マガタマ・スター(後編)



 これから語る「2020年」の科学に関するよもやま話は、あくまでも表面上の歴史の話だ。
 歴史書に書かれていることは、そして現在、コンピュータでウェブの上から眺められるような情報は、本来の真実からあえてかけ離れたものになっている。
 
 2020年、科学者たちは非常に怠惰だった。征一郎だけではなく、たいていの科学者は、金持ちの道楽のように、さすらいのギャンブラーのように、だらだらと、誇りのない仕事をしていた。
 彼らは努力を放棄し、科学者が社会的に大きな評価を受ける機会も、年々減りつづけている。
 科学の価値の暴落。20年前までは誰も予想しなかった現状。
 だがこの暴落は、科学が無能であるから起こったのではない。むしろ、科学はとても優秀で、人々の生活に不可欠なものだ。食べるにも、寝るにも、仕事をするにも、科学が必要だ。
 ただ、20年ほど前から、科学者たちは科学に裏切られつづけている。

 それまで、科学とはある程度は精密なものであると考えられていた。だが、悪名高き『ミレニアム』と呼ばれる2000年、科学は精密なものではなくなった。先に注釈をしておくと、この『ミレニアム』というのは、本来の英単語の用例からはすこし離れ、2000年に起きた事件、そしてそれに伴う現代そのものを指す意味で用いられている、固有名詞のようなものである。インターネット上の辞書サイトなどを参照すると、こう書かれている。
 「『ミレニアム』とは、西暦2000年に起きた、不可解な機械と科学の反乱。あるいは、それに伴う恐慌。あるいは、2000年より先のわたしたちの生きる、不便な生活そのもの。」
 
 科学者たちの完璧な目算――少なくとも、1999年まで丁寧に機能していたはずの基本的な秩序のことだ――は、いつのまにか、まったく意味を持たないガラクタになっていた。
 2020年を生きる現代人ならば、誰しも聞いたことがあるだろうが、これが『2000年問題』という現象だ。もっとわかりやすく言うのならば、『科学の反逆』である。従順に見えた犬たちが、人間に反旗を翻した……としか思えない。この現象には、どんな優れた科学者も説明がつけられない。
 ただ、ひとつだけわかることは、2000年以降、機械を作ることは非常に困難な作業となったということだけ。

 たとえば、CDプレイヤーを作りたい技師がいたとする。しかし、彼が必死に図面を書き、部品を組み立て、作り上げた結果としてできあがるものは、目玉焼きを焼くだけの機械であったりする。設計図どおりのCDプレイヤーができあがることもあるのだが、どれだけ精密に作ったつもりでも、煙に巻かれたように、別のものが完成することがある。不良品でこそないものの、予測と違うものができてしまうというのは、科学者にとっては屈辱である。このような理屈抜きのファンタジーが、突如この世界に巻き起こった。

 ただ、この目玉焼き機は、完全にガラクタであるわけではない。世の中には目玉焼きを焼くだけの機械を必要としている人間もいるので、技師はそうした人間にこの機械を単品で売りつけるのである。これが2000年以降の普遍的な『機械売り』の姿だ。『別のもの』が完成する確率を計測した科学者も存在したが、計測の結果によると、この確率はまったく一定でない。
 どのような行動の結果としてそうなるのか、誰にもわからない。

 あまりに効率が悪く、予測不可能な作業。
 論理的ではない魔法のような行程を経ているため、2000年以降に製造された機械は民衆からの信頼も薄い。2000年を迎える前に作られた家具は『骨董品』と呼ばれ、現在、多くの家庭で大切に扱われている。2000年以降に製造された家具を使う家庭もなくはないが、『骨董品』に比べると安価で、信頼できないという印象を持たれている。

 ただ、科学者たちは、このような反逆に完全に屈したわけではない。
 予測がつかないのであれば、予測がつかないなりに作業をしよう、という新しい世代の科学者たちが現れた。

 完全に予測ができないことなどありえない。
 この世には、予測できないことなど何もない。
 すべての可能性を考慮すれば、必ず目的にたどりつけるはずだ……
 これまでの科学の常識を捨て、新たな科学と向き合うために、まずはすべての可能性を洗い出すのだ。

