銀幕症候群 症例:UNKNOWN

 ゆっくりと首を絞める。
 彼女の生とぼくの恋ができるだけ長く続くことを祈りながら首を絞めることに、ぼくは生きがいを感じ始める。とても美しい彼女の肌に触れているぼくの指は美しくないけれど、肌からその美しさが伝染するかもしれないと願っている自分に気づく。苦笑、しながらやっぱりぼくは首を絞める。
 彼女の苦しげなうめき声はまるで狩られる羊のようにたおやかで、ぼくは羊の肉を引きちぎる狼の気分。ピンク色の肉はみずみずしくて美味だ。肉塊になり下がっても彼女はなお美しい。このあと、彼女の死体を食べるというのもいい趣向かもしれない。もう、この国にはそれをとがめるような法律は、あってないようなものだ。彼女を食べる。セックスなんてまがいものではなく、本当の意味で一つになる。それって、どういう気分なんだろう。今まで、そういう趣味はなかった。想像することすらなかった。でも、今、彼女はぼくの前で死にゆこうとしていて、その死体はここに残る。今のぼくには、燃やすよりも、埋めるよりも、食べてしまう方が効率のいい方法に思えた。
 そんなことを思っているうちに、いつのまにか彼女が死んでいた。その命が消える瞬間を、ぼくは見損なっていた。ゆるさない、と最初に思った。何を、誰を、どうして、許せないのか、よくわからなかった。
 しばらくして、感情が絞り出されてゴミになった。ゴミは言葉に変換される。言葉はこう告げた。
 ぼくを置いていったことを絶対に許さない。
 こんなに短絡に死んでしまうなんて、なんてずるい。
 彼女は幸せに死んだかもしれない。だが、ぼくの首を絞めてくれる人間はもういない。それがとても、許せないことに思えた。狡猾で、汚い。そうだ、美しくなんかない。こんなにも彼女はずるい。ずるくて汚くて、自分の幸せしか考えていない。
 ぼくは、彼女といられるのなら狂い死んだってよかった。
 何も考えない化け物になって、互いを暴力で食い合って死んでいってもよかった。
 なのに、神様は彼女とぼくを別った。
 彼女には銀膜症のウイルスを与え、ぼくには与えてくれなかった。
 どうして、ぼくと彼女を違う個体にしようとする。
 ぼくらは一緒にいたかった。首を絞めたくなんかない。殺し合いたくもない。
 ただ、一緒にいたかっただけなのに、どうしてぼくは彼女の首を絞めなくてはいけない。彼女の肉を食うことを考えなくてはいけない。彼女に殺されることなく生き延びた自分を悔いなければいけない。どうしてぼくは生きている。生きて、考えることをしなければいけない。ぼくはもう、何も考えたくない。
 ――ぼくが、ぼくこそが、銀膜症になってしまえばよかった。ぼくという個体を残さない形で消え去りたかった。個性を失って獣になりたい。なりたいものになれないこの世界は間違っている。
 そんなことを考えながら、ぼくは泣いている。すすり泣いている。言葉は何も口にする必要がなく、たとえ何か言ったとしても、もうここには聞こえる人は誰もいない。だからぼくは黙っている。黙りながら考えている。彼女が腐ってしまう前に、彼女を食うべきか、燃やすべきか、埋めるべきかを。早く考えないと彼女は終わってしまうから、ぼくは急いで考える。他のことを頭から追い出して、考える。考えることを考えるということを考える。考えているうちに、彼女の肌の白さが目につく。ああ、白い。こんな白くて美しいものを燃やすなんてできるものか。白が燃えて黒になることは許せない。やはり食べてしまうしかあるまい。この美しさを永遠に続いていくものに変えるのは他の誰でもない、ぼくだった。




091225