DevilMaster
第三幕 「気味の悪いガラパゴス」
先ほどの助手アンドロイドの表情を思い返しつつ、征一郎はパーティ会場の廊下を歩いていた。
勾玉や松手、パペットはまだ会場に残って談笑しているようだ。征一郎はもうすでに疲れている。あんな場所にいつまでもいたくはない。彼が『巴のおぼっちゃま』であることに聴衆が気づかないうちに、さっさと会場から逃げ出してきた。
幸い、廊下には誰もいない。とても落ち着く。
そんなことを考えて歩いていると、前方から女性が歩いてきた。
ドレスではなく、パンツスタイルのスーツ。
パーティのさなかにありながら、非常に合理的なファッションのその女性は、パーティの主役たる飽間であった。助手のアンドロイドは一緒ではないらしい。
征一郎の視線に気づいて、彼女は優雅に微笑む。人生に余裕のある人間特有の表情だ。
「ごきげんよう、巴さん」
自分の名を呼ばれて、征一郎は驚く。
「こんにちは、飽間博士。僕のことをご存知なので?」
「ええ。巴財閥の御曹司ですし、それに……」
彼女は何かを思い出すような素振りをした。
が、それ以上は何も言わなかった。
「それに、何です?」
「いえ。何でもありません」
妙に歯切れの悪い言い方だと思った。彼女のハツラツとしたイメージに合わない言動だ。しかし、それについてどうこう言えるほど親しい間柄ではない。
どこかで会ったのだろうかと征一郎が考えていると、彼女は真剣な眼差しで、彼の方を見た。
「巴さん、あなたに問いたいことがあります。答えていただけますか」
「何でしょう。僕のような放蕩息子に答えられるとも思えませんが」
謙遜ではなく本心である。飽間が知らないことを、征一郎が知っているはずがない。
機械の反乱に立ち向かい、この世のすべてを見通そうとした天才科学者、飽間めがね。
財閥の重圧に耐えかね、できるかぎり自堕落に生きようとする巴征一郎。
どちらが優れているかなんて、一目瞭然だ。
征一郎の言葉にはかまわず、飽間は語りだす。
「巴さんは、アンドロイドを連れていましたね。あの子は、どんな子でしょう?」
征一郎は息を呑んだ。
先ほどまで、飽間の演説の内容にはほとんど興味がなかった。
彼女の話は、何らかの真実に肉薄していたような気もするが、データの信頼性が希薄で、具体性にも欠ける。
それよりも、彼女が連れているアンドロイドのほうが印象的だった。
冷徹で、どこか悲しい瞳をした女性のアンドロイド。
まさか、飽間のほうも征一郎とアンドロイドを視界に捉えていたとは。
征一郎は軽く笑って、こう答える。
「飽間博士にわざわざ語るほどのアンドロイドじゃありません」
「語る必要のないアンドロイドなどいませんよ。彼らはみな、その背に星を背負っているのですからね」
「は……?」
今、彼女は何と言った?
