映画館で連れがはしゃぎすぎて恥ずかしい思いをする、ということは学生時代からよくあったものだ。「連れ」というのはもちろん、見山均である。均が映画館でぎゃあぎゃあと子供のように騒いでいるのは、今もまったく変わらない。むしろもう、映画館の日常風景の一部なんじゃないかと思うくらいに自然現象だ。
 しかし、今日甲斐の隣で騒いでいたのは均ではなく、りろりだった。彼女と映画館に来るのは初めてだ。
 均の場合は「うおー!!かっこいい!!」とかそんな歓声だからまだ許せるのだが、りろりの場合、「ねえ、今からキスしましょ」だの、「映画館ってカップルがエロイことするために作られたのよね。甲斐もそのつもりで来たんでしょ」だの、もう映画には関係のない(そして精神衛生上良くない)ことばかり言っているので、どう対処したものかひとしきり悩むことになったのだった。
「もうちょっと子供らしく映画鑑賞しろ」
と諌めてみたものの、「映画、つまんない。甲斐といいことしたい」などと言い始める始末。甲斐は心から、彼女を映画館に連れてきてしまった自分のサービス精神を呪った。

「どっと疲れた……」
もっと人気のない映画館にすればよかったかもしれない、いや、人気がない方がりろりの暴走は危険だろうか。しかし、周囲の冷たい視線を受け止めるのもけっこう苦労した。そもそも、映画館という選択自体が間違っていたのだろうか……。
 ちょっとだけ、保護者ぶってみたかった。どこへも連れて行ってやれないだめな保護者ではなく、頼れる保護者になりたいと思っていたのだが――世の中、そううまくはいかないものだ。
「甲斐いー」
りろりは、甲斐の服を引っ張っている。甲斐は、なんだよ、と力のない返答をする。どうせセクハラに決まっているのだ。
「お菓子買って」
りろりのその言葉を聞いて、甲斐は目を剥いた。
「え、今、なんて言った?」
「お菓子買って」
犯して、の間違いではなかろうな。と心に浮かんだ疑問を必死に振り払い、甲斐は最高の笑顔をりろりに返す。
「喜んで買ってあげよう!」


 神様。りろりがこんな普通に子供っぽいことを望むなんて、百年に一度あるかどうかの幸せです。×××してーだの、×××しよーだの、××してるーだの、そんなことばっかり言ってるんだぜ、こいつ。
 あー、幸せだなあ。なんか自分でも不思議なくらいにすがすがしい気持ちだよ。親馬鹿だと思われてもかまわない。りろりが普通にかわいい女の子になるなら、いくらだって買ってやるさ。普通って素晴らしい。
 そんなことを考えつつ、スーパーに向かった。自分でも、ちょっと舞い上がりすぎだと自覚している。それだけ、彼女の自分に対する度重なるセクハラ攻撃は心の傷になっているということかもしれない。ロリコンでもないのに少女に性アピールされまくるというのも、わりとつらいのだ。
 たどり着いたお菓子売り場では、見山均がべそをかきながらお菓子付きカードをサーチングしていた。
 ……なんでここにいるんだよ、と言いかけたが、あまりにも悲痛な表情なので、やめた。
 子供のたまり場でガチ泣きしている独身男性の姿に、周囲の人間はやや引き気味である。
 他人のふりをしたい……と思ったのは、もう何度目だかわからない。
「おい、なんで泣いてる」
と声をかけてみると、均が生気のない目でこちらを見た。
「今ちょっと、悲しさで世界が滅ぼせそうな気がしているんだ」
彼はそんなことを言って暗黒微笑した。……暗黒微笑、としか言いようのない顔だったのでこの表現を使ってみたけど、やっぱり厨二病臭がぬぐえないな。却下して、ただの微笑に格下げしておこう。と、甲斐は適当に脳内会議した。
 理由を聞くと、「ガンバライドでカードが三枚ダブったから」というよくわからない答えが返ってきた。
「とりあえず、家に帰ってから泣け」
と言ってやると、
「甲斐の薄情者」
いわれのない罪を押しつけられた。りろりはお菓子を選ぶのに夢中で、均には興味がなさそうだ。
「甲斐の馬鹿!だいっきらい!」
均は泣きながら甲斐を糾弾する。成人男子の泣き顔は気持ち悪い。これだと、自分が泣かせたみたいではないか、と甲斐はぼんやり思う。こんな馬鹿な男が自分よりも段違いにモテるのだから、本当に解せない。均に向かってキャーキャーと嬌声を発している女性たちは、均の実態をわかっているのだろうか。わかっているうえで愛せるのなら、それは一種の才能だ。
 なんにせよ、このままにしておいても仕方ない。どうにかしなくてはならない。甲斐はため息をついた。
「じゃあ、そのなんとかカードを買ってやるから元気出せ」
「えっ、マジで!? 対戦してくれる?」
均は急に瞳を輝かせてこちらを見た。これはこれで気持ち悪い。
「タイセン?」
なんだか嫌な予感がするなあ、と思ったときには既に遅く、甲斐は均に引っ張られて上の階にあるゲーセンまで連れて行かれることになった。

