【 九月の雪 】



 鳥渡松手はいつのまにか秋が到来していることに気づいて、研究室のヒーターをつけた。こうした関係のない動作を挟むと、すこし脳がリフレッシュするような気がして、やる気が出る。なお、このヒーターはミレニアム前に実家で使っていた『骨董品』である。
 まだ九月の終わりだというのに、だいぶ肌寒くなってきていた。数年前の秋ならば、九月にヒーターを使うことなんて、考えられなかっただろう。昨今の異常気象は読みづらいな、と松手は思う。
 今日は部屋の備え付け機材を直しているので、勾玉は同じ空間で自由に過ごしている。実家とは別に自分で買った建物の一室はかなり広く、松手が自らの技術でもって稼いだ潤沢な資金の存在を物語っているようだった。広大な部屋のなかには各種機材や書籍などが綺麗に整理されて置かれており、彼女の几帳面な性格もよく表れている。

 松手が帰国し、幼なじみである巴征一郎に再会したのは、今年の夏であった。あれ以来、まだ征一郎に会っていない。会いたくないわけではないが、研究のスケジュールが押しているのである。征一郎からは、これといった連絡はない。
 あれから数ヶ月が過ぎ、もうすぐ十月になろうとしている。時の流れは早い。きっと、このまま征一郎に会わずに一生を終えることも可能なのだろう。征一郎にも、彼の元にいたアンドロイドにも、もっと会って話がしたいのだが、切り出す勇気がなかなか出ない。

 考え事をしながらヒーターの温度を調節していると、背後で軽い音がした。
 音を立てるなんてニンジャ失格だなと、松手はすこしだけ苦笑いした。
「……マスター」
勾玉が自主的に主人に話しかけるのは珍しい。新鮮に思いつつ、松手が振り返ると、困ったような顔の勾玉が立っていた。勾玉の表情を司る回路は非常に豊かだ。人間とまったく変わらない、わかりやすい表情をしている。ただ、彼のなかに本当にそういった感情があるのかどうかは、主人である松手にもわからない。彼女は昔見た『感情を持つ機械』らしきものの記憶を元に、それを再現しているだけだ。その者の名前はSTARと言って、征一郎と松手の人生を変えた存在である。

「何?」
松手ができるだけ優しい声音で尋ねると、彼はおずおずと言った。
「あのパペットというアンドロイドの言っていたことに、どのような意味があると、マスターはお考えですか?」
松手は絶句するしかない。
その問いに一瞬で答えられるほど、彼女の精神は鍛えられていないのだった。
パペットは言った。
勾玉の顔は、征一郎に似ている、と。
松手は、そんなことは、考えたことがなかった。
考えたことはなかったが、似ているのは本当だった。
考えずに、無自覚に、彼に似せてしまったということで――つまり。
「あの子は、とてもよくできたアンドロイドだったわね」
にこやかに笑いつつ、少しだけ話題を逸らした。勾玉は釣られて笑いながら、
「そうですね。まるで人間のようでした。とても、うつくしい」
話題をそらされたことには気づいているのだろうが、彼は透き通った口調でそう答えた。
松手は、感情を押し殺した声で言った。
「あなたは巴征一郎にとてもよく似た顔をしている。それについて、どんな感想を持つかしら」
勾玉は一瞬首を傾げて、「どんな……?」と繰り返す。よくできた挙動だ。本当に悩んでいるようにすら見える。実際には悩んでいないはずだ。次に言うべき言葉は、人間よりもずっと早く浮かんでいる。
「拙者は、自分の顔の原型として、マスターの幼なじみである巴氏の顔が用いられたものだと推察いたします」
「それだけ?」
「それだけです」
松手は、しゃちほこばった顔で意見を述べる勾玉の生真面目さに、思わず笑んでしまった。どうやらこのアンドロイドには、これ以上の思考へと飛躍する能力がないらしい。あるいは、仮説の段階では何も口にできないということかもしれない。
何にせよ、これが機械の限界なのではないかと松手は思う。
機械に感情を植えることは、難しい。
それらしいもの――松手はそれを『感情回路』と呼んでいるが――を植え付けられたとしても、それが本当に感情なのかどうか、今のところ、判断する術がない。
『人間っぽく振る舞うこと』と『人間になること』は違う。機械は人間にはなれないのだから。
そんなことを考えながら、松手は無言になってしまった勾玉に話しかけた。
「……なんとなくだけれど、あの子はあなたよりも優れたアンドロイドなのかもしれないという気がするの」
勾玉は、怪訝そうな顔になる。
「拙者よりも、優れている? アンドロイドに優劣があるのですか?」
「勾玉、あなたは善良ね」
松手は慈しむように言う。
「そんなあなたには、ちゃんと言ってあげるべきかもしれない。機械に優劣はないわ。お茶汲み人形でも、目玉焼き機でも、アンドロイドでも」
勾玉がほっとしたように息をついたのを確認してから、松手は言葉を継ぐ。
「ただ、アンドロイドには目指すべき到達点があるとわたしは思っている。あのパペットという子は、その到達点に比較的近い場所にいる。そんな気がしてならないの」
「拙者が目指すべき到達点とは、いったい何のことですか? どのように努力いたせばよいのですか?」
松手は、すこし背伸びをして、自分よりも背の高い勾玉の頭をなでた。
「あなたは何もしなくていい。そのままのあなたでいてほしい。この話をしたら、きっとあなたは頑張りすぎて壊れてしまうわ。それは、パペットという子も同じよ」
あなたはあくまでも、あなたのままでなければならない、と松手は付け加えた。
「これはブラインドテストのようなものだと思ってくれると嬉しいわ、勾玉。あなたはあなたであって、他のだれでもないということだけを、忘れないで」
「イエス、マスター」