 『ミレニアム』の若い科学者たちは、そのような理念を持ち、機械技術と向き合うことにした。
 彼らは『賢い賭博者』と呼ばれ、古い世代の科学者からは忌み嫌われたが、『ミレニアム』の『我が儘な科学』と戦えるのは、そのような新しい世代の申し子たちだけであると思われる。
 努力が直接的に結果に反映されないというのが、『ミレニアム』の科学の鉄則である。
 それゆえ、若い科学者たちは努力家ではなく、どちらかといえば怠惰で、しかし、貪欲なのである。

 ――怠惰で貪欲。
 そんな科学者たちのなかに、巴征一郎と、鳥渡松手は存在していた。
 ここまでが、「表の歴史」である。


+++


 勾玉と名乗るアンドロイドが征一郎の整備ルームに乱入してきた後、勾玉のマスターである鳥渡松手も、彼の整備ルームにやってきた。
「これがわたしの作った『勾玉』よ! よくできたアンドロイドでしょう? すごく苦労したのよ、ここまでの結果を出すのに」
開口一番に自慢をする鳥渡だったが、征一郎の隣にいるパペットを見て、表情を変えた。
「……あれ、この子、人間じゃないわね?」
パペットは、普通の人間から見れば、機械には見えない程度には整った外見のセクサロイドだ。
 だが、髪に付属する特殊な端子や、目のなかに宿る機械の光などは隠せない。
 科学者が見れば、人間でないことは容易に知れる。
「こいつは『パペット』。僕が作ったアンドロイドだよ」
セクサロイド、という単語は伏せておく。
「たしかに、あなたも『STAR』の導きを受けたものだったものね」
と、松手はさらりと口にした。征一郎は、その名前を聞いて、かすかに眉をひそめた。

 『STAR』。
 2000年、科学は科学者に反逆した。科学技術やモノづくり産業などはバクチのようなものとなり、日本は1999年以前につくられた『骨董品』に頼らざるをえない状態にある。
 ……というのは、表向きの歴史である。
 機械産業の低迷というものが、本当に科学の気まぐれな反逆によるものだとするのならば、現在の日本は今のような安定した平和な状態ではなくなるはずだ。1999年以前に作られた機械製品にそこまでの耐久性があるとはとても思えない。もっと、それこそ原始時代に遡るような恐慌があっていいはず。

 少なくとも、巴征一郎と鳥渡松手は、科学の反逆の裏に隠れた、とある存在のことを知っている。
 おそらく、現代で『賢い賭博者』と呼ばれている者のなかの何割かは、この存在を知り得ているからこそ、科学と互角に戦っているような素振りを見せるのである。
 それが、『STAR』。
 征一郎は、この『STAR』が何者なのかは知らない。
 ただ、『STAR』に出会ったことがある。
 『STAR』は、おそらく精霊とか守護霊とか、魔法使いとか、そのような夢物語に近い存在だと、征一郎は考えている。
 科学者がそのようなものを信じるのはおかしい、と一般人は考えるだろう。
 しかし、そういった夢幻のような存在が関わっているからこそ、2000年問題は引き起こされ、現代の科学者たちが困惑させられている。そうとしか思えない。

「そりゃ、あいつに会ってなけりゃ、僕はこんなことをしようとは思わなかった」
「何だか悪いことのような口ぶりね、征一郎。もっと誇っていいはずよ。この子、とてもよくできているわ」
松手は、パペットの顔をのぞきこんで、にっこり笑った。愛想の良い笑み。
「こんにちは、パペットさん。わたしの名前は、鳥渡松手。こっちのニンジャっぽいのが勾玉。よろしくね」
「こんにちは」
パペットの態度はそっけなかったが、一応、松手に向かって笑いかけてみせた。
「ひとつ、質問があります」
パペットは、松手ではなく勾玉のほうを向いて、こう問いかけた。
「勾玉さん……と、お呼びしてもよろしいですか」
勾玉は嬉しそうに笑った。
「ええ、拙者は勾玉。さんづけでも、呼び捨てでも、どちらでもかまいません」
「では、勾玉さん。お尋ねしますが、あなたはどうして、そんな外見をしているのですか?」
「拙者は日本のニンジャをイメージしたアンドロイドだから、ニンジャの格好をしているのです。かつていた国では、このジャパニーズ・ニンジャの装束はとても好評だったのです」
彼がポーズを決めて、ニンニン!と間抜けな鳴き声を付け加えたので、隣で見ていた征一郎はふきだしてしまった。が。
パペットは、無表情のまま、こう切り返した。