嫌な予感がしたが、とにかく、飽間の問いかけにきちんと答えなければならない。征一郎は早口で言う。
「あいつの名前はパペット。生意気で口の悪い女ですよ」
「そうですか、かわいらしいお名前。ついでに、わたしのアンドロイドも紹介しましょう」
飽間は、にっと口を閉じて笑った。嫌な笑いだ。なぜだろう、とても凶悪な笑みだと思う。直視できないほどに。
「あの子の名前はレンズ。飽間レンズといいます。わたしのすべてを預けられる素敵なアンドロイドですわ」
コツコツとヒールを鳴らして、彼女はその場でターンした。
彼女らしくない、意味のない動作だ。玩具を前にはしゃぐ女の子のような、原始的な動き。
「ね、巴さん。想像してみてください。携帯電話を操作しながら歩いている人っているでしょう。そういう人を見ると、どういう気持ちになりますか?」
「何です、いきなり?」
征一郎の困惑に構わず、彼女はにこにこ笑った。
「悲しい気持ちになりますね。そのまま電車のホームに落ちてしまう人もいるのに」
飽間は両手を大きく広げて、飛び立とうとする大鷲のようなポーズをとった。
「事故でも起きたら、後悔するのはその人ですわ。わたしは、そういうとき、わざとその人にぶつかるんですよ」
悪魔的な微笑を浮かべた彼女が言う。
征一郎はぎょっとしたが、彼女は淡々とつづける。相変わらず、はしゃぐ女の子のような声で。
「その拍子にこう言うのです。『あら、携帯電話の画面を見ているせいで、人にぶつかるなんて。恥ずかしい方』。そんなふうに指摘すると、真っ赤になって去って行かれるのですよ。きっと、これからは気をつけてくれるに違いありません」
「そんなことをして、ウサを晴らしてでもおられるのですか? 飽間さん」
征一郎は、その問いかけが間違っていることを知りながら、問わずにはいられない。
気味が悪かった。
飽間は、歩きながら携帯電話を触っている人間にイライラしたからとか、怒りを感じたからとか、そういった負の感情で危害を加えるのではないのだ。ただ、その人の今後を思って、善意で彼らに接触する。怒りで動く人間よりも、善意で動く人間のほうが、少なくとも征一郎の感覚では不気味で奇妙である。近寄りたくないと強く思う。
飽間は自分のポケットから、ピンク色で小ぶりの携帯電話を出して、にこにこ笑ってみせた。
ミレニアム以後の携帯電話は、たいてい二つ折りの形をしている。日本独自の文化として発達したらしい『ガラパゴス携帯』と呼ばれるものだ。携帯電話の効率的開発が困難となった西暦2000年の時点で、携帯電話の発達は止まった。結果として、ほとんどの人間が、骨董品としての『ガラパゴス携帯』を大切に使用している。どうやら、彼女もその一人であるようだ。
携帯電話をゆらゆら揺らしながら、飽間は問う。
「相手の答えがわかっているのに質問をするのは、卑怯だと思いませんか? 巴さん」
「質問に質問で返すのも、不誠実だと思いますけどね」
脈絡がない、相容れない、気持ちが悪い――征一郎はそう思う。確かに、飽間の実績は素晴らしいものだし、征一郎もその恩恵には預かっている。だが、彼女がなしえた実績と、彼女の人格は切り分けて考えるべきである。このような人間と自分が会話すること自体がストレスのもと。早めに退散するに限る。そう決断して、征一郎は作り笑いをした。
「あ、ちょっと俺、ツレを待たせてるんで。このへんで失礼しますね」
「……そうですか。ではまた」
飽間は征一郎を引き止めなかった。彼女に背を向けて、廊下の先へと歩む。
――以前にどこかでお会いしたことがありますか?
少し迷ったが、その問いかけは、口に出さずにおくことにした。
征一郎は、人間関係に対してわがままである。自分でもそのことはわかっている。
自分と合わない人間とは話したくない。
軋轢を生む前に退散したい……いつだって、平和を願うがゆえに。
だから、もっとも"合わない"であろう飽間からは、早めに距離をとった。
賢明な処世術の一環として。
あのような圧倒的権威を持つ人間を敵に回したくないというのも確かにあるのだが、それ以前に人として噛み合わない決定的な違和感があるような気がする。
ただし、以前に会ったことがあるのではないかという疑念は、心の底に澱のようにたまっていった。会ったとして、いったいいつだろうか。仮に、大人になってから出会ったのであれば、忘れるはずがない。そのころには、彼女はすでに天才賭博者だったはずなのだから。つまり、征一郎の記憶に欠陥がないのであれば、彼女と出会ったのは、成人するよりも前ということになる。
そこで、征一郎の思考は止まってしまった。思い出せないのだ。もともと、自分の思い出にあまり執着のない彼は、どうしても飽間の姿を自分の記憶のなかから探し当てることができなかった。
20160218
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