DevilMaster

第二幕 「技師はお腹をすかせている」

 パーティ会場には、さまざまな年齢・立場の科学者が集まっているようだった。
 人々の目の前には、たくさんの巨大なテーブル。その上に、ありあまるほどの豪勢な料理が並べられている。が、そんなものに目を向ける人間は少ない。
 なぜなら、きょうの主役はすでに、壇上に上がっていたからである。

「やあ、みなさん。本日は、お越しいただきありがとうございます。さっそくですが、わたくし、飽間めがねは、本日をもちまして、隠居させていただくということをここに宣言いたします」
うら若き科学者は、そう言って軽く礼をした。
 オーディエンスがざわめきを増す。
「おい、聞いたか、松手」
 タキシード姿の征一郎は、隣にいる松手に向かって震える声で問いかけた。
「ええ」
 ドレス姿の松手は、同じく動揺を隠せない様子で、口に手を当てた。
「あの"デビルマスター"飽間が引退とはね。これで、ミレニアムの謎の解明がまた遠のいたと言えそうね」
 壇上で悠々と立っている飽間は、ざわめく科学者たちには目もくれず、また話しだした。
「ミレニアムの科学と戦う皆さん。わたくしは、あなたがたの勇敢な戦いぶりに敬意と祝福を送ります。しかし、あなたがたの仲間として戦うことは、今後いっさいやめようと思うのです」
「どうしてですか! 飽間博士は、われわれの大切なブレーンではありませんか!」
 聴衆である科学者たちは、納得ができずに泣き叫ぶ。まあ、そうだろう。征一郎も、飽間の実績はよく知っているだけに、まだ若い彼女が引退を表明するなど、到底信じられるものではない。
「ブレーンだなんて、買いかぶりすぎですよ。わたくしは、単なる賭博者の一人にすぎません。あなたがたと同じね」

 飽間めがね、通称"デビルマスター"。「アクマ」という特徴的な姓と、これまでに残した多くの業績にちなんで、彼女はそう呼ばれている。ミレニアムに巻き起こった機械と科学の反乱は、悪魔のような狡猾さで人々を恐怖させた。そんな折、悪魔すらも飼いならすように、天才賭博者・飽間めがねは数々の有益な論文を発表した。予測が困難なミレニアムのものづくりにおいて、どのようにすれば効率的な機械生産が行えるか。ミレニアム以前に製造された機械を壊さずに使うにはどのような管理が必要か。現在、世界が混迷せずに回っているのは、飽間が、ミレニアム以前に製造された骨董品をリペアして使用する画期的な技術を発表したからである。たいていの賭博者は彼女の恩恵を受けていた。そんな飽間が前線を退くとなれば、今まで彼女に頼っていた賭博者たちは困惑するに違いなかった。

