マガタマ・スター (前編)
マスターこと巴征一郎は焦れていた。征一郎の上に馬乗りになったパペットは、彼の裸の上半身にローションを垂らして、ぺたぺたともてあそんでいた。夏の暑い日、実家からは少し離れた整備用ルームでのことである。実家の家族たちは、彼がここに住んで研究をしていることは知っているものの、何の研究をしているのかまでは知らない。
乳頭やへその上の粘液を体にもみこむようにして、その冷たい手は彼の体に熱を発生させていた。例によって、彼の両腕は手錠で拘束されていて、過度な抵抗はできない。下半身はスラックスを履いたまま、まだ何も触れてもらえずにいる。上半身だけを執拗に責められ、歯がゆい性感が、体のなかで持て余される。ちなみに、彼女の使うローションは、媚薬入りなどという現実離れしたものではないものの、こすればこするほど熱を持つ特別製だ。乳首と腹にそれを塗りこまれると、全身が火照って、触れられていない下半身までが脈打つ。自分の上半身が性感帯であったという、知りたくなかった事実を知らされてしまう。
「どうですか、マスター。今日のコンセプトは、ローションぬるぬるの焦らしプレイです」
と言いながら、彼女はかなり強い力で乳首をつねりあげた。粘液のぬめりのせいで痛みはビリビリとした性感となり、征一郎は無意識に下半身をはねさせた。彼女の問いに答える余裕はなかった。じりじりと体の上を撫でながらも、肝心な芯にはまったく到達しない快感の波を捕まえようと必死だったのだ。
「質問に答えないなんて、マスターは悪い子ですね。おしおき、されたいですか?」
と普段通りの言葉責めを展開しつつ、パペットはにっこり笑った。
「いい、すごくいい。だから、おしおきは勘弁してくれ。早く続きを」
小声かつ早口でそう答えた彼を見て、パペットは嫌な笑い方をした。
「ダメです。ここはやっぱりおしおきを」
そのとき、チャイムが鳴った。この整備用ルームは一応は一軒家のような形をしており、玄関にはチャイムが設置されているのだ。
征一郎の体が、今度はまったく別の悪寒でとびはねた。こんなところを他人に見られてはたまらない。実家の連中が来たのであればなおさらだ。普段は忘れがちだが、パペットという存在は、家族には絶対に知られてはならない機密事項である。
「パペット、今日はとりあえずここまでだ。名残惜しいだろうが、拘束を解いてくれ」
「イエス、マイマスター」
彼女も、ここでプレイを続行するほど聞き分けがないわけではないらしい。きちんと彼の体についた液体を拭き取り、服を着せた。そういえば彼女は、いつだったか、「SMにおいてもっとも大切なのはオフのノリをオンに持ち込まないことだ」というような、妙にもっともらしいことを言っていた。
そもそも、彼女とSとMの関係になった記憶はないので、あまりもっともらしくはない気もするのだが。
「はーい、どなたですか」
自分の服装に異常がないことを確認してから、征一郎は玄関へと走った。パペットには、こういうとき外に出てこないように、と言ってある。奥でおとなしくしていることだろう。
「わたしだよー! 征一郎!」
妙に親しげな女性の声だった。とりあえず扉を開けてみると、どこかで見たような顔の女がいた。
「久しぶり」
とにこにこ笑う彼女は、白衣を着た知的な出で立ちで、ロングヘアー。前髪をまっすぐに切りそろえ、とても凛々しい顔をしていた。後ろには大きめのスーツケースを持っており、なんらかの長期旅行の帰りのように見える。
「えっと……」
誰?と尋ねるわけにもいかず、口ごもる征一郎だったが、彼女はそんな彼の心中を先に察したらしい。
「久しぶりすぎて覚えてないかな。わたしは、鳥渡松手、っていうんだけど」
とりわたり、ましゅ。その名前を聞いて、すぐに思い出した。幼稚園の頃だったか、小学校の頃だったか。いつも自分はひとりの勝ち気な女子に泣かされていた。男にしては貧弱な体だったし、その当時から女子にはいたぶられるような体質だったかもしれない。
その少女はいつのまにか自分の周囲から消えていたし、存在自体も忘却していたのだが……まさか、再び会うことになろうとは。
征一郎は、ようやく思い出した彼女のアダ名を口にした。
「マシュー、か……」
鳥渡は苦笑した。
「世界名作劇場に出てきそうな人名っぽく呼ばないでくれる?」
「確かに、もう子どもじゃないんだしな。マシュ、と呼ばせてもらうよ」
「よろしい」
と言って、彼女は征一郎の肩を軽くこづいた。先ほどまで熱を帯びていた箇所に触れられたせいか、一瞬だけ、パペットのことが脳裏をよぎる。が、今は幼なじみと再会したばかりなのだ。そんな破廉恥な出来事は、一時的に忘れるべきだろう。平静を装いつつ、彼は会話を進めることにした。
「どうしたんだ?いきなり」
「留学から帰ってきたから、挨拶しに来たのよ。あなたの家に行ったら、こちらの部屋にいるって言われたから」
「そうか」
「しばらくは日本にいる予定だから、またよろしくね」
