夜中にコンビニに行こうとしたら、電柱の隣に、鏡潤一郎がオブジェのように立っていた。彼はロボットではなく人間であるはずだが、時折、ロボットよりもロボットらしく見えるときがある。
 待ち伏せでもしていたのかと思ったが、どうやらたまたまらしい。
「こんな夜に出歩かない方がいい。この世界には強姦魔がたくさんいるんだからね。ぼくが野蛮な人間でないことに感謝すべきだ」
 紺色の星空のしたで、彼はそう言って、にっと笑った。
 いかれ帽子屋みたいな笑みがとても最低で、かっこよかった。
 わたしは、この背徳的な彼に魅了されつつある。
 そんな魅了の勢いで、あなたになら強姦されたってかまわない、と口に出しかけた。
 が、真面目に注意してくれているのだから、相手を立てなければならないだろう、と考え直す。それに、そういう物言いは下品だ。彼が言うぶんにはふしぎと下品さは感じないが、わたしが口にするのは非常にはしたないような気がした。
「星でも降ってきそうな夜ですね」
 とわたしが言うと、
「星と飛行機って、一瞬見ただけだと見分けがつきにくい、と弟が言っていたな」
 そう、ぽつりとこぼされた。妙に寂しそうな、彼らしくない顔だ。
 彼はさらに、こうつづける。
「ふつうの人間が下界から見てる分には、あまり変わらないのかもしれない。動いているのが飛行機だと、瞬時に判断すればよいのだけどね」
 つづけて、彼はこういう言葉を落とした。
――それは、人とロボットの見分けがつきづらいことと似ているね。嫌だね。
 その言葉が忘れられなかった。人とロボットを簡単に見分けることができるのは、ロボットのつくり主である彼と、突然変異体質であるらしいわたしくらいのものだ。彼にとって、それは悲しいことなのだろうか。
 わたしが、彼のきょうだいが飛行機事故によって亡くなったという事実を知ったのは、この会話よりもだいぶ後になってからだった。
 星でも降ってきそうな夜、なんてのは、彼にとってはロマンティックでもなんでもない。ただの残酷なレトリックだったのだと思う。
「星でも飛行機でもいいから、なにか降ってきてくれないかな。わたしも、"馬鹿げた世界"を見てみたいですよ」
 そのときのわたしは、真実を知らなかったから、彼にそう言った。それも、うきうきしながら。
 夜の空気に毒されたのかもしれない。夜の闇のなか、胡散臭い科学者と語り合う時間に、抗いがたい魅力を感じてしまった。
 彼は、そんなわたしをどう思ったのだろうか。
 いつだって、不謹慎なことを言うのは彼のほうだった。
 しかし、そのときに限っては、わたしのほうがずっと不謹慎だった。
「そんなものを望むなんて、きみはばかだな。救いようのないばかだ。しかし、そうでなければ張り合いがない」
 表情の読めない彼は不可解なことを言って、星をつかみとるようなしぐさで手を挙げた。
「もっと異常になってくれ。姉のように崇高になってくれ。そうすれば、ぼくは救われるんだ」
 救われる、というフレーズが重たく響いた。
 彼の事情を知らないわたしにも、その言葉の重みは届いていた。
 この人は、異常な自分を見せつけることで、同じように異常な仲間を欲していたのだろうか。
 そんな人間らしさが彼にあるとは到底思えないが。
「異常になるなんて、いやですよ。でも、救われるというのは素敵なことですね」
 言って、わたしも星をつかみとろうと腕を伸ばした。
 どうがんばっても、星はつかみとれない。それが現実だった。

 その日、彼は案外、わたしにはやさしいのだと気がついた。
 いずれ姉になってほしいという思いからなのか、ほんとうにわたしが好きだからなのか。
 あるいは、初瀬川研究所の陰謀なのか……。
 理由はわからないけれど、とにかく彼はやさしい。
 きれいな星の夜に、わたしを強姦しない、いかれ帽子屋。
 救われたいと切に願う、いかれサイエンティスト。
 そんな彼をまだ見捨てたくない。彼の異常性を切り捨てることはいつでもできる。その前に、彼と語り合ってみたい。星を見上げつつ、そう思った。
 彼の白衣が、紺色の夜のなかで怪しく点滅していた。

星でも降ってきそうな夜に

「いつでもできるということは、いつまでもできないということと同義だ」
 いつだったか、彼がそう言っていたのを、ふと思い出した。

20161019