夢を見る。 彼女を絞め殺してしまう夢を。 自分が痛みに耐えられずに発狂してしまう夢を。 自分で自分を刺し殺す夢を。 どれもただの夢だ。夢なのだ。でも、どうしようもないリアルでもある。 首を絞める感覚も、体中が痛くてたまらないのも、死にたいと願うのも、全部現実に起こりうることだ。いつそうなってもおかしくない、未来のビジョン。 目を覚ましたぼくはただ震える。震えながら祈る。 神というものがあるのなら――どうか、最悪の結末を回避させてくれ。 祈ってしまってから気づく。 神とは自分のことだろう、と。 神の無力さを知っている。 そもそも、ぼくは本当に神なのか。そんな根本的なことを疑問に思うこともある。 ぼくは神だ。それは動かしようのない事実。人間が自分が人間だという事実を疑わないように、ぼくは自らが神であることを疑わない。それは、アイデンティティの根源だ。 でも、それが全部妄想だったらどうする。 信者も神も巫女も、全部全部壮大な妄想だったら。 そんな馬鹿なことを考えて不安になるくらいに、最近のぼくの精神は不安定なのだ。理由は単純、姫があまり出てこなくなったからだ。 姫を抱きしめたい。そんな当たり前のように持っていた情動すら、だんだん歪んでいくような気がしてならない。 切り刻まれたい、いっそ殺されたい、殺すなら切り刻んでミンチにして殺してほしい――という風に。 実際、今のぼくなら切り刻まれたって正気でいられるはずだ。彼女と出会ったころのぼくは痛覚と性欲を普通に持っていたような気もするのだが、今は違う。傷をつけられ内臓を引きずり出され眼球をえぐられ、そんな日々こそが価値のあるものだと、思っている。価値観も、生物としての欲求すらも書き換えられてしまった。彼女になら書き換えられても構わないと思った。 さあ、殺すがいい。 そうは思うものの、ぼくが姫に消えてほしくないのと同じく、姫もぼくを殺したくなんかない。それくらいは知っている。だから死にたいなんて言ったことはない。少なくとも、彼女の前では。絶対に。 彼女は切り刻みたいだけだ。血を見たいだけだ。肉をえぐりたいだけだ。別に命を奪いたいわけではない。結果として何百人も殺した姫だけれど、彼女は彼らを殺したかったんじゃないのだ。 殺したくなければ殺してもいいのか――という話はしたくない。それを言いはじめるときりがないからだ。猫神の教団の中で、抹殺されていった者はたくさんいる。姫が殺した以外にも、数えきれないほど多く。殺人のタブー性なんて、今更なのだ。そんな倫理は教団には存在しない。議論するだけ無駄だ。 だが、殺すことは楽しいことではない。それだけは冷血なぼくも知っている。自分の剣が他人の心臓をえぐり取ったときの感覚を、ぼくは忘れない。どれだけ忘れたくても忘れない。もう殺したくないと思った。これを何百回も繰り返した姫がああいう風になってしまった理由を、人を殺めた瞬間に悟った。 そして思った。殺したくなくても殺してしまう、そんな彼女の心はもうぼろぼろなのだ、と。彼女が他人につけた傷の数より、彼女が心に負った傷の方が多い。同情を乞いたいわけではない。だから許してくれ、と言いたいのではない。 ただ、彼女はぼくという存在がいれば、他人を切り刻まなくてすむ。そういうだけの話だ。不死身ではないが、人間よりは治癒能力が高い。切り刻まれても治療すれば何とかなる。 彼女というどうしようもない存在を。 怪物で狂人で殺人鬼でしかない邪魔者を。 ぼくだけが理解して愛してあげられると。 その思い上がりが、ぼくたちの愛の発端なのかもしれなかった。 今はもう感情では動かない、痛覚でしか通じあえないぼくらだけれど――きっと、いつかどこかで、何かが変わるはずだ。 寄り添い合ってそれを待つことは、そんなにいけないことだろうか。 モンスターとして生を受けた彼女を排除することは、正しいのだろうか。 他人を殺して何が悪い。 殺さなければ生きられなかった、そんな環境に彼女を置いたのは悪くないのか。 歪んだ心を持ったまま生まれてくるしかなかったあの子を肯定するのは、そんなにいけないことなのか。 理解を求めるのはやめた。教団の内部でも、姫を排除する相談が持ち上がっているくらいだ。世間に理解されるなんて思わない。ぼくにとって必要な人間は彼女しかいない。他の誰も、ぼくを癒してくれないし、愛してくれない。神であるぼくがそう主張しつづけることで、彼女は殺されずにいることができる。 ぼくが水だとしたら、彼女は水に浮かぶ泡だ。いずれぼくから離れて消えていってしまう。せめてそれまで、ぼくは彼女を包んでいてやりたい。人が神に祈るように、ぼくは彼女にすがるしかない。だって、誰よりも弱い神様なのだから。 090204 |