DevilMaster

第六幕 「対峙」


 そこに広がっていたのは、地獄のような光景だった。
 床に散らばっているのは、アンドロイドの手足である。なにも知らない人間が見たら、人間の手足だと思ったかもしれない。ひとつひとつ、丁寧に、苦痛を込めるようにもがれたのであろう部品たちが、ゴミのように散らばっていた。
 アンドロイドの内臓ともいうべき駆動用の部品も、バラバラと床に置かれていた。几帳面な飽間博士の研究室だとは到底思えない惨状だった。
「あら。遅かったですね、巴さん」
 征一郎だけを視界にとらえて、飽間はそう言ってにこやかに笑った。
「これは……これは、どういうことなんですか!?」
 飽間を怒鳴りつけたのは、松手だ。
「これ、あなたの秘書アンドロイドですよね。どうして、このような虐待をなさるのです。実験……ではないですよね」
 飽間は、自らの手のなかにアンドロイドの首を抱いていた。パーティの会場で見かけたアンドロイドだ。半分崩れかかったような顔の首のなかから、彼女は血管のようなコードをぐっと引き抜く。首の表情が苦痛で歪み、目が見開かれた。目の前で行われた暴虐に対し、う、と吐き気をこらえるように口に手を当て、松手がうずくまる。勾玉がそんな松手の隣であたふたとしているのを、征一郎は横目に見ていた。
「これは実験ではありません。……趣味です。業、とでも言い換えましょうか」
「ずいぶんな趣味をお持ちですね。僕も吐き気がしてきそうだ」
 征一郎が震える声でそう言うと、飽間は呆れたような顔をした。
「あなたならわかってくださる……わたしは、そう思っていたんですけどね」
「あなたが僕の何を知っているっていうんです? すくなくとも、僕にはこんな趣味はありません」
「でも、似たような趣味はお持ちでしょう? アンドロイドはいつだって、確かなものをくれますからね。やみつきになってしまいそうなほど」
 似たような趣味――と言われて、征一郎は反論することができなかった。アンドロイドを享楽のために利用しているのは、自分も同じなのだ。そこには、何の違いもない。
「わたし、不確かな人間に接することがとてもストレスなのです」
 飽間はにこにこと快活な笑顔で、そう語った。
「コミュニケーションが難しいからではありません。他人が怖いというわけでもありません。ただ、確かなものがほしい。不確かなものはほしくない。それだけなのです」
「……だからって、こんなことは許されませんよ。公表すれば、問題になります」
 いつのまにか体勢を直した松手が、身を乗り出して、語気を荒げた。隣で、勾玉も頷く。
「公表すれば問題になる? 公表しなければ、何の問題もないのに?」
 飽間のその言葉は正しい。アンドロイドの虐待を公表すれば、飽間の名前には傷がつく。しかしそれは単なる醜聞であって、犯罪の経歴が残るわけではない。罪を犯していない人間に対し、嘲笑や虐待を繰り返すのが世間のあり方だ。
 飽間は何一つ、悪いことはしていない。征一郎は、この惨状を前にしても、そう思っている。
 バラバラに解体されたアンドロイド。おそらく痛覚を持って暴虐を加えられたのだろう、歪んだ表情を浮かべた生首。しかし、それらは罪の証ではない――。
 罪とはなんだろうか? 国家が法に定めたもののみが罪であるとするならば、飽間のしたことは罪ではなかろう。法に定められていないものを罪と認め、罰を下す――それは、ただの私刑ではないか。飽間のしたことを世間に公表するということは、自分の手を汚さないまま、飽間に私刑を下すということだ。世間が彼女を勝手に裁くということだ。そんなことが、ほんとうに正義だろうか?
 個人の道徳によって罪を決することは危険である。道徳とは、個人の偏見の一形態でしかなく、万人にとって同じ形をしていない。
「鳥渡さん。わたしたちは、非常に不完全な議論をしていますね。低レベルだと言わざるを得ません。巴さんはそれをわかっているから、黙っているのでしょう?」
「そうなの? 征一郎」
 松手は不安そうに征一郎を見た。
「低レベルだとは思わないが、僕は公表するのには反対だ」
 松手から征一郎へ、バトンが渡された気がした。
 松手の視線を受けながら、征一郎は語り出す。
「アンドロイドの虐待は、罪ではない。罪を犯していない者を晒し者にしてリンチするなんて、趣味が悪い。もちろん、自分で創りだした人型の機械を虐待するのも、趣味が悪いと思うがね」
「わたしは趣味が悪いとは思いませんね。人型の機械を人として愛玩するほうが、趣味が悪いです」
 飽間は涼しい顔だ。彼女は自分に疑問を持っていないのだろうか。疑問を必死に打ち消すために、そういう態度をとっているようにも見えるが。
「だって、そうでしょう? 人間の形をしたものをつくり、自分の好き勝手な姿に変え、それを愛する。そんなのは、自慰と同じですね。わたしはそんなものを愛とは呼びません。それは、自己愛ですよ」
「あなたのような人に、そんなことを言われたくありません!」
 隣で聞いていた松手が、急に激昂した。なにか、彼女の気に障るような内容でもあったのだろうか。飽間は冷静に、片手で松手を制する。
「鳥渡さんは黙っていてください。巴さんのお話が聞きたいのです」
 松手は顔を真っ赤にして、うつむいた。征一郎は嘆息しながら、こう吐き捨てる。
「そうだな。飽間博士。あなたの言うことは正論だと思うよ」
「征一郎!」
 松手は悲痛な声をあげる。征一郎はひとまず彼女を放っておいて、こう言った。
「でもな、正論で他人の嫌悪感を止めることはできない。たとえ犯罪ではなくとも、痛覚を植えつけたうえで機械を虐待するあなたの行為、心の底からおぞましいと思う」
「そうですか。あなたならば理解してくれるかもしれないと思っていたのですが。ミレニアムの『壊れた機械』、あの者に触れたあなたならば……」
 ぼそぼそと、意味の通らないことを言う飽間。征一郎には、その意味が何となくわかるような気がした。が、現在、そのことはたいしたことではない。彼女が異様なサディズムに目覚めた経緯など、今はどうでもいい。経緯も、動機も、事象の前では意味を持たない。征一郎が話したいのは、ただひとつの事象だけなのだから。

