない。
彼の寒気がするような微笑は、降りつづく雨のなかに溶けて消えた。


20150607