DevilMaster
第七幕 「デビルマスター」
飽間めがねは名前の通り、飽きる間もなく勉強をする勤勉な少女だった。
両親は非常に厳格で、少女が勉強ばかりしていることを喜ぶと同時に、少女に勉強以外の娯楽を一切与えなかった。
それゆえ、彼女は健全な少女時代を過ごし、秀才として名を馳せることとなる。
しかし彼女の生涯には、いくつかの重要なほつれがあった。
糸が一本ほつれた状態の精神は、そこからするすると簡単に瓦解し、形を失っていった。
飽間めがねのほつれの始まりは、彼女の人生のどこに存在していたのだろう――おそらく彼女が、何の不純物も存在しないような、厳しく清い家で育ったことに、何らかの発端がある。
十四歳の時点で全国トップクラスの成績を保持していた少女は、親が何か言わずとも、自然と勉学に励み、わがままも言わず、静かに育っていった。その育ち方は、さながら自動人形のようであったかもしれない。テレビを見ることも、漫画を読むことも、同級生と会話することもない。
そんな少女の人生には、一つだけ触れられていない禁忌があった。
両親も、彼女自身も、おそらくは死角になっていて気付かなかった。
十七歳になった少女は、性の目覚めというものを知らなかった。否、性というものが何なのかすら、彼女は知り得なかったかもしれない。保健体育や、その他の教科書に載っている、本質を捉えない上っ面だけの知識のみが植え付けられ、彼女は何も知らないままで、外界へと放り出されることとなる。教科書や辞書の知識なんて、何の内容も意味も持っていないのに。
後から考えてみると、彼女が道を踏み外す要因として、そんな性の未発達さが挙げられただろう。
もちろん、それだけで、彼女があのような凶行に走るとは到底考えられない。
もしも、そんな理由で人の精神が簡単に壊れるのだとしたら、世の中はもっと無秩序になっているはずだ。
めがねの精神が瓦解したもう一つの重要な原因は、彼女がある日聞いた、とある殺人鬼の逸話である。
悪名高き『ミレニアム』の後、機械の反乱とは別に、一つのニュースが世間を騒がせた。
奇しくもめがねと同い年であった少年による、ジェノサイド事件。
彼の住んでいた町で、一年間に二十人が死んだ。
男性も、女性も、子どもも、大人も、老人も……無差別に大量の人間が死に、最後に十七歳の少年が逮捕されたというこの事件。
容疑者の少年のことを、『壊れた機械』とマスコミが報じた。その語彙は、2000年以降ならではの、現代人らしい、残酷な語彙だっただろう。彼らは2000年からずっと、機械の故障を極端に恐れているのである。
ところで、めがねの心をとらえたのは、この事件において、被害者たちに性的な暴行の痕跡が見られなかったのにもかかわらず、現場には精液が残されていたという点であった。抜け目のない少年は、これ以外の証拠を一切残さなかった。逆に言えば、現場に精液を残すことさえしなければ、彼は捕まらなかったのだ。
聡明なめがねにしてみれば、このような愚かな証拠を現場に残す理由が理解できなかった。
もっと殺人がしたいならば、自身の体液など残すべきではない……直接的な性的暴行をしていないのなら、なおさらである。
不可解なことに、少年はバカではなかった。彼はめがねと同じく、自動人形のようにすくすくと育ってきた、『問題のない児童』であった。天才的頭脳、非の打ち所のない家庭、高貴な生まれ、冷静で優しい人格……本来ならば、めがねと同じフィールドに立ち、日本の未来を担っていたかもしれない人員である。道を踏み外すことがなければ――あるいは、殺人が発覚することがなければ――彼はおそらく、2020年の日本でなんらかの業績をあげていただろう。
そのような少年が、なぜ、かくも愚かで非効率的な行為に走ってしまったのだろうか。
十七歳の多感な少女は、このようなことを深く考えるべきではなかった。
彼女は、この犯人の思考回路に興味を持ち、最終的に、彼の気持ちを完全に理解してしまった。
飽間めがねは、この瞬間に性に目覚めた……少なくとも、本人はそう感じた。
犯人の少年は、人を殺す前に、まず近所の野良猫を殺していた。
そして、野良猫を殺したとき、生まれて初めての射精に至った、ということを、なかば興奮気味に語ったという。
彼もまた、めがねと同じく、性に目覚めていない十七歳だった。
少年は、猫を殺した瞬間に初めて、自らの性のありように気づいた。
後に出版された暴露本で、少年の供述が詳しく書かれたなかに、こんなフレーズがあった。
――他人を傷つけるのはとても気持ちがいい。
――もっと殺さなければ。
――もっと絶頂へ、もっと快楽へ。
――快楽のためには、殺すしかないのだから。
めがねという名の少女は、この少年に強い共感を抱いた。
秀才少女・飽間めがねはそのとき――純朴な少女の仮面を捨て、悪魔になった。
めがねには、十歳以上年の離れた妹がいた。
しかし、この妹の存在は、いつのまにか飽間家から消えてしまっていた。
現在、めがねは一人娘ということになっている。
妹はどこへ消えたのか――それは、めがねの両親のみが知っている。
十七歳の飽間めがねは、自らの性癖を確かめるべく、妹に危害を加えた。
その結果、彼女は確信を得た。
自分は、あの少年と同じ。