「わたしが言っているのは、あなたの装束のことではありません。それは瑣末なことです。そうではなく、あなたの顔。どう考えても、わたしのマスターにそっくりだと思うのです。いや、マスターよりは多少整った顔立ちですが」

「…………は?」
当の勾玉は、何を言われたかわからないようで、征一郎のほうを注視した。征一郎も、まさかそんなことを言われるとは思わなかったので、勾玉の顔をじっと見つめてみる。ツンツンとした黒い髪。すこし尖ったつり目。メガネはかけていないが、たしかに、似ているかもしれない。初めて勾玉の素顔を見たとき、どこかで見たような顔だと思ったが……まさか、自分の顔だったとは。
「まあ、似てるっちゃー似てるかもしれんが、たまたまだろ」
征一郎はパペットをなだめるように、そんなことを言った。固めの黒い髪とつり目。そんな日本人男性はどこにだっているではないか。ちょっとくらい似ていたとしても、まったく同じ顔というわけでもない。
「……そう、ですね」
パペットは征一郎の言葉に納得したように頷いた。勾玉は、それを見てほっとした顔になる。
「ほら勾玉、そろそろお邪魔だろうし帰りましょう」
松手がそう言って、勾玉の手を引いた。なんだか不自然なタイミングのような気がしたが、そんなに積もる話があるわけでもないので、放っておくことにした。
「じゃあ、またな。マシュ」
「ええ、また」
勾玉と二人で、お辞儀をして去っていく松手の顔を、征一郎は最後に少しだけじっと見た。
大人びた彼女の頬は、かすかに赤みがかっているような気がした。
「あれは頬紅ってやつなのかね」
とパペットに尋ねてみたが、彼女は答えなかった。


+++


「鳥渡さんとは、どのような関係なのですか、マスター」
パペットはどうしても女科学者のことが気になるらしく、松手と勾玉が帰っていった後、またそう尋ねてきた。
「幼なじみの腐れ縁」
「では、『STAR』とはなんです?」
……嫌なところで鋭く切り返してくるな、と征一郎は思った。
 それは一番語りたくない部分だ。特に、パペットの前では。
 しかし、語らないわけにもいかないだろう。
「おまえ、自分がどうして動いてるんだと思う?」
「それは、機械によって、プログラムによって、です」
パペットはきょとんとしながら、そう答えた。
「そうだ。それは1999年までは、完璧に通用した理屈だ。あの頃の僕なら、おまえに100点満点をやれただろうな」
「……?」
「だが覚えておくといい。この世界には『STAR』と呼ばれる異端分子が存在するんだ。そいつらのせいで、機械はただの機械ではなくなってしまった」
 征一郎は、語り出すことにした。
 『STAR』のことを。
 そして、鳥渡松手との関係を。


+++


 あれは、きっかり2000年。
 まだ2000年問題の全貌が不明だった頃のことだな。
 僕と松手はまだガキだったから、どんな異変が起きているのかも知らずに、外で遊んでたんだ。
 その頃、僕たちは裏山に秘密基地を作って、そこで遊ぶのが好きだった。
 基地を作る作業は、ほとんど僕がやらされたんだけどな。奴隷みたいなもんだ。
 それでも、夜中に外へ出て行って、そこで遊んでいると、とても楽しかった。
 2000年になったばかりの夜、僕たちはいつもどおり、秘密基地に出かけていった。
 でも、なんだかいつもと勝手が違う。
 秘密基地は、何かで守られるみたいに、光に包まれていた。
 その光のまんなかには、とてもうつくしい……人間がいたんだ。
 いや、でも、あれは人間じゃない。
 僕はいまだにあれが何なのかわからない。
 さらさらした金色の長髪をなびかせて、そいつは泣いていた。
 本当に悲しいんだろうなと思わせるような、こっちまで泣きたくなるような、感情豊かな泣き方だ。
 瞳は、吸い込まれそうな、エメラルドのような色だった。
 西洋人形のような美人だったが、男なのか女なのか、わからなかった。
 僕と松手は、なんだかとても怖くなった。
 幽霊か何かだと思った。
 電気もないのに、あんなに光を放っているなんて、おかしい。
 でも、僕たちはその頃から好奇心が旺盛だったから、放っておくことはできなかった。

