三途川理からは、破滅の香りがする。
 破滅の香り、などと抽象的な言葉でごまかしてみたが、要するに彼は危険人物である。近づくと命さえ奪われそうな気がしてならない。でも、きょうもわたしは、彼と会う約束をしてしまっている。
 なぜだ? なぜそんな、自ら崖っぷちに近づいていくようなことをする?
 たぶん、人は破滅を愛する生きものだからだ。

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「いやあ、きょうも麗しいですね。それでこそ名探偵の恋人というもの」

 彼はきょうも、心の入っていない、上っ面だけの褒め言葉を並べ立てる。
 でも、そんな言葉が心地よい。
 心の入った言葉を投げかける人間は、いつ心が抜けて裏切るかわからない。
 言葉には心が入っていても、それを言った人間が、いつまでも同じ心でいるとはかぎらない。「愛している」とか、「きみがいちばんだ」とか、そんな言葉に何度裏切られただろう。男なんて、みんなすぐに裏切る。心を変える。
 何度も裏切られた人間にとって、心が最初から入っていない人間とは御しやすいものだ。どんなに魅惑的な言葉も、本心ではないとわかっているのだから。最初から裏切られているとわかっていれば、裏切りは怖くない。

「きょうは、どこへ行きましょうか? あなたの望む場所へ行ってさしあげましょう、この三途川めが」
「バーにでも行く?」
「あのですね……自分は、未成年ですよ。おとなよりもおとなっぽいのは認めますがね」
「あ、そうだったね。じゃ、ファミレスでミルクでも飲む?」
「ご冗談を!」

 三途川理。十七歳。名探偵。尖ったつり目が特徴。緋山という同業者をやたらと敵視している。家族の話をふられるとキレる。彼以外の『名探偵』の話をしても、キレる。キレやすい十代。外道。鬼畜。彼について知っていることは、それくらいだ。
 一方、彼もまた、わたしの個人情報など、あまり知らないらしい。興味がないと言い換えてもいいだろう。興味がないのに恋人ごっこをしている理由は、なんだろうか。それは、わたしの職業が推理作家だからかもしれない。
 その証拠に、きょうも彼は小説のネタを提案しに来たようである。

「……自分を小説にしてくれる気になりましたか?」
「なるわけないでしょ。悪徳探偵が主人公の推理小説なんてさ、イロモノじゃない。ちゃんと筆力のある人が書けばおもしろいのかもしれないけど、わたしはそういうタイプの作家じゃないから」
「あなたは平々凡々な作家だと自分を卑下しますがね、この三途川はあなたのことを信じているのですよ。はやく、書いてください。事実に忠実にね!」

 ……理知的な推理ばかり聞いていると忘れがちだが、彼はかなり子どもっぽいのだ。自身の『名探偵』ぶりを一般大衆に自慢したくて仕方がないらしい。一時期は「自慢などせずとも、名探偵は名探偵です」とふんぞり返っていた気もするのだが……まあ、気まぐれな猫のような彼だから、あまり真に受けないほうがいいかもしれない。ほんとうに推理小説を書いてほしいのかどうかも、怪しいものである。なにか裏がある可能性が高い。
 そもそも、事実をそのまま小説にしたら、世間から非難轟々だと思う。翌日の新聞の見出しは、「悪徳探偵、自作自演が発覚!」とかだろう。そのへんはごまかしておけ、という指示でもおありなのだろうか。十七歳の繊細なハートは、わたしにはよく理解できない。

「あのさ、推理小説って、事実をもとに書くものじゃないからね?」
「事実は小説よりも名探偵なり。ああ、こんなにも魅力的な題材が身近にいるのに、どうして書かないのか理解に苦しみます」
「ほかの作家のところへ頼みに行けば?」
「……いやです」

 解せないのは、彼がわたしにいつまでもまとわりついていることだ。わたしは彼のことが好きだから、こうして一緒にいる。破滅の香りを感じつつ、そんな破滅にこそ惹かれる自分を感じている。でも、彼はいったいなぜ、わたしにこだわるんだろうか。

「あのですね、この三途川が、直々に頼んでいるのですよ。どうして聞いてくださらないのです? 死にたいのですか?」
「さらっと殺そうとしないで」
「しかしですね、あなたは三途川理の本性を知っている。まったくもって、不可解ですよ。本性を知ってなお、『距離をとる』ことをせず、『味方になる』こともしないっていうのは」

 彼はぼそぼそとぼやくように、小さな声で次のように言った。

「そんなあなただから、ちょっかいをかけてみたくなる」
「それは、恋?」
「そうではないと、一番知っているのはあなたでしょう。バカを言ってもらっては困ります……恋だとか、そういう甘っちょろい考えを持っていると、死にますよ?」

 たしかにそうだ。自分でも、そろそろ彼に殺されそうな気がしている。
 三途川理に、恋情などという殊勝なものがあるとは思えないのだ。一時の気の迷い程度のものならばあるのかもしれないが、その感情は彼の理性と欲望によって、数秒後には簡単に別のものに変化する。三途川とは、そういう人だ。知っている。知っているとも。
 わたしはいつだって、そんな彼の恋心のなりそこないのようなものに、振り回されている。ほんとうに、四六時中、ずっと。日常生活に支障が出そうなくらいに。
 ……そのとき、ふと、日頃から嫌がらせばかりされているお返しをしてやろうと思いついた。

「でもさ、たとえば、恋愛感情が発生したあとに、別のどす黒いものに塗りつぶされるのだとして――直後、また別のものに置き換えてしまえば、わたしの勝ちだよね」
「……なにを、言ってるんです?」
「こういうこと」

 と言って、彼にキスをしてやった。とびきり甘いやつを。打算でキスをするというのは、初めてだけれど……なかなかに楽しい。いつも、彼はこういうことをしているのだろうか。自分を優位な場所に置いて、からかうような上から目線のキスを……。普段の彼の気持ちの一端を垣間見たような気がして、心が躍った。
 唇が離れてから、彼は慌てて自分の唇を拭った。かなり動揺しているようだ。よしよし。

「ぐっ……! こういうバカにしたような態度は、感心しません。あとで仕返ししてやりますよ。何倍にもしてね!」
「やりたければやればいいじゃない。こちとら、もうあなたにビビるのはやめにするんだから」
「な、な、な、なんなんですか、その態度は。この名探偵にビビらないものなど、存在しないッ! それをわからせてやりますよ!」

 などと、愉快なやりとりを繰り返しているうちに、名探偵の頬がどんどん紅潮していく光景が、わたしの勝利を象徴しているようで、とても楽しかった。明日、激情した悪徳名探偵に殺されてしまうとしても、悔いはない。だって、わたしはたぶん、彼のことをけっこう気に入ってしまっているのだから。破滅に魅入られてしまったからには、破滅に向かって突き進むしかない。どうせ終わってしまう恋ならば、終わる瞬間までは楽しまなければ損だろう。新たな推理小説のネタを考えつつ、わたしは、彼の紅い頬を見てにっこりと笑った。恋の終わりまでは、どうか、ただひたすらに幸せであるように……そう、心から祈りながら。

ただひたすらに幸せであるように

20170228