天国へと転がり落ちた日


 もっと早く気がつくべきだったのかもしれない。征一郎は自分の愚かさを呪った。現在の状況を確認してみる。尻のなかでじくじくと快感を与えてくる異物、快楽を吐き出そうと暴れるペニス。全身を流れ落ちていく汗。悪寒。動揺で震える指先。
 そして、そんな状態で人ごみのなかを歩いている、自分。周囲の人々は気づいていないようだが……気づいたら通報されかねない。それは困る。
 ……ああ、どうしてこんなことになったのだったか。

+++

 始まりは、例の飽間の事件であろう。あれ以来、征一郎はふさぎこむことが多くなった。パペットと性的な戯れをする回数は、日に日に減っていった。飽間は言ったのだ――アンドロイドを人間として愛でることこそ、もっとも愚かな行いであると。機械は機械なのだから、機械として扱うことが正しいのだと。
 飽間の言葉は正しい。彼女がどんな罪人であったとしても、彼女の言葉が正しいという現実は揺らがない。機械を人間として愛するというのは愚かなことなのだ。そんなことは、征一郎にだって承知済みのはずだ。人間は人間を愛するべきだ。しかし……。
 
 パペットは、征一郎が落ちこんでいることが不満だったらしい。まあ、当然である。彼女はセクサロイド。セックスをすることが役目であり、それ以外に与えられた役割なんてない。もともと、そういう仕様なのだ。つまり彼女は『欲求不満』であったといえる。

 しかし――だからといって、こんなプレイが許されるものだろうか。
 今朝、目が覚めると征一郎は見知らぬ場所にいた。頭がガンガンと痛んだ。そこは廃屋だった。四畳半ほどの空間に、木材がいくつか転がっているだけの部屋。拘束されてはいないようだが、着衣が乱れている。そして……認めたくないが、肛門に異物が突っ込まれていた。抜こうとしても、余計に食い込むばかりで、体を動かすたびに重い異物感が広がる。

 いやいやいや。なんだこれ。自分は、ちょっとマゾヒストかもしれないと思ったことはあっても、野外でこんなプレイに興じるほどの豪傑ではなかったはずだ。となると、男性を狙うレイプ犯かなにかに拉致されたか? いや、拉致であるのなら、手足を拘束するなり、逃げられないような対策をとるはず。では、この状況はいったい……。

「マスター。お目覚めですか?」

 聞き慣れた声が、耳元で響いた。声の聞こえた方を見ても、誰もいない。
 そこで初めて、征一郎は自分の耳にヘッドホンがついていることに気がついた。もちろん、旧世代の遺物である。ご丁寧にも、小型のマイクがひっついている。

「これ、おまえの仕業か? パペット!」

 声の主を問い詰める。パペットは冷ややかに応答する。

「元気がいいですね。あんまり騒ぐと、人が来ますよ?」
「てんめえ……さすがに犯罪だぞ、これ。いや、アンドロイドに犯罪もくそもないけど……」

 飽間はアンドロイドを残虐に解体しても、罪には問われなかった。当然だ。アンドロイドは人間ではないから。
 逆に考えてみれば……アンドロイドが人間に暴力をふるっても、アンドロイドそのものは罪には問われない。裁かれることもない。作った人間が罪に問われるのみである。
 そんな法律の話はどうでもいいとして――パペットは、制御を失い、暴走しているのだろうか……これは、不具合か?
 征一郎は自分に問うてみたが、結論は出ない。

「廃屋は巴の家で不要とされていたものをお借りしました。ですから、不法侵入ではありませんよ」
「そういうことを言ってるんじゃねえ! なんで人をこんなところに拉致っちゃってるのかって話だ!」
「なんで?……理由が知りたいのですか、マスター?」

 そうやって平然と聞き返されると、逆に聞きたくなくなる。が、聞かないわけにもいかない。

「マスター、最近ご無沙汰でしたよね。マスターが欲求不満なの、知ってますよ。毎朝、マスターのが元気に上を向いてるの、ぜんぶ見てますからね」
「あれは生理現象だから欲求不満とか関係ねえ! 欲求不満なのはおまえの方だろうが! 僕は、べつに……」
「べつに、なんです?」

 ……欲求不満だと言われてみれば、たしかにそうかもしれない。ストレスで、処理回数が減っているからだ。女性ならともかく、男性の体は否応なく欲求が蓄積する。その証拠だろうか、排泄口に大きめの異物を詰め込まれているというのに、征一郎自身は硬くはりつめていた。まるで、現在の状況を喜んででもいるように――。