 勾玉はもう、その話題について追及しなかった。
 追及しなかったのか、できなかったのかは不明だ。が、賢い彼はきっと、主人がその話を望んでいないということを察してしまったら、もうそのことは口に出さないだろう、と松手は思っていた。それは勾玉の得意とする処理、『気遣い』だ。気遣いは、感情の件には直接は関係がない。相手の望んでいることを感知して、そのとおりに動くという処理。人間には難しいが、機械には比較的たやすく実現できる。
 どこかの誰かに似たのか、あるいは作り手である松手自身が望んだのか。それはわからないが、勾玉はとても優しいアンドロイドに成長していた。人間よりも人間を気遣うことのできる機械。ひとつ間違えれば奴隷になりかねない彼の優しさは、とても怖いものだと松手は考えている。彼がその優しさを自覚したら、きっとスクラップになってしまう。
 彼のその穏やかなしぐさは、本来、機械には分不相応だ。
 幼なじみの顔によく似たフェイス、バカみたいなニンジャの装束、几帳面で一生懸命なしぐさ。ちぐはぐだが、すべてが最適な形になっていると、松手は自負している。
 どこまでがSTARの導きなのかはわからないが、松手はそんな勾玉の全部が好きだった。
 彼は松手の技術の結晶であり、誇りであり、はるか昔に打ち捨てた恋心の残滓でもある。

 機械は、永遠には生きられない。アンドロイドは繊細な機械だから、定期的なメンテナンスは必須だ。メンテナンスを欠かさなかったとしても、ある日突然壊れてしまう可能性もある。
 もちろん、人間だっていつ死ぬかわからないのは同じなのだが、ミレニアムの機械は特に動作が不安定で、いつスクラップになるかわからない。
 松手は、それがとても心配だった。ようやく手に入れた希望なのだ。
 STARのビスも勾玉のボディに使ってしまったし、これ以上の出来のアンドロイドを作ることは、もうできないだろう。
 作業の手を止めて勾玉の様子をうかがうと、彼は松手の反応を先読みして微笑んでいた。
 松手は思う。
 ああ、やはり、この子はとても優しい。残酷なくらいに、わたしの望むことをしてくれる。
 そんな彼のなかに人間と同じ感情がほんとうにあるのかどうかという真実を、松手は知りたくなかった。
 彼の中の『感情回路』とされている装置。
 それは感情を模しているだけの偽物かもしれない。
 もしそうなら、自分は――

 彼女は、悪い考えを打ち消して、勾玉に笑いかけた。
「いつもありがとう、あなたのおかげで、次の研究テーマに移れそうなの。ずっとわたしのそばにいてね?」
「勾玉は、いつだってマスターのおそばにおります」
 それを聞いて、どうしてわたしはこんなに泣きそうな気持ちなのだろう、と松手はひとりごちた。
 研究室につけられた小窓から外を見ると、信じられないことに、雪が降りはじめていた。
 九月に雪が降ったその日――松手は、自らの作ったアンドロイドとともに、外へ散歩に行くことにした。
 勾玉はたいそう嬉しそうに外を走り回って、そんな彼を見ていると、とても満たされる気がした。
 

20141205