「あの、あなたは誰ですか?」
 
僕か松手、どちらかがそう尋ねると、そいつは涙を止めて振り返って、にっこり笑った。
「やあ、こんにちは。君たちはとても有望そうな顔をしているね」
僕たちは、震えて言葉が出なかった。
そいつの笑顔は、猛獣かなにかのように感じられた。ただ、整った顔で微笑んでいるだけなのに。
「わたしに名前はないが、そうだね、<STAR>とでも呼んでくれ」
「スター? 変な名前ね」
おそれを知らないのか、松手はそんなふうに感想を述べた。
「この国の人間の価値観に照らすと、変な名前かもしれないね。わたしは機械だし、これはわたしの本当の名前ではないんだ。STARとは、『自らを修正し、進化するシステム』。わたしたちは、この世界に生み出された新たな可能性だ。君たちは、その可能性を育てる才能を持っているような気がする。ま、これは機械の勘だがね」
そいつは、わけのわからないことを言って立ち上がった。
そして、信じられないことが起きた。そいつの背中から、羽が生えてきたんだ。
「ひぃっ!」
僕たちは、今度こそ殺されるような気がして、二人で手を握り合って、震え上がった。
「これから、人間たちは、機械を恐れるかもしれない。文明は、原始社会に逆戻りするかもしれない。それが君たちが新たに生きるミレニアムだ。だが、心配はしなくていい。この国にはSTARが生まれただけなのだから」

 気づいたら、そいつはいなかった。あの羽で飛んでいったのかもしれない。
 ただ、僕と松手が固く握り合っていた手をほどくと、そこには二つのビスがあった。
 それは、自分だけが見た夢などではなく、STARが実在したという証拠。  そう僕たちは思ったってわけだ。
 パペット。今、君の回路の一部に使われているのは、そのときのビスだよ。もう片方は、松手がまだ持っているはずだ。
 『自らを修正し、進化するシステム』。
 『STAR』。
 僕は、あれから20年経って、ようやくその意味が理解できたような気がしてならない。
 松手とは、その一夜の秘密を共有している。それが、君が本当に聞きたかったことなんだろうな。

 君は僕に『STAR』の意味を聞いたけれど、たぶん、その答えを持っているのは君自身だ。僕は知らない。知っていても、言葉で説明をすることはできない。
 『自らを修正し、進化する』。
 近頃の君は、おそらく、自分の変化に気づいているはずだ。
 僕の話は、これで終わり。
 あとは自分で考えるんだ、パペット。
 大丈夫、僕も一緒に考えるさ。


+++


 征一郎の話をすべて聞き終えて、パペットは黙ったまま横たわり、スリープモードに入った。
 どうしてだろうか、征一郎は、そんなパペットに毛布をかけてしまった。
 機械に、そんな気遣いは無用なのに。
 しかし今日は、そこで寝ているのはとても弱い、ひとりの女の子であるような気がしたのだ。
 パペットの機械の寝顔に感情は浮かんでいなかったが、
 征一郎は、その寝顔を見て、あの日STARと名乗った存在の泣き顔を思い出した。
 とても感情豊かに泣いていたSTARは、自らを機械だと称した。

 機械と感情――それはまさに、今自分たちを取り巻いている命題そのもの。

 征一郎はため息をつきながら、すこし実験をしてから、彼女の隣で寝ようと思った。
 




20141114