死者を愛する冥府の王

「君は、なにが知りたい?」

 初めて彼と会った日。鬼首独郎はそう尋ねた。印象的な問いかけだったから、よく覚えている。
 わたしは、なにが知りたいのだろう?
 なにが知りたくて、こんなところまで来てしまったのだろう。
 途方もないほど遠くまで、ひたすらに独りで歩いてきたように思う。
 孤独な旅路の果てにいたのは、片目を覆い、怪しげにケタケタと笑う白衣の男。
 この世の果てにでも来てしまったのかと思った。
 でも、わたしはそんな彼を好いてしまった。
 物語はそこから始まる。 


 ドサリと音を立てて、わたしは荷物を鬼首の部屋の床に置いた。普段は抜け殻のように過ごしているわたしだが、こうして、彼の仕事を手伝っているときだけは、安堵することができる。
 鬼首の部屋には、以前に来たときよりも、妙なオブジェが増えている。
「相変わらず、いい趣味してますね。先生」
「先生ではなく、ドクターと呼んでほしいといつも言っているはずだが」
 チッ、チッ、チッ。
 かなりくどい舌打ちをして、彼はニコッと笑う。
 年齢のわりに幼い笑みは、妙にチャーミングである。……彼のような中年男性にとって、チャーミングという単語が褒め言葉となるのかはわからないが。
「まったく。せんせ……ドクターには緊張感というものがないのですか? 『冥王星』のスパイがいるかもしれないって、みんな気が気じゃないってのに」
「緊張したらスパイが特定できるのか? もしそうなら、してみたいものだね」
「そこまで堂々としていられると、ドクターがスパイなのではないかと疑いたくなります……」
「ほう、そう思うかね」
「いえ、思いませんけど」
「なぜ?」
 わたしは、周囲を見回して、ため息をついた。部屋中に飾られたドクロ標本。どこの国のものだかわからないアンティークの品々。無造作に散らばったノートの束。
 などなど、まったくもってトンチキとしか言いようのない部屋だ。常軌を逸しすぎている。
「……こんなにいい趣味してる人が、『冥王星』になんて入るわけないですからね」
 むろん、この言葉は皮肉である。こんなぶっ飛んだセンスの、非常に目立つこの人に、スパイなんて務まるはずがない。『冥王星』側としても、悪目立ちするような形でスパイを送ってくるとは考えづらい。裏をかいてくる可能性がないとは言い切れないけれど、やっぱり、この人は『ない』だろう。シリアスなムードがぶち壊しだ。団先生もおそらく、除外しているはずだ。
 ドクター・ドクロ。
 DDSきっての変人――であるからこそ、彼はスパイではない。
 変人を演じることのリスクが大きすぎるし、そのリスクに見合うメリットがあるとも思えないからだ。
「いや~、残念至極。ちょっとはスパイとして疑われたりしてみたかったものだが」
 心にもないことを言い、彼は白衣を翻す。
「ドクターのそういうところ、わたしは好きですけどね……」
「そんなことを言ってくれるのは君だけだよ。しかし、君はどうしてこんなところへ通ってくるのかな。一応、子どもを導く立場のワタシとしては、ちょっと詳しく聞いてみたかったりするが」
「……黙秘します」