「みなさんがミレニアムの惨状を例えるための物語として、CDプレイヤーの寓話がありますね。知らない方もいるかもしれないので、わたしが改めてここでお話しましょう」
 飽間はマイペースに語りだす。その悠々とした自由な生き方が、彼女の特徴でもあった。
 彼女は、他人と協調することをよしとせず、ずっと孤独に生きてきたという。
 孤独であることを苦に思わず、あくまでも自分らしく生きた結果が、彼女の実績の数々なのだともいわれている。
 飽間の隣では、彼女の作ったアンドロイドが、胸を張って立っていた。この会場のセッティングから、飽間の個人的な世話、スケジュールを管理する秘書の役割まで、飽間に関するすべての雑用をこなす、女性型のアンドロイド。あまり感情を表に出すことはないらしく、無表情なままで立ち尽くしている。
「あるところに、CDプレイヤーを作りたいと願う技師がいました。彼はCDプレイヤーを作るのが仕事なのです。しかし、ミレニアムの世界では、彼のような技師がプレイヤーをつくろうとすると、なぜか目玉焼きを焼くための機械が生まれてしまったりする。設計図と完成図が明確に食い違う。本来ならば起こりえない事象が起きてしまう。これがミレニアムの矛盾した科学です。そうですね?」
 科学者たちは、小さな声で「そうだ、そのとおりだ」と言い合った。
「このような魔法めいたものを科学と呼ぶのは、旧世紀の科学者であるみなさんにとっては屈辱かもしれませんね。しかし、わたしはこの物語に対し、ある疑問を投げかけます。どうして、彼は目玉焼きを焼く機械を生み出してしまったのだろう?とね。ミレニアムの機械制作に慣れたみなさんは、こう答えるでしょう。『理由なんてない、ただ無数の可能性の中からランダムに選ばれた結果なのだ』と。しかし、本当にそうなのかどうか、わたしは疑問に思っているのです」
 征一郎は首を傾げる。ミレニアムの科学はランダム性を持つ魔法である。それが通説だ。
 飽間は、ミレニアムの常識そのものをひっくり返そうとでも言うのだろうか。
「わたしは、彼の生活を想像しました。音楽を聞くための機械として、CDプレイヤーというのは、もはやメジャーではありませんね。それを作る仕事をしている彼は、はたして裕福でしょうか。裕福ではないと思います。そもそも、ミレニアムの機械制作という仕事自体が、貧しく先の見えない仕事であるということを、みなさんはもう知っていますね。飽間や巴といった財閥グループならば別の事業で稼ぐことも可能ですが、機械一本で食べていくのは茨の道でしょう」
 自分の名字を呼ばれた征一郎は、肩をピクンと動かして反応した。確かに、巴グループは裕福である。息子である征一郎が、セクサロイドなどという娯楽に興じていられるのは、一生遊んで暮らしてもまだ余るほどの金を、巴という家が有しているからに他ならない。もちろん、征一郎は賭博者である自分にある程度の誇りを持っている。が、近い将来、巴グループの跡継ぎという重々しい仕事に就かなければならないのも、また事実なのだった。
「……貧しい機械技師である彼は、CDプレイヤーを作りながら、何を思っていたか。わたしは、こう考えます。彼はお腹が空いていたのです。生理的、肉体的にもっとも優先されるべき欲求。人間としてもっともいやしく原始的な欲。彼に目玉焼き機を作らせたのは、"食欲"ですよ。」
 ――征一郎は、嫌な予感に震える。
 ミレニアムは科学者の希望を叶えない。技師の期待を裏切る。それが常識だった。
 しかし、自分と鳥渡は、すでに希望を叶えているのである。自分の理想のアンドロイドという希望を。
 本来ならば、非常に実現の確率の低いアンドロイド制作に成功している人間が、ここに二人いる。通らないはずの希望が通っている。それは、どうして?
「カリカリに焼いたベーコンに、白身の部分を多めに焼いて、黄身の部分だけを半熟で仕上げた卵を載せて。それを焼きたてのパンと一緒に食べたい。そう思うことは、わたしにはよくありますよ。特に、徹夜で機械を作り上げた後などにはね」
 飽間の語る目玉焼きの話は、妙にリアリティがあって、これまでの話とは切り離されているような気がしてならない。
「わたしが今述べたような物語を裏付ける証拠は、残念ながらありません。ただ、ミレニアムの機械制作について、興味深いデータがあります。われわれは機械制作について、完全にランダムな結果が出る博打であるという共通認識を持っていますが、これについて、とある大学の教授が妙なことを言うのです」
 飽間が両手を広げて演説をするようなポーズをとったので、征一郎はすっかり聞き入って、前のめりになった。
「たとえば、飽間の研究所においてですが、1000人の技師が実験をしてデータを採ったことがあります。飽間の研究所に勤めている人間は、ジャンルはバラバラ、生活形態や性別もバラバラ。できる機械も完全にバラバラで、ランダムな結果が出ているとしか思えませんでした。まるで悪魔のお遊戯のよう。みなさんの研究所でもそうですね。しかし、われわれのようなプロの機械技師ではない、大学に通う見習い技師たちの機械制作演習を行っているE教授の話によれば……大学の実習において、出来上がる可能性が非常に高い種類の機械が一つあるというのです」
 さて、何でしょう?と飽間は問いかけたが、答えを待つ間もなく自分で解答を提示した。
「このような公共の場でいうことははばかられますが、彼らの生み出す機械のおよそ4割が、セクシャルなグッズなのです」
 征一郎は思わず、パペットの方を見てしまった。
 彼女は落ち着いた様子で話を聞いている。なんら妙な部分はない。
 征一郎は平静ではいられない。
 先ほどまでは、飽間の話なんて、自分には関係ないことだと思っていた。
 しかし――もしかして、これは征一郎の話なのではないか?
 征一郎の、物語なのではないのか?
「わたしの言わんとしていることがわかりますか? 年頃の素直な男子の比率が非常に高い機械系の大学において、機械制作演習でセクシャルなグッズが多く生産されている。彼らはそのようなものを作りたくて作っているわけではない。当然、教授にも、クラスメイトにも、馬鹿にされてしまいますからね。もちろん、これは正式なデータではありません、大学の教授が言っているだけの、噂のような段階です。ですが、われわれがぶち当たっていた壁を打破するためのヒントにはなりそうな気がするのです」
 空気がざわざわと震えてるように思う。
 飽間の引退という非日常的なイベントに、このような不可解でいかがわしい物語が加わって、聴衆は困惑している。
 どう反応したらいいかわからない、と言いたげに、みなの視線が揺れていた。
「そもそも、われわれがデータを採取できる観測範囲は非常に狭かった。ミレニアム以降、科学の信用が落ちると同時に、科学者は減少し、統計的に正しいデータがとれるほど良質なサンプルがないのが現状です。これからも決定的なデータを採取することは不可能でしょう。わたしが引退を宣言するのは、この世界には未来が見えないからです。賭博者は賭博によってしか生き残れない。その現状が嫌なのです」
 この世界には二種類の賭博者がいる。賭博を好むものと、好まないもの。賭博を好ましく思う賭博者たちは、現状に対してフラストレーションを感じづらいだろう。世界はこのままでいい、と思っているかもしれない。
 それと比べて、科学を愛し、賭博を憎み、ミレニアムを心底軽蔑する、まっとうなサイエンティストにしてみれば、こんなにひどい地獄はない。科学の決定的敗北。論理の破綻。屈辱的な実験結果。
「わたくしの言いたいことはこれくらいです。まじめな科学者のみなさん、どうか心を折らないでください。そして好戦的な賭博者のみなさん、あなたがたもミレニアムの科学を担う大切な人員であります。わたしのように、世界を見捨てないでください。以上です」
 飽間はそれだけ言って、さっさと壇上からいなくなってしまった。征一郎は、彼女の長い演説にはなんら感動する要素がないと思っていた。大学の実験結果の話のときには心が動いたものだが、しかし、そんな曖昧なデータは信用するに足りない。CDプレイヤーと目玉焼きの話だって、単なる憶測、当てずっぽうの論理ではないか。
 そもそも、征一郎はまじめな科学者ではなく、駆け引きが大好きなギャンブラーでもない。
 いわば道楽的趣味の延長でこのような場にいるのであり、彼女たちの深刻な心情には縁がない。
 だから、去っていく彼女の凛々しい後ろ姿よりも、彼女の後ろをちょこちょことついていくアンドロイドの姿を注視していた。
 秘書用アンドロイド――飽間自身が自らの世話をさせるために創りだした究極のアンドロイド。その無機質な瞳は、いったい何を見、何を思うのだろう。



20160125

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