燃え尽くしても消えない傷を
恋人というものは、どんな国でも境遇でも、似たような行動様式と思考を持っているらしい。
猫神琴路と正貴という、あまりに異常なふたりも、やはり世間一般の恋人と同じ思考回路をしている。
たとえば、『一分一秒でも長く、一緒にいたい』というような。
「ま、正貴。なんなの、それ」
めずらしく、動揺した調子で琴路が問う。
ここはいつもの部屋だ。
ふたりが愛しあうために設けられた、血みどろでなにもない部屋。
「これかい?」
正貴が右手に持った棒のようなものを示した。持ち手は木製で、3センチくらいだろうか。その先は金属の棒がにゅっとのびており、持ち手と合わせると、全長は26センチといったところ。先端には大きめの金属のかたまりがとりつけられているが……琴路にはこの道具がなんなのか、よくわからなかった。
「姫は見たことがないかもしれないな。これはね、言うことを聞かない信者におしおきするための焼きごてだよ」
正貴は、棒の先端を見せた。信者の身体に『猫神』の証を刻むための硬質な金属がぎらりと光る。
「で、なんで焼きごて持ってきたのかしら。さすがに、これを正貴の体にスタンプするのは……ちょっとマニアックすぎるんじゃないかしら」
「はは、姫の口から『マニアック』なんて言葉を聞けるとはね。持ってきた甲斐があったというものだ」
当の正貴はへらへらと笑って、「焼灼止血法というのを知ってる?」と尋ねた。
「知らないわ。……言葉の響きで、なんとなく内容は察せられるけれど……」
「最近、思うんだよ。姫と一緒にいられる時間が短すぎるってね。そして考えた。どうしたらもっと長く一緒にいられるか」
「その答えが、それ?」
ようやく、琴路にも彼の言わんとしていることがうっすらと見えてきた。
この逢瀬には、時間制限はない。当主として、そして巫女のコトミとしての公務は当然あるが、基本的にはそういうものより、逢瀬のほうが優先される。『当主権限』とでも言おうか。しかし、時間に制限はないはずのこの逢瀬、実際には長く続けられるものではない。
なぜか。
神といえども、『失血』はするからだ。
失血による意識の喪失……および、信者たちによる救出作業の開始。万が一にも神が失血死することがあってはならないため、ある程度失血してしまった時点で救出隊が訪れる段取りになっている。逢瀬の終了を告げる合図は、いつだってそれである。無粋な他人の介入。
では、発想を逆転させてみればいい。
この狂った当主はおそらくこう考えたのだろう。
失血さえしなければ逢瀬は延長できる。
「ま、そういうことならちょっとやってみてもいいかもね」
正貴は待ってましたと言わんばかりに、アルコールランプを取りだし、火をつける。 小学校の科学の実験ではしゃぐ子どもみたいだ。現実味がない。
琴路はそれで焼きごてを温めながら、ナイフを手にとった。
「……右手にナイフ、左手に焼きごて。なんていうか、しまらない絵面ね」
「ぼくはそんな姫も美しいと思うけどね」
ザクッ。彼が言い終わるより前に、相変わらず容赦ないタイミングで、 琴路は彼の上着をめくりあげ、露出した横っ腹をナイフで刺した。
血が漏れだす前に、焼きごてで止血する。うまくできるかどうか不安だったが、押し当てるだけで、案外簡単だった。
「か、は……ッ!」
「どうかしら? 新しいおもちゃは」
「血が出ないし、いつもよりも、ぞくぞくする、かな」
「そう? じゃあ、今度はこっち」
ふとももに十字の傷を容赦なく刻み、中心からあふれだそうになる血を抑えて止める。
じゅ、と肉が焼ける音がした。
いやなにおいが鼻を刺す。十字の形の傷跡が、腫れ上がり熱傷と化す。
止血とは、本来は出血を抑え、傷を消毒し治すために行うものであるはずだが、これでは新たな傷をつくっているだけである。琴路は医学の専門家でもなんでもないため、最初の傷よりも、あとからつくられる熱傷のほうが傷の程度はひどいだろう。