などと、それなりに便宜的な会話を交わしつつ、征一郎は鳥渡と握手をした。
……征一郎は知らなかった。
そのとき、彼と鳥渡には見えない死角で、パペットがふたりをじっと見つめていたことを。
+++
パペットを作ったのが自分である以上、彼女のことを最も詳しく知っているのは自分であるはずだ、と征一郎は考えている。だが一方で、彼女に関しては、わからないことも多い。パペットは、常に征一郎の命令通りに動き、征一郎の性欲の解消のためならばなんでもする……そのようにプログラムされている。また、セクサロイドという特質上、征一郎以外の男性に対しても同じように稼働する。これに関しては、自分でも残酷なものを作った、悪いことをした、という後悔の念がある。
初めの頃は、書き換えられるものなら、もっと人間らしいプログラムに書き換えてやりたいと思っていた。
だが、どうも、彼女はそのような『奴隷』としての駆動装置を体のなかに宿していながら、自律的に動くことが多いような気がしてならない。それゆえ、いまだプログラムの書き換えという作業には着手していない。
今朝だって、征一郎がどれだけ『おねだり』しても、焦らしをやめてくれなかったのはパペットのほうだ。とても『マスター』に仕える『パペット』とは思えない。命令を聞くようにプログラムしてあるはずなのに、彼女は命令を聞くどころか、むしろ征一郎に嫌がらせをするごとく、期待を裏切ってくる。そして、征一郎はその裏切りを心地よく思っている。つまり、彼女は結果的には、征一郎をまったく裏切ってはいない。征一郎はパペットに支配されている。彼女のほうがマスターなのだ。
「わけがわからない」
口に出してそう言ってみる。本当に、わけがわからないとしか言いようがない。このような事態は想定していなかった。ひとりの科学者として、とんでもない領域に踏み込んでいるような予感が、今の征一郎をぼんやりと包んでいた。
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「先ほどの女性は、どなたですか?」
どことなく不機嫌そうなパペットが、そう問いかけた。
彼女にはそんなことで不機嫌になるような理由は組み込まれていないはずなのだが、と思いつつ、征一郎は答える。
「トリワタリ・マシュ。変な名前だけど、鳥が渡ると書いて、松竹梅の松に、手足の手で、鳥渡松手ってんだ」
「マスターのお知り合いですか?」
「幼なじみだよ。と言っても、いい思い出はない。昔、彼女にこっぴどくいじめられていたんだよ」
しかし、特に嫌悪を抱いているわけでもない。嫌がらせをされた直後には泣きわめいていたものだが、後から考えると、彼女を恨むような感情はわいてこない。そういった複雑な感情を口にするとややこしくなりそうだったし、うまく説明できる自信もなかったので、やめておいた。
「いじめられていたわりに、仲がよさそうでしたね」
「昔の話だし、もう忘れてたからな。まさか、彼女があんな女性になっていたとは思わなかった」
パペットはなんだかむっとしたような顔で、「あんな女性とは?」と聞いた。
「さっぱりして男まさりなのは変わんねーけど、白衣着てて……知的で大人びた女性、って感じのさ」
征一郎の説明の途中で、割りこむようにパペットがさらなる問いをぶつける。
「マスターはそのような女性が好みなのですか?」
「好みも何も。あんな男まさりは守備範囲外だ。僕の好みはパペットみたいな娘だと、前に言わなかったか?」
征一郎は首を傾げる。
「なんだおまえ、嫉妬してるのか?」
「嫉妬などという感情用回路は、パペットには組み込まれておりません」
パペットは明らかに怒っているふうな口調で言った。
「あのな、前々から思ってたけど、おまえ、何だかおかしくないか? 僕がプログラムした覚えのない言動が多すぎるような気がするんだが……」
そのとき、パペットは、征一郎の問いには答えず――なぜか天井を見上げた。
「誰ですか、あなたは?」
征一郎は、パペットの視線を追うように天井を見て、あまりの異常事態にギョッとした。
そこにいたのは、ニンジャとしか言いようのない青年だった。
紫色の頭巾のようなもので頭部をすっぽり覆っていて、顔はよく見えない。背格好は征一郎と同じくらいだろうか。背中に刀を背負い、甲冑に似たものを装備している。どこからどう見てもニンジャ、という風情の男が、整備用ルームの天井に渡された細いパイプに吊り下がっていた。
「な、何だコイツ! どこから入ったんだ!」
征一郎の叫びを聞いて、「ムッ」と妙な声を出してから、ニンジャ青年はストンと床に降りてきた。無駄のないなめらかな動きで、足音はほとんどしなかった。まさか、この平成の世に、このような場違いなニンジャが存在するとは。
「拙者は『勾玉』と申すもの。巴征一郎殿に一言、ご挨拶がしたくて参った次第であります」
口調もニンジャっぽい男だった。征一郎が、開いた口がふさがらないといった顔で黙ってしまったので、代わりにパペットが問いかけた。