「カードってお菓子についてるんじゃないのか」
と甲斐は言う。均はゲーム機のボタンを押すのに必死で答えない。カードの出るゲーム機に向かう二人の背後にはなぜか、たくさんのちびっこのギャラリーができていた。均はかばんの中から大量のカードを取り出す。丁寧にページつきのファイルに入れてある。
「バトルに公平を期すため、カードはシャッフルして目を閉じて選ぶことにするぞ!」
「いや、どうでもいいんだけど」
「どうでもよくはない! 弱いカードじゃ勝てないんだぞ!」
均は必死にカードを選別し、目を閉じてぐちゃぐちゃとかき混ぜてから甲斐の方へよこす。
「はい、選んで!」
しぶしぶ、一瞬だけ目を閉じ、カードを一枚選ぶ。選びながら、甲斐はりろりのことを思う。彼女はしっかりしているから大丈夫だとは思うが、一人で下の階に残してきてしまったのは気になる。この変な遊びは早く終わらせて、さっさとお菓子売り場に帰らなくては。
「よっしゃ、お金入れて!お金!」
均の態度はまさに子供である。むしろ、子供より子供らしい。りろりは無駄に大人びているから、均の幼児性は甲斐にはかなり新鮮に思える。……ちなみに、新鮮ではあるが、好感を持つかどうかはまた別の話だ。
「よし、俺王蛇!! 甲斐はカイザ!!」
甲斐だけにカイザだってー、ぷぷー、と均は笑ったが、甲斐にはなぜ笑われているのかイマイチ理解できない。よくわからないまま、ゲームが始まる。まず、機械からカードが出てきて、均がそれを見てわーとかぎゃーとか歓声を上げていた。どうやら、もうダブらなかったらしい。ゲーム自体はかなり簡素で、スロットをボタンで止めたり、タイミング良くボタンを押したりすることによって戦闘が進む。結果は甲斐の勝利だった。
「ちくしょー、負けた。もう一回やろうぜ、もう一回!」
と均は再び甲斐の財布を開けようとしたが、甲斐は阻止した。
「ぼくはりろりのところに戻らないといけないんだ。これ以上、おまえの遊び相手をしてやる理由はない」
均はまた泣きそうな顔になって、「えー、もう一回やりてえよお」と言ったが、甲斐は無視して階段の方へ歩き出す。均は追ってくるかと思いきや、一向にやって来ない。しばらくしてから振り向いてみると、さきほど背後でゲームを観戦していた子供たちが、均に対戦を申し込んでいるところだった。


「ごめん、りろり。均のやつがさ」
と甲斐が言うと、菓子を両手いっぱいに持ったりろりが振り向いた。
「あー、甲斐だ。ねえ、お菓子ってどれくらいまで買っていいの?」
「えっと、千円くらいかな」
甲斐がそう返事をすると、りろりは計算をしながらかごに菓子を入れ始める。「うーん、これくらいかな」
「何を買ったんだ?」
覗き込んで見ると、かごの中にあるのは同じような菓子ばかりだ。プラスチックの入れ物に入っているソフトグミキャンディーの類。甲斐は駄菓子を食べないからよくわからないのだが……もっと、いろんな種類を買った方がいいのではないだろうか。
「なあ、同じのばっかりでいいのか?」
と聞いてみると、
「うーん、やっぱりこれが王道だと思うの」
よくわからない答えが返ってきた。王道、とは何の王道なのだろう……甲斐が首をひねっていると、ぱたぱたと誰かが走ってくる音が聞こえた。均だ。
「やー、まさかこんなところで友達が増えるとは思わなかった。いい時間を過ごしたぜ」
新しく獲得したカードを見せびらかしつつ、均は充実した表情でにこにこしている。それはよかったな、と甲斐は口に出さずに言った。結局、甲斐が一緒にゲームをした意味がないように思える。均にとっては意味のある行為だったのだろうが、甲斐には何の得もない。甲斐はため息をつきつつ、レジへと向かうことにする。会計を手早く済ませ、均と合流する。
「あれえ、りろりちゃん、ぷっちょ買ってるの?」
レジ前で合流した均は、りろりに声をかけ始めた。均は完全無欠のプレイボーイだが、ロリコンではないはず。なので、止めはしない。が。
「りろりちゃん、それ、ちゃんとやすりで削ってから使うんだよ。怪我したら大変だからな。ひとしおにーさんとのお約束だ」
「はーい。やさしいひとしおにーさん、ありがとー」
二人はなかよくユビキリを始めているが、その会話の内容にふと、違和感を覚える。
……やすりで削る?
…………怪我したら大変?
………………うん?なんか、変じゃないか?
菓子を目の前にしたセリフとしてはかなり規格外だ。
「おい、りろり。なんだ今の会話は」
りろりに尋ねると、無言で視線をそらされた。ますますあやしい。
「均。説明しろ」
「えー、俺は説明したくないなあ。俺、紳士だから。こういう子供がたくさんいる場所で、そういう話をするのはちょっと俺のポリシーに反する!」
「うん、なんとなく理解した。この変態どもめ」
どうやら今回も、りろりに踊らされていたらしい。均にはその思惑が一目で理解でき、自分は気付かなかったという事実が憎らしい。甲斐はこの世の終わりのように嘆息する。
 グミキャンディーを収納するちょっとくびれのついたプラスチック容器を、あんなことやそんなことに利用するのが、菓子をねだるりろりの最終目的だったわけだ。ちっとも子供らしくなんかなかった。さらに、これまでの経験から言って、甲斐の方にも被害が及びそうな気がする。それは嫌だな、と思うが、それよりも自分の純粋な保護者欲(?)をそういう不純な方面に利用されたのが非常に悔しい。くそ、今日の晩飯はおかずを一品減らしてやる。ついでに均にはゲーム代を後日請求しよう。

「甲斐、これおいしいよー。甲斐も食べる?」
だが、おいしそうに菓子を食べているりろりを見て、おかずを減らすのはやめておいてやってもいいかもしれない、と思ってしまう自分は、たぶん、まだまだ未熟なのだ。菓子よりも、甘い。帰り道の空は青く、りろりが食べているソーダ味の菓子の色に若干似ていて、今日も世界は平和だ、と甲斐は考えた。




091213