 彼は、黙秘という言葉を聞いて、血をたぎらせるような表情になる。どうやら、テンションの上がる単語らしい。ルンルン、と歌いだしそうな顔で(ちなみに、この人はほんとうに歌う。そういう人なのだ)、彼はわたしに問いかける。
「では、当ててみせようか。君もドクロが好きなのだろう?」
「違います」
 いや、ある意味では正しいのかもしれない。
 わたしが好きなのは、ドクロではなくて、この人……ドクター・ドクロ、ではあるが。
 そのことは口には出さなかったのだが、彼はなにかを察したようだった。
「ひとつだけ言っておこうか。このドクター・ドクロに恋愛感情を持つのだけはやめておいたほうがいい」
 あまりにクリティカルな言葉だったので、わたしはぐっと言葉に詰まる。
 そのあいだに、彼はどんどん言葉を継いでいっていた。
「ワタシはドクロにしか恋をしないのだよ。君も、ドクロになったらそこに飾ってあげてもいいよ?」
 いたずらめかして、彼はそっとわたしを拒絶する。
 そういうところは、ちゃんとした大人なのだ。
 いつだってふざけているように見えても――本心ではふざけちゃいない。
 それが少し、寂しい。しかし、「年の差がありすぎるから」とか、「講師と生徒だから」とか、そんなことを言わない彼に安堵してもいる。
 常識という思い込みをなによりも疑う彼は、そんなことは言わない。そんな無意味な否定はしない……。
 わたしは、自分でも、悲しいのか嬉しいのかわからなくなる。結果、こう言った。
「もし、わたしが『冥王星』だったなら、あなたはどうします? ドクター・ドクロ」
「おもしろいことを言う。しかし、その質問には答えかねるな。君は『冥王星』ではないのだからね」
 簡単に、彼はその仮説を切って捨てた。どうして、そう言い切れるのだろう。
 先生方に、わたしの素性を事細かに話した覚えはないのだが。
「科学者たるもの、仮説に基づいた論理的思考は大切にしなければならない。が、無意味で、ありえない仮定に惑わされてはいけないんだよ」
 彼はわたしの頭をなでた。
 まったく冷たくない手からは、彼が"ドクロ"などではない、生きた人間だということが読み取れた。
「ワタシは、君が『冥王星』でないことを知っている。そんなことよりむしろ、君の精神に興味がある。ありえない仮定を自分から口にする君の心のなかには、いったいなにがある?」
「それは……」
 幼稚な、打算しかない。そう言ったら、この人は失望するだろうか?
 わたしは、下を向いて唇を噛む。
「おっと、言わなくてもいい。ワタシの専門は探偵ではないが、科学に基づいて君の謎を解いてみせよう。それが先輩科学者としての使命だと思うからね」
 ニッコリ笑う彼は、わたしの頭を撫でる。
 弟子に向けた純粋なあたたかさを感じて、申し訳ない気持ちになる。
 わたしは、この純粋さに対して、対等に返せるなにかを持っていない。
 DDSのQクラスの一員という、みながうらやましがるような立場にありながら、つい数か月前まで、授業には出席していなかった。不名誉な元不登校児童。"探偵"を志す、他のQクラスのメンツとは違い、わたしは、鬼首率いる"科学班"を目指す者ということになっている。しかし、"探偵"たちの授業には本来、出なければならない。どうしてもそこに行く気になれなかったわたしに、団先生はこう言ったのである。