「どう考えても普通の人間ではなさそうな名前ですし、天井にぶら下がってるってのも不気味すぎるわけなのですが。何よりもワタシとマスターの会話を盗み聞きしようとしたのが非常に不可解です。誰の差し金ですか?」
ニンジャ青年・勾玉は頭をすっぽり覆っていた装束を完全に取り去って、素顔を晒した。敵意はないという表明だろうか。すこしツンツンした黒髪、賢そうに鋭く尖ったつり目が印象的だ。年は征一郎と同程度か、すこし下くらいだろうか。どこかで見た風貌のような気がするのだが、思い出せなかった。
ようやく口をきけるようになった征一郎は、青年に向かって、尋ねる。
「おまえ、何者なんだ?」
「ですから、『勾玉』であります。拙者のマスターが、巴征一郎殿にきちんと挨拶をしてこいとおっしゃられておりまして。マスターの言いつけは絶対でありますので、ニンジャとしてのIdentityを壊さず、同時にSurpriseを与えられるよう、Perfectな状態で任務を遂行するべく、このように天井に吊り下がっておりました」
「……ニンジャなのに英語使いすぎじゃないのか……?」
しゃべり方も、実はそこまでニンジャっぽくないな、と征一郎はあらためて思い直した。敬語の使い方も、なんだか雑だと思う。
「あの、今、『マスター』とおっしゃいましたか?」
征一郎がニンジャっぽさとは何だったかと思い悩んでいる間に、パペットが的確なツッコミを入れてくれていた。
「あ、そうだ。『マスター』ってなんだ? もしかして、おまえもセクサロ……じゃない、アンドロイド、なのか?」
うっかり言いそうになった言葉を、ギリギリのところで飲み込みながら、征一郎は尋ねた。パペットがセクサロイドであることは極秘事項だ。実家にバレたら何が起きるかわかったものではない。できるだけ人間だということにしておきたいし、それが無理ならば、単なるアンドロイドということにしておかなくてはならない。
ニンジャ青年は、ぱぁっと嬉しそうな笑顔になった。
「そのとおりです! いやぁ僕、あまりそのようにアンドロイドとして扱っていただけたことがないのです。皆さん、僕のことが完全に人間に見えてしまうらしいのです。それではいけないと思い、もっとRobotっぽい感じを出そうか悩んでいたところなのでして。ですから、言い当てていただけて、とても嬉しいといいますか。ニンジャ・アンドロイド冥利に尽きるという感じであります!」
征一郎は顔をひきつらせて愛想笑いをした。一人称の『拙者』という一番ニンジャっぽい部分をいつのまにかポイ捨てしているし、口調もだいぶ崩れてきてしまっている。この男、どう考えても生粋のニンジャではない。単なるお間抜けコスプレイヤーさんである。でも、なんだかめちゃくちゃ嬉しそうなので、何もツッコミを入れられない。
「で、おまえさんのマスターってのは?」
『おまえ』と呼ぶのが忍びなくなったので、とりあえず『さん』をつけることにした。
「僕をつくってくださった偉大なマスターは、とても素敵なWomanです。大人びていて、美しくて、誰よりも強くてたくましい! 残念ながらマスターはニンジャではないのですが、僕はマスターが大好きなんです!」
どうやら、感情が高ぶるとニンジャ度が低くなってしまうらしい。このままだと、服装以外にニンジャっぽい要素がなくなってしまう。アンドロイドっぽい要素も特にないので、ただの変な服装のオニーサンといった感じだな……と征一郎は考えていた。
「あなたのマスターの、お名前は?」
このままでは埒が明かないと思ったのだろう。パペットが、なだめるように尋ねた。
「鳥渡松手さまです」
ぼんやりとニンジャやアンドロイドについて考えていた征一郎だったが、その名前を聞いて、急に現実に意識を引き戻された。
「は!? ま、マシュ!?」
ニンジャ青年アンドロイドの勾玉は、ほっこりと幸せそうな笑顔で、「そうなのです。素敵なお名前でしょう?」と言ってのけた。
そのとき、征一郎はようやく思い出した。「留学から帰ってきた」と鳥渡松手は言っていた。彼女は長期旅行から帰ってきたときのような、大きな荷物を持っていて、研究着に似た白衣を着ていた。このニンジャアンドロイドを名乗る青年は、ニンジャという設定だというのに、なぜか英語を多用していた。おそらく、この青年型アンドロイドは、鳥渡と一緒に外国へ渡っていたか、外国で製造されたのだ。英語を使用していたのは、外国にいた名残なのだろう。
そして――しばらく顔を合わせていなかった幼なじみの鳥渡松手は、偶然にも、巴征一郎と同じ境地に行き着いていたということになる。
アンドロイドと共に生きる暮らし。
科学者としてつくりたいものを、実際につくってしまったという、まったく同じ立場。
「どう考えても、これからひと波乱あるに決まってるよな……これ……」
パペットと勾玉というふたりの当事者たちに聞こえないように小声でぼやきながら、征一郎は先程まで勾玉が掴まっていたらしい、天井のパイプを見つめていた。
20140927