「くっそ、僕はこんなの認めない。認めないからな!」
「マスターが認めるか認めないか、そんなのはどうだっていいことです」
「僕になにをさせようっていうんだ?」
「難しいことは求めませんよ。そこから、歩いて帰ってきてほしい。それだけです」
「ここは……どこなんだ?」

 不安とともに問いかけてみると、パペットは淡々と番地を教えてくれた。どうやら自宅からそんなに離れた場所ではないらしい。ただ、ここから自宅へ戻るには、繁華街を通り抜ける必要があった。さらに、松手の家も近い。もし、彼女に見られたら……。そう考えるだけで、ぞくぞくしてしまった。

「いま、気持ちよくなっちゃいましたね、マスター?」
「やめろ。そんなことない。社会的に死ぬかもしれないから、怖くなった。それだけだ」
「ほんとうに、それだけ?」

 きょうのパペットは妙に強く絡む。いや、もともとこんなものだっただろうか。SとMというシチュエーションをなによりも大切にする彼女は、シチュエーションのただなかにある最中は、ノリノリなのだった。

「ふふ、お尻の穴をふさいで、歩いて帰るだけ。簡単ですよね。子どもでもできます」
「子どもはそんなことしないだろうよ……」

 呆れつつ、征一郎は廃屋を出る。そうだ。いくら異物が入っていたとしても、外から見たら、ちょっとよれた服を着ている程度。全裸で歩いて帰るわけではない。外見にはなんの異常もない……そんなの、簡単だ。一応、自分の全身を確認してみる。昨日から着ている長めの白衣。スラックス。汚れた眼鏡。ワイシャツ。うん、普通だ。目立つはずがない。
 大丈夫。落ち着いて帰れば、すぐのはずだ。
 と思ったのは、最初の百メートル程度だった。
 征一郎が、繁華街の入り口にさしかかったとき。第一の異変が起きた。

「……ッ!?」

 口から漏れそうになった悲鳴を必死に抑える。尻のなかに埋まっているプラグのようなものが、ぶるぶると動き出したのだ。

「パペット、これ、まさか……!」
「ただのプラグじゃつまらないでしょう? 遠隔操作可能なバイブレーション機能付きです」
「くっ……!」

 時計がないから時刻はよくわからないが、繁華街の入り口には、バーゲンでも開かれるのか、四十歳前後の女性たちが列を作っていた。人だかりと言い換えてもいい。その他にも、買い物客が山のようにいる空間。これから、そこを通り抜けなければならない。脇道がないかどうか一応探してみたものの、いたずら防止のためか、すべての脇道は封鎖されている。

「マスターは、まだお尻では感じないって言ってましたよね。感じないのなら、これくらいは平気でしょう?」
「ああ言えばこう言うな、おまえは……っ!」

 自分はアナルで感じることはない。そう信じている。しかし、そこを調教されたときの記憶が蘇り、征一郎自身は硬度を増した。現在の羞恥と、かつてパペットに与えられた羞恥が交錯する。物理的な刺激よりも、羞恥のほうがずっと感じる……そういう征一郎の体質を見越したかのような采配だ。

「マスター、静かになりましたね」

 耳元でささやかれると、さらに羞恥が増す。不定期に震えて快感を与えてくるプラグと、彼女の声と、周囲の喧騒があわさり、脳内がぐちゃぐちゃに撹拌されていく。このままでは、まずい。赤ランプが点灯。エマージェンシー。エマージェンシー。

「……止めてくれ」
「なんですって?」
「これ、止めてくれって言ったんだよ。お願いだ……」
「これってなんでしょう? 言ってくれないとわかりませんね」
「ぐっ……ぷ、プラグの振動を止めてくれ」

 小声で征一郎が告げた瞬間に、彼はまた悲鳴をあげそうになった。振動は止まるどころか、逆に強められたのだ。全身を、脳の中心を、体のすべてを揺さぶるように、ぐらぐらとしたもどかしい快感と痛みが突き抜ける。自分は、感じているのだろうか? 認めたくないが、どうやらそのようだ。この異常な状況が、異常な快楽を叩き込んでくるのかもしれない。

「ぁ……ぁああ……ッ!」

 押し殺すように口に手を当て、漏れる声を周囲に聞かせまいとした。パペットは動じない様子で、

「すみません、スイッチを間違えたようですね。止めてさしあげます」

 と言って、今度こそほんとうに振動を止める。

「く、そ……帰ったら、おしおきだからな……」
「怖いですね。でも……それはそれで、楽しみかもしれません」

 のらりくらりとした会話をつづけるパペット。彼女の態度から、おそらくこのまま平和に帰ることはできないだろうと征一郎は直感した。SMはすでに始まっている。だとすれば、仕掛けがひとつで終わるはずはない。

「おまえ、僕がお縄になったらどうするつもりだ」
「歩いて帰るだけなのに、お縄になってしまわれるのですか?」

 そうだ。歩いて帰るだけ。特別、なにかしているわけではないはずだ。でも。でも……!