――君が、望んでここに来たわけではないことは知っている。しかし、君も、自立して考えることを学ばなくては、生きてはいけないだろう。そのためにも、この一年間、好きに過ごしてみるといい。君には、自分の道を自分で選び取れる力がある。今はまだ、なにもする気になれないかもしれないが、頑張ってほしい。君のために、一年間だけ、Qクラスの席をひとつ空けておく。"科学班枠"とでも呼ぼうか。君が抜けたからといって、Aクラスから繰り上げで人が入ったりはしない。Qクラスの主旨には反することとなるが、Qクラスの彼らは君の精神によい刺激をもたらしてくれる、と思ったから、こうしたのだ。いわば、特殊枠だな。気楽にやってくれ。

 一年間、不登校児童として、DDS内の厄介者になるもよし。ここから立ち去るのもよし。Qクラスと交流を持ってみるのもよし。団先生の後継者や、鬼首の後継者を目指してもいい。
 団先生の提示した選択肢の多彩さに、めまいがした。特殊枠、という言葉にも、恐怖を感じる。Aクラスのメンバーと話したことはほとんどないが、彼らは非常に優秀な人材だと聞いている。どうして、そんな彼らが"A"で、わたしが"Q"なんだろう。
 昨年、とある科学者の狂気により発生した、陰惨な殺人事件に巻き込まれた。その事件で、わたしの生活は完全に破壊されてしまった。父も死んだ。たまたま居合わせた団先生がいなければ、わたしも絶対に死んでいただろう。以来、事件をきっかけに知り合った団先生のことは、ずっと畏怖の対象として見ている。
 団先生は、行き場のない孤児であるわたしを、Qクラスへ迎え入れた。
 わたしの能力になにかしらの期待を持っているのかもしれないが、彼の考えは読めない。
 Qクラスに顔を出すことができるようになった現在も、わたしには、自分がどうしてここにいるのか、わからないのだった。
「ドクター。わたし、なにも持っていないんです」
「そう思ってるのは君だけだ。なにも持っていない人間はね、こんなところには来ないよ」
 確信を持って言い切る彼のまなざしは、やはり、科学への慈愛に満ち満ちている。
 わたしへの愛ではない。
 それはわかっている。
 だって、わたしも科学を愛していたから。
 あの事件で死んだ、わたしの父と同じく……。
「どうすればいいのか、よくわからないんです。Qクラスだなんて、わたしには荷が重すぎる。父が死んで、わたしの時間は止まってしまいました。ここにいると安心するのは、同じように時間が止まっている気がするから、でしょうか……」
 並んだドクロたちを見渡しながら、わたしはそう言った。
「はは。つまり、君はすでに"ドクロ"だと、そう言いたいわけかな」
 鬼首は快活に笑った。わたしに元気を分け与えるかのような、優しい笑い方だった。
「君にはお父上から分け与えられた科学的思考力と、なによりも科学を愛する心がある。きっと、その心を解き放てば、君はワタシのよき助手となるだろう。でも、今の君は死んでいる」
 死、という単語を聞いて、わたしは四肢をこわばらせた。
「怖がらなくてもいい。心が癒えるのには時間がかかる。この部屋が、君にとっての保健室であるなら、いくら来たっていいさ」
「迷惑ではないのですか?」
「後輩をかわいがることを迷惑だと思ったことはないよ」
「わたしが、ドクターのことを好きでも?」
 鬼首は、一瞬、時が止まったように黙った。
「……迷惑ではないよ。しかし君、ワタシが何歳なのかわかっているかな?」
「四十二歳、でしょう?」
 わたしはスラスラと答えた。
「君は何歳?」
「……十五歳」
「そうか」
 鬼首は、ふっと笑った。わたしの声が、真剣味を帯びているのを感じとったらしい。
 常識だとか、年の差だとか、単なる憧憬だとか、そんなことを言ってもムダだと、彼は思ったのだろう。おそらく最初から、言う気もなかっただろうが。
 そんな彼は、こうつぶやいた。
「死ぬにはまだ早い年齢だよ。君も、ワタシもね」
 死の世界のようなこの部屋で、しかし、この人はたしかに生きている。
 彼は、死者を愛する冥府の王のように微笑む。毒々しい笑みは、普段の彼には不似合いであったが、この部屋にはぴったりだった。そんな彼は、わたしに再び問いかける。
「なあ、君。君は、なにが知りたい?」
 あのときは答えられなかった、魔物のような問いかけ。
 凍てつく冷気のようなものを背中に感じながら、わたしはこう言った。
「わたしは、あなたのことが知りたい。そのためならば、生きてみせます」
「よろしい」
 その声を聞いた瞬間に、わたしはようやく生きはじめたのかもしれない。
 DDSきっての変人である鬼首という人は、こんなにも死者を愛しながらも、なぜか他人を生かす能力を持っているらしかった。
 彼は最後に、ぽつりと、独り言のように言った。
「それが、生者にだけ許された、愚かさなのだよ」
20161015
再読完了記念のドクロちゃん夢。
普段ふざけているぶん、キリッとしているときのかっこよさがたまらない!と思う彼です。
あの顔つきで42歳というギャップもたまりません。悪魔に魂を売っているとしか思えない若さ。