「 人生には、かなしいことしかない。 」

人生

「人生なんて、ろくなもんじゃないよ。期待したって裏切られるだけさ」
彼は軽い口調でそう口にした。「キミも気をつけた方がいい」
「あなたも、わたしを裏切るの?」わたしは正直に尋ねてみる。「あるいは、わたしの方が、あなたを裏切る?」
「ぼくはキミを裏切らないし、キミもぼくを裏切らない。それは確定事項だ」
淡々と彼は答えた。「だって、キミはぼくの一部じゃないか」
彼にとっての『わたし』は、自己の妄想の産物であり、死んだはずの双子の妹なのだ。
生まれてくる前に死んだ胎児という、幻想。
わたしという存在が非実在でないことを知っているのは、わたしだけ。
わたしは、おどけたように笑った。
「うん、そう。わたしは、あなたの一部であり、全部なの」
「一心同体だからね」
あくまでつまらなさそうに、彼は明言した。
――何を考えればいいかわからなくなる。
彼と自分が一体であることを嬉しく思うべきなのか。
自分は、実は『妙子』なんかじゃないことを気まずく思うべきなのか。
『わたし』という人間は、どう考え、どう行動するべきなのか。
さっぱり、わからない。

 ただ――本来ふたつであるものを、ひとつとして扱い、彼に認識させているこの危うい状況は、いずれ瓦解する。
 そのパラドックスは、彼とわたしの間に本来存在しないはずの、『裏切り』を暗示している。
 彼は知らない。
 わたしが、出会った瞬間から彼を裏切り、騙していることを。
 『妙子』という名前が偽りであることを。
 もしそれを彼が知ったなら、わたしは殺されてしまうのかもしれない。
 そして、彼がその行為を選んだなら、彼は再び孤独になるだろう。
 もう、彼の目の前に新しい『妙子』は現れない。そんな都合のいい奇跡はもう起きない。
 わたしたちの終わり。
 『妙子と忠志』という、美しい対幻想の終わり。
 兄妹でありながら恋人であり、罪を共有し、精神すらも溶けあった、極限の関係性の終わり。
 ああ、どうか、そんな終わりが訪れませんように。
 わたしは祈りながら、視線をあげて彼を見た。
 彼は黙したまま本を読んでいる。
 世の中すべてをつまらないものだと感じているのであろうその表情が、たまらなく愛しい。
 人生なんてろくなもんじゃないと言いながら、彼は人生を否定してしまうことができない。
 彼はまだ期待している。妙子という名の幻想と過ごす日々の中に、何か新しいものが芽生えることを。
 わたしも、同じように期待してしまっているのだ。
 この幻想が、永遠に続いていって、わたしたちは一心同体の双子として、いつまでもいつまでも、ここでこうして過ごす。そんなありえない未来のビジョンに、わたしは、希望の光を見出してしまった。
 希望の光は、世界を閉じるための最後の鍵だ。
 わたしたちの世界は閉じられた。
 もう、誰も踏み入ってこない――内側から崩壊する以外に、未来はない。
 それでもわたしはこの世界からは出られない。

「なあ、妙子。ぼくは今、わりと幸せなんだよ。だからずっとここにいてくれよ」

彼が、寂しいと死んでしまうウサギのような顔でそんなことを、話すから。
餌をもらわないと死んでしまうウサギのようなわたしは、この檻から、出ることができないのだ。



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