「……待ってください」

 征一郎が声をあげる前に、違う人物が声をはさんできた。戸惑うように、全員がそちらを見た。
 部屋に入ってきてから、一度も発言していなかった、冷たい瞳をしたアンドロイド――パペット。
「さっきから、人間人間と、人間の視点でばかり話を進めて、屁理屈を煮詰めて――マスターをそのような醜い議論に巻き込むのはやめていただきたいものです」
 パペットはすっと前に進み出た。彼女のよく通る声が、部屋に響き渡る。
「法律がどうとか、倫理がどうとか、そんなことは、われわれアンドロイドには関係のないことです。ねえ、勾玉さん。われわれには感情回路ともいうべき、感情を模した機能がありますね?」
 急に話を振られた勾玉は、戸惑うように頷いた。
「え、ええ。そうですね。われわれは特殊なアンドロイドなので――感情に限りなく近い働きを持つものを体内に宿している、と聞いています」
「それと同じものを、そこの『彼女』も持っているはずです。彼女には自律した意思がある。そうでしょう?」
 飽間は黙って頷きを返した。パペットはそんな飽間をじっと見据えつづける。その目には確かな敵意がある。征一郎はそう感じた。
「アンドロイドへの暴力は、決して絶対悪ではありません。なぜなら、アンドロイドと人間とでは、暴力の概念が異なることがあるからです。たとえば、生きた人間の体を分解してバラバラにしたら犯罪です。アンドロイドならば、修理の際にはバラバラにすることだってある。体ごと新しいものに取り替えることだってある。アンドロイドには心や脳や心臓はない。ゆえに、人間に対する暴力を、アンドロイドに対しても暴力であると定義するのは無理があります」
 パペットは朗々とした声で語った。彼女がこんなふうに長々と話すのは、めずらしいことだった。
「しかし、アンドロイドへの暴力が、明らかに不当な暴力であると定義できる場合が、ワタシの知る限り、たったひとつだけある。それは、アンドロイドを作った人間が、アンドロイドに意図的に痛覚を植えつけた上で、過度な破壊行為に及んだ場合です。博士は、彼女に痛覚や感情を植えつけた上で、手足を切り離したり、部品を取り外したり、そんなことをしていたのでしょう。もちろん、彼女はマスターなのですから、創りだしたものに何をしても、実験という名目さえあれば許されるかもしれない」
 そこで一度言葉を切ってから、パペットはこう言った。
「でも、ワタシはあなたを許したくない」
「どうしてかしら?」
 パペットは、問いかけた飽間に対して、不敵な笑みを浮かべたような表情で、こう言った。
「博士は看過しがたい間違いを犯しました。嫌がる相手を自分の欲望のために利用したこと。信頼を裏切ったこと。相手の嫌がることをするのは、SMではありません」
 最後の言葉に、その場にいる全員が、何の話だかわからない、と言いたげにパペットを見据えた。ただ、征一郎と飽間だけがおかしげに笑った。パペットの言わんとすることは、どうやらそのふたりにだけは正確に伝わったようだった。
 飽間は笑いながら、パペットを見ていた。
「あなたがたはそういうつながりを持っているのですね。わたしとレンズとは似て非なるつながり……アンドロイドの意思の尊重という一点において、わたしと巴さんは異なっていたということ」
 パペットは頷いて、さらに一歩進み出た。
「博士は、巴征一郎――ワタシのマスターと自分は『似たような趣味』を持っている、と言いました。しかし、ワタシはそうは思わない。マスターはワタシの意思を第一に考えてくれていると思います。博士はアンドロイドの意思を意図的に無視した。おもちゃを壊して遊ぶ子供と同じです」