「そうそう。そのプラグ、媚薬入りなんですよ。気に入っていただけました?」
「な……なに?」

 ハッタリだ。媚薬なんてものは、空想の世界の産物。エロゲーのやりすぎだ。理性ではそう思うのだが、体は敏感に反応している。いつ震えだすかわからないプラグの存在を意識すればするほどに、背筋がぞくぞくして、快感の芽が育っていく。これが媚薬の力でなかったとしたら、自分は……!

 混乱のさなか、プラグがじわじわと震えだした。先ほどの震えにくらべたら、かなり微弱な刺激だ。それゆえに痛みよりも快楽に近い。征一郎は、自らの鈴口から先走りが流れ落ちた感触に気づき、頰が熱くなった。

「ふぅっ……ん……やめ、やめてくれ……」
「弱いのをやめて、強いのにしてほしいんですね?」
「ちが、……っ!!!」

 言い終わらぬうちに一番強い振動がきて、全身を揺さぶった。先ほど揺さぶられたときよりも、感度が高まっている自分に気づく。絶頂の手前にいるかもしれない自分を、初めて意識した。このままではまずい。早足で歩こうとするが、繁華街の人ごみではそれもかなわず、征一郎は白衣の前を必死に手で合わせ、下半身の怒張を隠すくらいしかできない。

「はーっ……ぁあ……」
「あらあらマスター。息が荒いですよ?」
「ぁ、あ…これ、だめ、だか、ら……」

 言葉は切れ切れになり、意味をなさない。
 パペットはしばらく思案したあと、

「いいことを教えてあげましょうか?」

 と言った。

「どうせ、ろくでも、ない、ことなんだろ……」
「実は、このプラグの振動、あと三段階あげられるんです」
「……!」
「せつなそうに腰を振ってるマスターに、プレゼントしますね?」
「やめぇ……ぁあああっ……!」

 必死に声を殺したが、隣を歩いていた女性がちらりとこちらを見た。まずい。気づかれそうだ。しかし、この、この振動は……。
 プラグが尻の中で暴れ、歩くたびに角度が変わって甘い快楽に変わる。出続けた先走りが下着に大きなシミを作り、布地が先端に貼り付いているのがわかる。あと一段階あげられたら……もう、絶頂してしまうかもしれない。

「これ、以上は、無理……」
「あらあら、堪え性がないんですね。じゃあ、これくらいにしておいてあげます」

 と言って、彼女はスイッチを切ってしまった。

「あ………」

 そのとき、征一郎は愕然とした。
 パペットがきちんとスイッチを切ってくれた。自分はそれをありがたく思うべきだ。これで平和に帰れる。社会的に死なずに済む。しかし、征一郎はこう思ってしまった。
 もう少しで、イけたのに………。
 あと一歩。あと一歩だったのに……!

「パペット……」
「なんですか?」
「あの……その」
「はっきり言ってくれないと、わかりません」
「今の……もう一回……」

 やめろ。やめるんだ!
 心のなかで叫びつつも、やはり言わずにはいられなかった。

「今の、一番強いやつ、もう一回……っ」
「了解しました」

 全身を揺らす振動。脳の中心を快楽が電撃のごとく突き抜ける。周囲に見られていることすら忘れそうになる。前立腺が揺さぶられると同時に、その裏側にあるペニスが快楽に打ち震える。女性器に挿れたときとはまた別の種類の気持ちよさが、ビリビリと性器に走る。あらかじめ両手で必死に口をおさえていたせいで、声を出すことだけは阻止できた。
 びゅるる……っ!
 大量の精子が放出された。逃げ場を失った精子がたまり、下着のなかはびちゃびちゃだった。ズボンにまで染み渡っているかもしれない。
 頭がくらくらして、何も考えられない。 その場に崩れ落ちることだけは、なんとか阻止した。

「はーっ……はーっ……」

 一線を越えた――そう思った。心の底からの屈服。SとM。これまでのSMごっこのお遊びとは違う。外出先で、人ごみのなかだというのに、射精を懇願してしまった。自分は変態なのだと、否応なしに気付かされる。

「ふふ。マスター、かわいかったですね」
「て、めえ……どうして、こんな」
「どうして? ……マスターが望んでいるからですよ。今だって、マスターがお願いしたんじゃないですか」

 たしかに、そうだ。自分が望んだ。自分で踏み込んだ。気持ちよかった。不快なことなんてなにもない――羞恥や恐怖すらも、射精の瞬間にはどうでもよくなってしまった。パペットは、征一郎の望むことしかしない。もともと、そういうセクサロイドなのだ。つまり、今回の彼女の行動は、不具合などではありえない。正常な動作。
 それが正常な動作であるという現実が、征一郎の最後の理性を摘み取ろうとしていた。

「繁華街、そろそろ終わりですね?」
「パペット……どこかから見ているのか?」
「ええ。でも、どこから見ているのかは秘密ですよ」
「…………」
「あとは家まで歩くだけ。人もさっきほどはいませんし……簡単ですよね?」
「ちょっと待て。その言い方、は……あぁっ……!?」

 またもや、異物が暴れだす。今度は、やわやわとした微弱な刺激。今までで一番弱いかもしれない。しかし、そんな刺激でも、射精直後の敏感な体にはじゅうぶんだった。とろりと先端から精子の残りがこぼれ、べったりと下着が貼りつく。もはやズボンさえべたべたになった下半身は白衣で隠せても、紅潮した頬は隠せない。
 ふと、松手の家が近いということを思い出してしまった。
 こんなところを、松手に見られたら――!

「鳥渡さんに見られると思うと、感じてしまいますか?」
「――ッ!」
「彼女、うぶそうですもんね。勾玉さんも、きっとセクサロイドなんかじゃないんでしょうし。えっちなのは、マスターひとりだけ。ですよね?」
「や、やめろ」
「お外で射精して、まだ懲りずに勃起させて、ズボンべたべたにして、真っ赤なお顔で家まで歩いて。マスター、ほんとうに変態さんですよね。恥ずかしくないんですか?」
「う……」

 あらためて指摘されると、泣き出したくなってしまう。彼女の言うことは、すべてが正論だった。
 征一郎は、必死に言葉を絞り出す。

「恥ずかしいよ……どうして、こんなことが嬉しいのかって……すごく、恥ずかしい」
「ふふ。素直で素敵なマスター。ワタシはマスターのこと、大好きですよ」
「大好きなのに、こんな目に遭わせるのかよ」
「人間とアンドロイドは違うんです。ワタシにはマスターの願いを叶えることができます。人間にはできないやり方で、叶えることができるんですよ」

 その言い方は妙に悲しそうだった。やはり、飽間の事件を引きずっているのは、自分や松手だけではないらしい……ようやく、征一郎はそのことに気づいた。

「おまえなりの、やり方……ね」

 人間の常識に照らしてみれば、今回のパペットの行為は常軌を逸している。しかし、アンドロイドの常識――あるいはセクサロイドの本能に照らして考えるならば、まったく矛盾のない模範的な行動といえるのかもしれない。セクサロイドは快楽を主人に与えることが仕事だ。征一郎にとっては、本能的に求めていた快楽の形が、たまたまマゾヒズムの形をしていた。征一郎本人は気づいていなくても、パペットはその本能に気づいていた。彼女はそれを与えた。それだけなのかもしれない。

 ……結局、その後、家にたどり着くまでに、二回の射精と一回の射精なしでの絶頂を味わうことになってしまった。もはや、元の理性的な自分を取り戻すことなんて、できないのかもしれない。征一郎は絶望しながらも、どこか楽しかった。ぐずぐずに腐り落ちるような、背徳的な快楽を得てしまったせいかもしれない。部屋のなかで遊んでいたころとはまったく別種の快楽が、全身に染み込むように塗りたくられてしまった。もう……元には戻れそうにない。

「元気になられたようで、よかったです。マスター」

 淡々としたパペットの声を聞きながら、ベッドに倒れ込んで眠った。全身が異様に疲労していた。このままではダメかもしれない。しかし、このままでいたい。相反する思いを抱えながら、征一郎はパペットがかけてくれた毛布にくるまり、次の日の朝までぐっすりと眠ったのだった。夢は、見なかった。


20170227


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