銀幕症候群 症例Ⅳ
銀幕症候群については不可解なことが多すぎる。発症した患者が最終的にどう処分されるのかがわからない、という点がその最たるものだ。『発症してしまった場合、もう打つ手はない。半径一キロ以内にいる人間は助からない』と政府およびマスコミは発表しているわけだが、発症してしまった患者たちが最終的にどうなったのかという事実は明かされていない。発症した患者を見た者すらいない。半径一キロ、という具体的な数字の根拠もない。これはどう考えてもおかしい。
考えられる仮説は三つだ。まず、患者は一定の時間が経過すると勝手に動作を停止する、あるいは死ぬというもの。これは常識的に見て、ありうる話だ。人間の筋肉や細胞には限界がある。理論上、無理な力を加え続ければいずれ筋肉の疲労が限界に達するはず。もし永遠に体が動きつづけているとすれば、それはもはや人間ではなくゾンビの類だろう。しかし銀膜症ウイルスというもの自体が現実的でない存在であるので、完全には断定できないのがなんとも恐ろしい。
二つ目は、発症した患者たちをどうにかして止めている人間、あるいは組織が存在するという仮説。半径一キロ、などという具体的な数字が発生した理由については、この仮説なら説明が可能だ。患者を確認した時点で、何者かがその近隣地域に患者の動きを止めるための毒ガスか何かを撒いているのだと考えると、数字の根拠としてはかなり説得力がある。患者の動きを止める、あるいは殺すための毒ガスならば、感染者以外の体にも有害なものである可能性が非常に高い。つまり、半径一キロ以内にいる人間を全員患者が殺しているわけではなく、患者を確実に殺すために、その範囲にいる人間をあえて犠牲にしているのである。地域ごと消毒を行っているようなものだ。これが事実だったら、関係ない人間を無断で殺しているわけで、人権的にかなりの問題になるだろう。国家が秘匿していてもおかしくないと私は考えている。この場合、誰がそれを行っているのかという問題が生じるが、それを断定することはおそらく不可能だろう。
そして三つ目はいささか口に出しにくいのだが、銀膜症などという病は政府の作りあげたデマであり、実際にはそんな病気は存在しない、という可能性である。いくら政府が混乱し衰弱しているとはいえ、ここまで病気の詳細がわからないのは異常だ。こういう仮説に至っても仕方がないだろう。
いずれにしろ信頼できる情報が少なすぎるので、一般人である私にはこれ以上詳しいことはわからないし、仮説をこれ以上絞ることもできない。
しかしながら、私も学者としてのプライドというものを持っている。そのプライドにかけて、できる限りこの銀膜症について考察を行っておきたい。私もいつ患者に殺されるか、あるいは自分が発症するかわからない。死ぬ前に、考えられることはすべて考えておこうと思う。もう三つの主な仮説は述べ終わってしまったので、今日のところはこの仮説に補足説明をすることで、この手記を書くのをやめようと思う。
三つの仮説の中で、私が一番リアリティを感じるのは最後の仮説である。銀膜症など存在しない。政府がすべてを企んでいるというよりも、何者かが政府を乗っ取っているのではないか、と私は考えているのだが、明確な根拠はもちろんない。私なりの根拠ならばあるので、それを述べておく。
まず、銀膜症という存在自体がファンタジックでリアリティに欠けすぎている。それに、この病気をめぐる政府の動きは明らかにおかしい。政府が政府として機能していない。いくら緊急事態だとしても、人を殺すのが国民の義務だなんて馬鹿な法律が成立するものだろうか。これは何かの陰謀だと考えられはしないだろうか。
すべての情報が嘘だと考えると、しっくりとすべてが丸くおさまるように思える。マスコミをすべて掌握することができたなら、間違った情報を流すことは容易だ。もちろん人が減らなければリアリティが薄まるが、何者かが銀膜症という嘘の理由を使って人を殺して回っているという可能性もある。それこそ毒ガスでも撒いておいて、「あそこに住んでいた人は銀膜症で死んだらしい」とだけ情報を伝達すれば、事実なんて誰にもわからない。
だがそもそも、事実なんてものは存在しないのかもしれない、と最近私は考え始めている。
たとえば、テレビで流されるニュース。私たちはこれまで、それを事実だと認識していたが、そこには映像を編集した人間、記事を書いた人間、情報を流した人間など第三者の介入があるはずで、完全に『自然』な情報ではない。少なくとも、それは誰かに操作されている情報だ。操作され、編集されたものを完璧に信じる理由はあるだろうか。ねつ造ではないとどうして言い切れるのだろうか。
自伝的小説やドキュメンタリー映画、歴史映画なども同じで、もともとあるものを大幅に脚色、編集している時点で、それはもう不自然なのだ。我々はそれを事実だと誤認しがちだが、自分で実際に見て確認した事実ではない以上、それはフィクションだ。文字や映像に変換された時点で、信用には値しない。
これらのことについて、これまで私は考えることがなかった。銀膜症という正体不明のウイルスが流行り始めてから、私はようやく情報を疑う必要性に気づいたのだ。テレビも新聞も、全部が嘘を言っていて、周囲の人もすべて嘘つきだとしたなら、私は何を信じればいいのだろう。前提となる情報が嘘ならば、仮説なんて無意味ではないか。
そう、みんな嘘つきなのだ。人類はすべて嘘つき村に住んでいる。その前提を忘れていた。
この前提を元に、仮説を組み直さなくてはならない。
ノックの音を聞き、私は手記を書く手を止めた。適当に返事をすると、扉が開いて母が入ってきた。
「あら、今日もお勉強しているの? 熱心ね」
お勉強じゃない。これは世の中に必要な思索で、いつかこれを発表して、私は世界を救う。世界中の人間が騙されているって教えてやるんだ。みんなみんな、嘘の情報に踊らされているんだ。それを知らしめるために、私はこうして努力を重ねているんだ。
「そう、よかったわね。頑張ってね。ごはんとお薬、ここに置いておくから」
ああ、そうかい。勝手にすればいいさ。私も勝手に食べるだろうからね。
私がそう答えると、母は黙って出て行った。
私は――いや、俺は、机から離れてベッドに横になる。今日も世の中のために考えをまとめるのに一日を費やしてしまった。いやはや、学者というのは大変だ。今はこの銀膜症の流行のせいで仕事なんてなくなって、働いていない人間もたくさんいるのだろうに、俺みたいな偉い学者は、いくら考えたって結論の出ないことについて、ずっと考え続けなきゃならないんだから。考えて考えて考えつづけて、疲れて眠くなるまで考えつづけないといけないんだ。それもこれも世界のためで、陰謀に踊らされる日本政府と国民を救うためなんだ。俺は救世主なんだ。みんなが俺に感謝して頭を下げるその日まで、俺はひたすらこうやって努力しつづけるんだ、でも苦しくなんかない、だって俺は地上に降り立った最高の英雄なんだからな。