「ぐっ……」
「いい顔ね。肌を焼かれるのは痛い?」
「ああ、痛いね。でも、清々しい気分だよ」
「それなら好都合」
腹や腕にも十字の傷を次々と刻み、にじみだした血の上から焼きごてを当てる。
「ひぁ、ぃ、つっ……」
彼の皮膚に、痛ましい赤いやけどが広がっていく。彼はいつもよりも余裕のある笑みで、こう告げた。
「きょうは、姫と、ずっと一緒にいられる……そう思うと、どんなことでも、耐えられる気がするんだ」
しかし、そんな時間は長くは続かなかった。
数時間が経過して、全身の半分ほどをやけどに覆われた彼は、無惨なありさまだった。
かろうじて顔だけは熱傷を負っていないが、腹、腕、足、腹などは赤く腫れ上がり、今にも膿みはじめそうだ。消毒もせずに焼きつづけているせいだろう。
「ひ、め……もっと、もっとやってぇ……」
とつぶやく彼の声は震えていたし、額には脂汗が浮かんでいた。
足は細かくがくがくと震え、いまにも膝をつきそうだ。
目の焦点は合っていないし、ろれつも怪しい。
ああ、これは失敗だ。彼の様子を見て、琴路はそう悟った。
コンセプトそのものが間違いだ。
逢瀬がいくら延長されたとしても、それは彼の望まない苦痛を延長しているだけで、我慢を増幅させていくだけで、本質的な解決にはほど遠い。
いくらマゾヒストとはいえ、恋のために皮膚のすべてを焼ききるなんてことはできない。その前に意識が焼き切れるだろう。以前、慣れない骨折をさせたときにも消耗が激しかったが、今回の熱傷も、これまでに体験したことのないダメージを彼に与えているはずだ。
彼も、それが愚かしい選択であることには気づいていただろう。
彼の右腕を骨折させたとき、琴路はその愚かしさに気づいて一歩引いたが……今回は、正貴本人がその選択を強く望んでいたから、ついついここまで進んでしまった。
彼も琴路も、これが失敗であることを知っている。どんなに努力しても、いずれは終わりが来るのだ。永遠の逢瀬がほしければ死ぬしかない。
終わったあと、やけどの治癒には多大な時間がかかるだろう。……次回の逢瀬は延期されるかもしれない。
こんな付け焼き刃の対処では、ほんとうにほしかったものは手に入らない。
「……もう、やめておくわ」
琴路は、自分の欲望を押し殺して、小さくそう言った。
心のなかで、嵐が吹き荒れる。
まだまだ一緒にいたい。
このまま続ければ、一緒にはいられる。
でも……。
「あなたの全身がやけどにまみれるの、見たくなくなっちゃった。うつくしくないもの」
「そう、か……じゃあ、きょうはこれで、お別れ、なんだね……ひ、め」
切れ切れに言葉を紡ぐ彼は、相当無理をしていたようで、前のめりに倒れてきた。
重い体を受け止め、琴路はその背中をそっと撫でた。
「わたしと一緒にいたいと思ってくれて、ありがと。わたしもほんとうは…………」
その続きは、おそらく彼には聞こえなかっただろう。
意識のない彼を置いて、琴路は無言で部屋を出た。
こんなとき、ふつうの恋人同士ならば泣いて別れるのか、と琴路はふと思う。
やけどに覆われた彼は、いつもみたいに凛としてうつくしい彼ではなかった。
でも、なぜだろう……どんなときよりも輝いて見えた。
彼は、こんな醜い姿を、琴路のために晒そうとしてくれた。
それを思うと、全身が焼かれるように痛い。
「涙なんて、出るわけないじゃない。わかってるのに……」
苛立たしげにつぶやく声は、教団の冷たいリノリウムの廊下へと溶けて消えた。
20180913
お待たせいたしました、リクエストボックスより「姫×正貴さんのいつもどおりのグロくて甘いもの」をお届けしました。
5年ぶりにこの二人を書いたので、ちゃんと「らしく」なっているかどうか心配ですが……通常運転っぽくグロさを追加してみました。お楽しみいただければ幸いです。
リクエスト、ありがとうございました!