「それを一緒くたにされるのは我慢ならない。あなたはそう言いたいのね? パペットさん」
 飽間の声音は優しかった。何か企んでいるのではないかと思い、征一郎は緊張したが……どうやら、その心配はなさそうだった。
「では、あなたは何を望む? あなたも、わたしのことを世間に公表する、というかしら?」
「そんなことは望みません。ワタシが望むのはただひとつ……あなたが抱いている『彼女』の望みを聞いて、それをそのまま叶えてあげること」
 静まり返った部屋のなかで、パペットは飽間の目の前に立った。そして、飽間にはまったく視線を合わせぬまま――飽間が抱いている首に向かって話しかけようとする。
 先ほどまで、人間同士の議論ばかりを重ねていた征一郎、松手、飽間の三名が、決してやらなかったことだ。それを、迷うことなくパペットはやってのけた。
 そのことに、とても深い意味がある――征一郎はそう感じたのだった。
「あなたの望みを教えてください。あなたは、何を望んでいますか? ワタシはそれを叶えます」
 まるでパペットではないかのような、優しい問いかけだった。征一郎はもちろん、松手や勾玉も、そんな穏やかな彼女の顔を見たことはなかった。まるで母親のように、パペットは首を慈しむように見ている。
「わたしは、わたしは……消えたいわ」
 首はそう言って涙を流す。偽物の涙とはいえ……飽間は彼女に涙を流す機能をつけていたのだ。征一郎はそのことにとても驚いた。
 そして、彼女が『消えたい』と口にしたことに対しても、驚いた。いくらSTARのビスに基づく感情回路が実装されているとはいえ、マスターの意向にそむくような感情をアンドロイドが抱くことはまれである。それほどまでに、飽間が彼女に与えた暴虐は大きかったということなのだろうか。あるいは、『消えたい』という気持ちは、感情回路による偽物の感情ではなく、暴虐によって引きだされた、ほんものの感情なのかもしれない。
「こんなところにはもういたくない……消えたい」
 そう言って、震えながら動作を停止した首に、パペットは優しい言葉をかけた。
「そうですね……今は、ここから消えるのがいい。こんな主人の元からは、いなくなったほうがよほどいい」
 数分間の静寂ののち、飽間はぽつりと言葉を落とした。
「全員、この部屋から出ていってください。この子とお話がしたいの」
 先程までの毅然とした彼女とは違う、弱々しい口調だった。
 征一郎と松手、そして勾玉とパペットは、彼女に言われたとおり、部屋から出ていった。
 バチッ……!
 全員が部屋から出たあと、かなり大きな、電気による破壊音が響いた。おそらく、先ほどのアンドロイドが命を絶たれた音だろう。
 もはや、飽間とアンドロイドの安寧のためには、こうするしかなかったのだ。
 飽間はおそらく、こういうことになると最初からわかっていたはずだ。パペットの意見を素直に受け容れたのも、意見に納得したからというより、最初からパペットの言葉を待っていたからなのだろう。人間のエゴではなく、アンドロイドの生の言葉を、聞きたかったのだろう。征一郎はそんなふうに思う。飽間は、ビスをエサにして征一郎たちを呼び寄せ、自分のアンドロイドとの別れのきっかけを作りたかった。暴虐の終わりを始めたかった。自分の業から解き放たれたいと、願った。引退を決意したということと、アンドロイド虐待の件は無関係ではないのだろう。彼女はずっときっかけを探していた。自分の歪んだ道筋を修正するきっかけを……。
 征一郎は、それから数時間が経過してから、単身で飽間の部屋に戻った。彼女に、ある頼みごとをするためだった。


20161129 RE: