見山均がなぜルームシェアなどというものを提案したのか、赤坂甲斐にはよくわからなかった。甲斐の周囲には頻繁に、不可解な嗜好をもつ不可解な人間というものが現れる。均もその一人だ。確かに均は高校時代から浪費家で貧乏だが、だからといって他人と一緒に過ごすことに向いているとは到底思えないのだ。今日も、均は部屋に大量に持ち込んだ妙なおもちゃで変身ごっこをしている。話しかける気すら起きない。
「スカイローズトランスレイトオオオオ!! 青いバラは秘密のしるし!!」
何の呪文だか知らないが、均の精神が彼岸に行ってしまっているのはわかる。いや、甲斐が知らないだけで、オタクとはみんなこんな風に一人で必死にポージングして遊ぶものなのだろうか。甲斐の知り合いには、均以外にこういう人種は存在しないのでよくわからない。
甲斐があきれながら自分を見ていることに気づいているのかいないのか、均は今度はベルトを装着し始めた。たぶん仮面ライダーか何かのものだろう。他にベルトをつけるヒーローというものを、甲斐は知らない。均はベルトを腰に巻き終ると、ビシィ!と効果音が聞こえてきそうなポーズをとりながら、
「へんっしんッ!! ターンアップ!!」
と叫んだ。「まずまずかな……いやしかし、手首のひねりが少し足りない。発音も、もう少し二番目の『ん』を弱めにしなくては」とぶつぶつつぶやきながら、もう一度同じことを繰り返し、さらに次は部屋の端から猛烈にダッシュしながら同じポーズをとったりと忙しい。この行為は何か生産性のあるものなのだろうか……甲斐はますます理解できない友人の行動に頭を悩ますしかない。まったく、見た目だけはイケメンなのに、どうしてこんな。
「よし!次は最難関のカリスだ!!」
かれこれ一時間ほど経過しているが、均の(無駄な)チャレンジ精神は終わりを見せない。そんな均を見物しながら、ふと学生時代を思い出す。甲斐自身は、あのころとは全然違う大人になってしまった自分、というものをよく意識するのだが、思えば見山均は昔からこんな感じで、まったく変化がない。あの頃も均は妙なことに熱中していた。オカルト研究会に入ったり、バスケ部の助っ人として大活躍したり、路上に敷き詰められたタイルの白い部分だけ選んで踏むことに没頭しすぎて自転車に跳ねとばされたり。外見は普通だから女子にはよくモテるし、彼女ができることも多い。しかも意外なことに、けっこう長続きするのだ。こんな珍獣みたいな男がモテてなぜ自分はモテないのか、と枕を涙で濡らした同級生もたくさんいたに違いない。そんなことをぐるぐる考えていると、均が甲斐の視線に気づいた。
「ん? 何だよ甲斐。俺とダブルライダーキックがしたいなら、そう言ってくれればベルト貸すのに」
甲斐が黙っていると、適当に甲斐の心中を捏造するのも昔から変わらない。甲斐はため息をつく。
「いや、ダブルライダーキックしたくないし。つかこんなところでやったら部屋が壊れる」
「えー、じゃあ公園でやる? ベルトはあんまり多く持って行けないから、まず作品チョイスから考えたいところなんだけど。今日の俺の一押しは電王&ゼロノスだけど、キバ&サガも捨てがたいし、二人ともギャレンってのもいいと思うわけよ」
「ダブルライダーキックをするという前提から離れろよ! 公園でそんな恥ずかしい真似してたらご近所さんに噂されるぞ」
均は眉間にしわを寄せつつ、装着したベルトのボタンを押した。意味なく加工音声が流れる。
「残念。そこは『え、おまえギャレンのベルト二個持ってるの?片方くれよ!』って反応が欲しかった」
「児玉清っぽく言われても、そんなこと絶対言わねえ」
残念、と均はもう一度言って笑った。そんな均を見て、
「なあ、その遊びは楽しいのか? 俺にはさっぱりわからない」
先ほどからずっと思っていた本音を、ずばりぶつけてみた。
「え、楽しいよ? ライダーに変身するのは全男子の夢だろ?」
平然と返答された。どうやら赤坂甲斐は男子ではなかったようだ……という冗談は置くとして。
「だって、本当に変身できるわけじゃないだろ。あと、さっき明らかにライダーじゃないおもちゃ混じってたぞ」
「あー、プリキュア? 玩具の出来的に一押しはナージャなんだけど、呪文を叫びたくなるのはプリキュアなんだよな。ただの『変身!』じゃなくて『メタモルフォーゼ!』とか熱いよなー」
訊いていないことについてはよくしゃべり、質問されたことに答えることを忘れるのは見山均の悪い癖だと甲斐は常々思っている。
「ちなみに、別にプリキュアに変身したいわけではない。あれは呪文がかっこいいから叫びたいだけ」
彼はそう捕捉しつつ、「あ、でもプリキュアも楽しそうかも。岩とか素手で割れるし。ライダーじゃ岩はめったに割れなさそう」などと笑っている。甲斐は、均のこういう奔放なところは嫌いではない。非常識だとは思うけれど、隣で見ている分には面白い。
「そうだなー。うまく説明できないけど、悪役が現れて、俺がそいつらをやっつけて、後ろでドカーン!って爆発があって、助けた女の子にキャーかっこいい!!って言われたりするの。そういうの、想像するとワクワクしねえ? 変身できないのはわかってるけど、一生懸命頑張ったら、一回くらいそういう経験できるかもー、なんて」
均は言った。彼の目はとても遠い、絶対に届かない幻想を見据えている。しかしそんな彼を、心底うらやましいと思う。甲斐はそんなことを夢想したことはない。少なくとも、大人になってからは。
でも、遥か遠い昔に、テレビを見ながらわくわくしていた記憶は確かにある。今まで、忘れていたけれど。
今、均と話さなければ忘れていたに違いない、些細な記憶。
何の役にも立たない過去。
それはしかし、けっこう楽しい思い出だったような気がするのだ。崖から飛び降りるヒーローの真似をして、階段から飛び降りて怪我をした。手裏剣を投げる真似をすれば、いつか忍者になれる気がしていた。魔法の呪文を完璧に覚えれば、魔法が使えるようになると思っていた。思い出してみると、自分も均とあまり変わらない存在だったのだ。
「……まあ、ちょっとだけわかるかもな」
甲斐は控えめに、それだけつぶやいた。「だろだろ!? じゃあ今から公園で特訓を!」と均は調子に乗り始めたが、「それはまた今度な」と答えておいた。
もしかしたら、均が甲斐にルームシェアを提案したのは、ただ、甲斐と遊びたかっただけなのかもしれない。そう思うと、少しだけ子供のころに戻る権利を得られるような気がした。日が暮れるまで必死に公園の遊具と戯れて、ありもしないものになれると心から信じていたあのころに。甲斐はずっと、叶わない夢を持つことは不幸だと思っていたけれど、必ずしもそうではないのかもしれない。夢が叶わないと満足できない大人は、きっと損をしているのだ。夕焼けの中でも飽きることなく走り回っていた自分と同じ表情で、狭い部屋を走り回る均を見ながら、甲斐はそんなことをつらつらと考えた。