誰かの肉体を傷つければ、絶頂に至ることができる。
そんな『選ばれし人間』なのだ、と。
めがねの妹の名は「れんず」といった。
飽間れんずは、もうどこにも存在しない。
しかし、殺されたというわけでもないだろう。
すくなくとも、彼女が埋葬されたという記録はないのだから。
これは調査結果からの推測だが、おそらく、飽間れんずは、めがねの手で瀕死の重傷を負わされた。
両親はそのことに気づいたが、自分たちの誇るべき娘がそのようなことをしたことを認めたくなかった。
めがねの人生に傷をつけることは、彼らにとって、末の娘が死ぬよりも、忌避すべきことだった。
それで、瀕死の飽間れんずはなんらかの手段を持って家の外へ送られ、名前を変えられた。
現在、九州のとある村に、明日霧かがみ、と名乗る女性が住んでいる。
彼女の年齢は、飽間れんずと同じ。
そして、胸に大きな裂傷の跡があるという。
かがみには、幼少期の記憶がない。
ただ、とてもこわい目に遭ったことがあると語る。
そして、いまだに、他人の外見の「ある特徴」に異様な恐怖を覚えるという。
そのある特徴とは――眼鏡である。
どんな形であれ、眼鏡をかけた人間を見ると、明日霧かがみは体の震えが止まらなくなる。
それゆえに、彼女は眼鏡をかけた人間がほとんど住んでいない農村で、ゆったりと自適な暮らしを送っているのだった。
飽間れんずと、明日霧かがみが同一人物であるという証拠はない。
が、明日霧かがみの抱えるトラウマの正体は、おそらく飽間めがねという十七歳の少女であっただろうというのが、これらの客観的な事実に基づく推測である。
さて、飽間れんずは、この物語には直接関係がない。
明日霧かがみの小さな幸せを妨害しないためにも、れんずの話はこれで終わりにしたい。
この物語の中心は、飽間めがねである。
妹を自分の視界から消し去っためがねは、その後、科学者として歴史的成功を得る。
元来、頭が非常によかっためがねにとって、その程度の功績をあげることは、造作もないことだった。
彼女の専門分野は、アンドロイドをより自律的に動かすための回路の開発。『ミレニアム』の不自由な科学など物ともしないように、彼女は次々とその分野で新たな功績を上げていく。めがねの研究成果は、同じ『賢い賭博者』である『ミレニアム』の科学者たちにとって、大きな希望であった。もちろん、巴征一郎や鳥渡松手も、飽間めがねという人物には一目置いていた。
そんなめがねが、秘書として、見目麗しい女性型アンドロイドを連れているということは、世界的にも有名であった。
めがねの優れた技術を裏付けるように、そのアンドロイドは、秘書役を立派に務めている。
めがねよりもすこしだけ幼い、ちょうど十七歳くらいの少女の外見をした、そのアンドロイドの名前を報道陣に問われたある日の飽間めがねは、朗らかな笑顔でこう答えた。
「この子の名前は、レンズ。われわれ人間が見ている光を、この体で屈折させて、まったく別の場所に投影するために生まれた、人類の希望です」
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以上が、パペットが事前に調査した飽間めがねのデータに、パペット自身の主観による脚色と、すべてが終わってからわかった情報を加えたものである。世間の噂のような不確かな情報も含まれており、これが真実かどうかはまったくわからないし、そうした究明の目的で調べたものではない。単なる自己満足である。
あの後、飽間は引退し、今はどこでどうしているのか不明である。彼女が本気で隠居しようと思うならば、征一郎やパペットには探しだすことは難しいのかもしれない。
松手と勾玉はふさぎこみがちになってしまったようで、征一郎のところへは来なくなった。
そして、征一郎とパペットには、家族が増えた。
家族といっても、話すことも動くこともない、ただの『核』のようなものなのだけれど――
彼女の名前は、レンズという。飽間が回路を焼き切ったあとに残った破片を拾い集め、征一郎が再構成したものだ。かろうじて、アンドロイドとしてもう一度動かせそうな部品が残っていたので、飽間に頼みこんで、譲ってもらったのである。
「わたしにはもう必要のないものですから、あなたに託します」
飽間はそう言って、征一郎にその破片をゆだねた。征一郎には、飽間という女性のことは最後まで理解できなかったが……不思議と嫌うことはできなかった。自分と共通する心の弱さを、彼女のなかに見たからだろうか。
レンズは、機械のなかをふわふわと漂う光のような形として、生まれ変わった。今すぐにアンドロイドの形にしてやることはできないかもしれないが、いずれもう一度、人の形にしてやりたいと征一郎は思っている。これは、人間のエゴかもしれない。しかし、それでも、レンズをこのままにしておくことはできそうになかった。
「マスターらしいと思いますよ」
と言って、パペットは寂しげに笑った。その笑顔を見て、征一郎は自分の歩んでいる道が、飽間と同じく、歪んだ感情の上にあるかもしれないことを、再び考え直さなければならなかった。
20161129
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