せかい
「世界は、君がいるから美しい。」
そんなありふれた愛の言葉に対して、「わたしも同じ気持ちよ」と答えを返せたことは、ある種の奇跡かもしれない。わたしはどうしようもなくありふれない存在であり、彼もまたありふれない者である。わたしと彼が、こんな普遍的な言葉を交わせるなどとは、おそらく世界中のだれも思っていないだろう。
――しかし、わたしの言葉に限って言うならば、これは嘘だった。
わたしの気持ちは、確かに彼のそれとほとんど同一ではある。でも、根本的に違う。なぜなら、わたしの考えている世界と、彼の考える世界は違うから。
わたしは、本当はこう思っている――『世界は、あなたがいなければ絶対に、美しくない。』
同じ意味だと、彼は言うだろうか。
彼にとって、それは同じ意味の言葉だろうか。
しかし、わたしにとっては、それは全く違う、絶望的に違う、言葉なのだ。
わたしは忌み子で、彼は神様。
誰にも望まれないわたしと、みんなに崇められる正貴。
同じ血を引いているから同じ存在だと、正貴は言うけど、そんなことはない。
正貴はわたしと同じなどではない。
神々しくてきれいで、正貴はこの世界の救済なのだ。
正貴がいるから生きていられる。
生きようと思える。
――正貴は、ほんとうのほんとうにわたしのかみさま。
そう言ったら、正貴はほんの少し眉をひそめ、かなしそうな顔になる。ほら、それがあなたのやさしさなのよ、とわたしは思う。他の誰も気づかなくても、正貴がやさしさを持って生まれてきたことをわたしは知っていて、そして、そんな正貴と、やさしさを持たずに生まれてきてしまったわたしは、どうしようもなく違う。同じように人間を切り刻むとしても、彼のそれとわたしのそれはまるっきり違う。
だから、わたしは正貴にそっとキスをする。わたしにはその行為の価値がわからない。ナイフの接触でもなく、包丁の愛撫でもない、ただ、ふれあうだけのキス。正貴は舌を絡ませてねっとりと味わいながら、わたしを抱きしめる。ナイフで腸を引きずり出したときよりも、指を切り落としたときよりも、喉に穴を開けたときよりも、キスの方が、彼は楽しそうで嬉しそう。わたしとは違って、彼は本来は普通の人間なのだろう。猟奇に愛を見出したりは、本当はしないのが猫神正貴なのだろう。彼の欲望をゆがませているのはわたし。わたしがいなければ、きっと正貴はもっと普通に生きられた。彼は舌でわたしを撫ぜる。夢中でわたしをむさぼる。わたしは何も感じないままに彼を受け止める。そんな正貴はまるで、母を求める子供のよう。ああ、正貴。わたしはたぶん、自分で思っているよりずっと、あなたを深く深く愛しているの。あなたはわたしの世界を創り出すかみさまなの。超絶に、あなたが必要なの。あなたのためなら、何を犠牲にしたっていい。だから、そのキスを止めないで。だって、本当はナイフなんてほしくないのでしょう、あなたは。
100915